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2020年5月 6日 (水)

ジョン・デイビス&アレクサンダー・J・ケント「レッド・アトラス 恐るべきソ連の世界地図」日経ナショナルジオグラフィック 藤井留美訳

この本を読んでいるあなたが地球上のどこにいようと、そこはソ連が少なくとも一度は詳細な地図にしている。
  ――第1章 戦争と平和

デーモン・テイラー「ニュージーランド陸軍中佐だった私は、2003年に情報将校としてアフガニスタンのバーミヤンに入った。最初のうちは、ソ連の地図以外に頼りになるものがなかった」
  ――第4章 復活

元赤軍将校アイバルス・ベルダブス「演習に必要な地図は署名して保管庫から借り受け、返すときも署名した。使用中に汚れたり破れたりしたら、その残骸を返さなくてはならなかった」
  ――

【どんな本?】

 冷戦時代、西側と東側は「鉄のカーテン」に隔てられながらも、互いに互いをこっそりじっくり観察していた。1991年のソ連崩壊により、ソ連が収集していた情報の一部が流出する。その一つに、ソ連が作った地図がある。

 軍事作戦にとって、地図は重要な意味を持つ。特にソ連は、最大の規模で世界中の地図を作ろうとしていた。主な目的は軍事であり、その内容は独特の偏りがある。例えば橋は、素材・桁下高・長さ・幅そして荷重まで記入されていた。

 ソ連は何を重視していたのか。どこから、どのように情報を得たのか。どんな規格に従っていたのか。そして著者たちは、いかにしてソ連製の地図を手に入れたのか。

 冷戦時代にソ連が世界中で繰り広げた巨大プロジェクトの片鱗を、豊富に実例を示しながら紹介する、ちょっと変わった軍事と地理の一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE RED ATLAS, by John Davies and Alexander J. Kent, 2017。日本語版は2019年3月25日第1版第1刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで約303頁に加え参考文献と索引。10ポイント46字×18行×303頁=約250,884字、400字詰め原稿用紙で約628枚。文庫本なら少し厚めの一冊分…では、ない。紙面の半分以上を地図が占めているので、実際の文字数は半分以下だろう。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい、と言いたいところだが、何せこの本で大事なのは文章より地図だ。地図からどれだけ多くのモノを読み取れるか、それがこの本を楽しむカギとなる。おまけに地図中の文字はロシア語なので、ちょっと素人には厳しいかも。また、地図中の文字はかなり小さいため、年寄りにはキツい。

【構成は?】

 一応、頭から順に読む構成になっているが、気になった所を拾い読みしても充分に楽しめる。

  • 序文 ジェームズ・ライゼン
  • 本書の読み方
  • はじめに 本書が推理小説である理由
  • 第1章 戦争と平和 物語の背景 ナポレオンのロシア遠征からソビエト連邦の崩壊まで
  • 第2章 世界を紙に描き出す ソ連がつくった世界地図の様式・内容・記号
  • 第3章 策略と計画 表に裏にうかがえる地図作成者の工夫
  • 第4章 復活 ソ連崩壊後の地図発見とその重要性
  • 謝辞
  • 付記1 主要都市地図
  • 付記2 市街図の「基本情報」には何が書いてあったか
  • 付記3 地形図の「基本情報」には何が書いてあったか
  • 付記4 記号と注釈
  • 付記5 用語と略語
  • 付記6 印刷コード
  • 付記7 秘密保守と管理
  • 日本版特別付記 東京 上野・文京/千住/日本橋/池袋/新宿/朝霞/中野/吉祥寺/渋谷/二子玉川・溝の口/葛飾/練馬/武蔵小杉/羽田/月島・豊洲/現在の葛西臨海公園・東京ディズニーリゾート/
  • 参考文献/索引

