藤井太洋「ハロー・ワールド」講談社
「神なるドローン様、今度はわたしにルンバを降らせてください――神様」
――行き先は特異点ライブ中継には遅延が絶対に必要だ。
――五色革命中国政府が変わったのではない。
ツィッターが変わったのだ。
――巨像の肩に乗って「こんな暮らしをしていますから、どこの国でも使える通貨があるといいですよね」
――めぐみの雨が降る
【どんな本?】
「Gene Mapper - full Build -」で鮮烈なデビューを飾った藤井太洋が、得意とする最新ITテクノロジー、それもオープンソース系を中心に、オープンソースならではのテクノロジーが世界に及ぼす影響を、至近未来を舞台に描く連作短編集。
ITエンジニアの文椎泰洋は、講習会で知り合った仲間と共に、iPhone 用の広告ブロックアプリ<ブランケン>を開発し公開した。最初はあまり反応がなかったのだが、ある時から急に利用者が増える。調べてみると、その大半がインドネシアだった。特にインドネシア独特の機能はつけていない。奇妙に思い更に調べ続けると…
SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」のベストSF2019国内篇で第4位。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2018年10月16日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約273頁。9ポイント43字×19行×273頁=約223,041字、400字詰め原稿用紙で約558枚。文庫なら普通の厚さ。
文章はこなれていて読みやすい。内容は、さすがに Swift や GIrHub などIT系の単語が続々と出てくる。が、その大半は「知っている人を唸らせる」ためで、わからなくても大きな影響はない。とりあえずスマートフォンが使えれば話のすじは追える。最近噂になった台湾のIT担当の唐鳳(オードリー・タン)大臣のニュースを読んで何が書いてあるか見当がつくなら充分だろう。iPhone と iPad と MacBook の区別がつけば更によし。
【収録作は?】
それぞれ 作品名 / 初出。
- ハロー・ワールド / 「小説現代」2016年3月号
- 文椎泰洋はIT系のなんでも屋と自任している。得意先との折衝から機材の確保、多少の開発まで一通りこなすが、どれも一流とは言えない。講習会で知り合った開発者の郭瀬敦・販売管理の汪静英と共に、iPhone 用の広告ブロックアプリ<ブランケン>を作り公開する。当初はほぼ無反応だったが、いきなりインドネシアで利用者が増えた。別にインドネシア独特の機能はついていないのだが…
- ドラマなどで活躍するプログラマは凄い勢いでキーボードを叩くけど、実際は…。こういった現場の様子や、iPhone 用の開発環境とか、その手の読者を唸らせる描写はさすが。多国語対応のあたりから、IT産業が既に世界の経済を変えつつある様子がヒシヒシと伝わってくる。当然、それは民間だけでなく…。この記事を書く前にPCを立ち上げたら、いきなり Edge のアップデート通知が出てきて、やたらビビってしまった。
- 行き先は特異点 / 「小説現代」2016年11月号
- 文椎泰洋はアメリカにいる。上司の幾田廉士に命じられ、ラスベガスに行く途中だ。目的は買収した会社のドローン製品<メガネウラ>を届けること。カーナビに従いフォードを運転していたが、なぜかキャンプ場に迷い込む。おまけに、Google が実験中の自動運転車に追突されてしまう。幸いスピードは出ていなかったし、相手のドライバーのジンジュは友好的だ。警察を呼んだがしばらく時間がかかる。暇つぶしに<メガネウラ>の試験飛行をすると…
- これまた Google や Uber が変えつつある、私たちの仕事環境を切実に感じさせる作品。昔の製造業じゃ盛んにQCとかやってたけど、今はそれどころじゃないんだよなあ。そんなトラブルさえビジネスに利用する幾田廉士の逞しさには感服してしまう。ベンチャー企業を経営するには、それぐらいのしたたかさが必要なんだろう。台湾の唐鳳IT担当大臣と日本の政治家の知識の差を騒ぐ日本のマスコミで、GitHub をチェックしてる記者は果たしているんだろうか?
- 五色革命 / 「小説現代」2017年4月号
- 出張でタイに来た文椎泰洋は、帰国の日にバンコクのホテルで足止めを食らう。恒例のデモが予定より早く始まり、しかも規模が大きいのだ。デモの主催団体は一つじゃない。農民たちは赤、市民連合は青、新興仏教のオレンジ、軍の緑。それぞれ主張も違う。同じホテルに缶詰めになった客たちと話し込んでいた泰洋に、乱入してきた者たちが詰め寄ってきた。
- 年中行事のようにクーデターが起きるタイ、それもバンコクの現状を伝える作品。先代のラーマ九世は国民から絶大な支持を受けていたが、今のラーマ十世はムニャムニャ。そんなタイのデモの裏事情や、外国人の立場の描写も生々しい。こういう「あまり知られていない国際事情」を、市民の視点で巧みに盛り込むあたりは、故船戸与一を彷彿とさせる。
- 巨像の肩に乗って / 「小説現代」2017年8月号
- 中国政府は金盾でインターネットを検閲している。そんな中国に対し、Google や Facebook は撤退するなど対応に苦慮している。その中国政府にツィッターが折れた。これに刺激された文椎泰洋は、ツイッターに似たサービス<マストドン>(→WIkipedia)の改造版<オクスペッカー>を作り始める。暗号化して当局が追跡できないようにするのだ。
- 某事件に対する著者の怒りが静かに伝わってくる作品。ほんと、もったいない。アレを巧く育てれば、国際的な力関係を大きく変えられたのに。その原因がメンツと無理解によるのもってのが、実に馬鹿々々しい。もっとも、本作品に登場するのは某事件と異なる部署なんだけど、ソッチはどうなんだろうねえ。もっと酷いんじゃないかと思うんだが。
- めぐみの雨が降る
- 文椎泰洋は、マレーシアのクアラルンプールにいる。仮想通貨のセミナーに呼ばれたのだ。空港へと向かう空き時間に、呉紅東と名乗る男に話しかけられる。先の<オクスペッカー>で泰洋に注目したらしい。最初は穏やかだった呉だが、中国の公安当局からのクレームの話題になると…
- ホットな話題になっている仮想通貨をテーマに、長編小説を数編書けるようなネタを惜しげもなくギッシリと詰めこんだ贅沢な作品。たかが90頁にも満たない作品なのに、次から次へと著者ならではの知識と発想が披露され、読んでいると知恵熱が出そうになる。改めて「そもそも通貨って何だろう?」と、深く考え込んでしまった。
日本のマスコミはもちろん、CNNやBBCのニュースだけじゃわからない国際事情に焦点を当て、市民の視点でわかりやすく描くあたりは、故船戸与一を思わせる作品が多い。加えて、ITテクノロジーがもたらす豊かさと、それに伴い変わっていく世界、そしてかつてインターネットが抱かせた自由への幻想が現在はどうなっているかを冷静に見つめる目は、著者ならではのものながら、その底に流れるテクノロジーと人間への信頼は、J.P.ホーガンのファンに強く訴えるものがある。「今はとても熱い時代なんだよ」と読者に伝える、力強い物語だ。
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