【感想は?】

 まずはソ連の執念に戦慄する。が、それだけじゃ終わらない。これは東西双方の知恵と執念と労力が結実した本なのだ。

 表紙も私たちを驚かせるのに充分なインパクトを持っている。地図だ。文字こそキリル文字だが、首都圏に住む者なら、あれ?と思うだろう。下半分は海だが、どっかで見たような形だ。それもそのはず、月島・豊洲・晴海の地図なのだ。

 しかも、海には等深線と数字が書き入れてある。おいおい、ヤベェじゃん。これ上陸作戦に使えるじゃん。

 その後、本を開いた最初の地図もヤバさ倍増だ。右中央で鉄道路線が十字に交差してる。これ、秋葉原じゃね? すると左下を占める緑地は… げげ、月島から上陸したら、ここまで目と鼻の先じゃないか。えらいこっちゃ。

 そういう事を、彼らはやっていたのだ。国家プロジェクトとして、組織的に。なんて奴らだ。

 本書には多数の地図が載っている。多くを占めるのは、イギリスとアメリカ合衆国、そして東欧諸国だ。日本の地図にはないが、合衆国や東欧の地図には、橋の幅と長さに加え、荷重まで書いてある。戦車など軍用の重い車が通れるか否かを知るためだろう。また、河川は流速や幅や深さ、そして橋の桁下高も入っている。艀などで荷を運ぶ際に欠かせない情報だ。どうやって調べたんだか。

 そう、「どうやって調べたか」をめぐる謎解きも、本書の楽しみの一つだ。私はこの本で「地図愛好家」なる人々がいる事を知った。彼らは世界中を巡って様々な地図を集めるのだ。ただ集めるだけじゃない。その目的や製作の背景も調べるのである。それも、とんでもない情熱を持って。

 地図愛好家たちが、ソ連製の地図を手に入れ、その製作過程を推理するくだりが、本書のもう一つの醍醐味なのだ。

 日本では、幾つかの組織が独自の地図を出している。最も有名なのは、ゼンリンだろう。自転車で旅行する際は、坂の状況が判る国土地理院の地形図が便利だ。イギリスやアメリカも、日本と同様に複数の組織が地図を作っている。また、地形はともかく、日が立てば新しい建物が立ったり橋ができたりする。そのため、地図は一定期間ごとに更新する必要がある。

 最初に紹介した東京の地図は、1966年版だ。ソ連も、同じ場所の地図を何回か改訂した。この改訂の様子や、廃線など現実の変化から、地図愛好家たちはソ連製地図の製作過程を探ってゆくのである。この執拗かつ綿密極まる捜査のプロセスが、いかにもイギリス人らしい凝り性が出ていて、呆れるやら感嘆するやら。人間、道楽でも入れ込むととんでもない真似をやらかすんだなあ、と深く感じ入る次第。

 極秘プロジェクトだったはずの地図が流失したいきさつも、ソ連の体質をひしひしと感じさせる。つまりは東欧崩壊とソ連崩壊のドサクサに紛れ、抜け目のない連中が火事場泥棒をやらかしたのだ。酷い話だが、「東欧革命1989」や「死神の報復」あたりを読むと、さもありなんと思ってしまう。権力者なんて、結局はそんなものなのかもしれない。

 その東欧なんだが、ソ連が東欧諸国をどう思っていたのかも、色々と地図から見えてくる。というのも、西側の地図に比べ、東欧の地図はやたらと詳しいのだ。これは河や橋の記述を見れば素人でも明らかで、たいいていの橋は荷重までバッチリ書かれている。「プラハの春」(→Wikipedia)を思い浮かべると、連中の腹の内は…

 一見、平和そうに見える地図だが、そこに書かれたモノは、視点によってはひどく物騒な色を帯びる。情報というシロモノの恐ろしさをヒタヒタと感じさせる、歴史書であり軍事書でありホラーでもある、そんな本だ。

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【ひとこと】

 最近の更新が滞っているけど、新型肺炎は関係ありません。「小説家になろう」にハマっているせいです。だって面白いんだもん。

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