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2020年5月21日 (木)

モートン・D・デービス「ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで」講談社ブルーバックス 桐谷維・森克美訳

ゲームの理論は当初、経済問題に対する新しいアプローチのために創造されたものである。
  ――著者序

均衡戦略とか均衡点とかは(略)、二つの戦略があって、どちらのプレーヤーも自分の戦略を一方的に変えても得にならないとき、この戦略は均衡点にあるという。(略)その名の示すように、均衡点は非常に安定している。
  ――第3章 一般・有限・2人・ゼロ和ゲーム

我々の理論の最も弱い部分は、(略)プレーヤーがつねに自分の平均利得を最大にするという仮定である。
  ――第3章 一般・有限・2人・ゼロ和ゲーム

…攻撃的で激しやすいプレーヤーの方が、どちらかというと控え目なプレーヤーより有利に立ち回るのである。
  ――第6章 n人ゲーム

実際の実験では、いったん結託が結成されると、結果が確定的になることがプレーヤー達にすぐわかった。(略)また実は、明らかでないにしても、ウェイトはたんなる飾りに過ぎなかった。
  ――第6章 n人ゲーム

【どんな本?】

 ジョン・フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルンによる1944年の著書「ゲームの理論と経済行動」から、新しい数学が生まれた。ゲーム理論である。「囚人のジレンマ」が有名な理論だが、その応用範囲は幅広く、遊技のゲームはもちろん、経営・経済・軍事そして政治にまで及ぶ。

 「ゲームの理論と経済行動」は本格的な内容だけに、充分な数学の基礎を読者に求める。対して本書はより広い読者を想定している。敢えて数学的な詳細にまでは立ち入らず、できる限り数式を使わずに、ゲーム理論の全体像を読者に示そうとした、一般向けゲーム理論の入門書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GAME THEOLY, by Morton D. Davis, 1970。日本語版は1973年9月30日第1刷発行。私が読んだのは1978年3月10日発行の第9刷。新書版で縦一段組み本文約267頁に加え、訳者あとがき2頁。9ポイント43字×17行×267頁=約195,177字、400字詰め原稿用紙で約488枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はちと硬い。日頃から論文を書きなれた数学者が慣れない入門書に挑戦した、そんな感じだ。そのため、数学的な表現が多い。とはいえ、算出方法は述べずに解の数字だけ示す所も多く、面倒な計算には敢えて深く立ち入らずに済ます姿勢が明らかだ。また、数学といっても出てくるのは加減乗除ぐらいなので、実は中学生でも充分に読みこなせる。必要なのは数学の能力じゃない。お堅い文章にビビらない度胸だ。

【構成は?】

 数学の本だけに、前の章を受けて次の章が展開する。素直に頭から読もう。ただし、数学っぽいのは頭の方だけで、終盤に向かうに従い政治や心理学や社会学の色が濃くなってゆく。数学は苦手だが人間や人間同士の関係に興味がある人は、頑張ればそれだけの報いが得られる。

  • 序 オスカー・モルゲンシュテルン
  • 著者序
  • 第1章 一人ゲーム
    人間対自然のゲーム
  • 第2章 完全情報・有限・二人・ゼロ和ゲーム
    チェスの研究/ゲームを記述する/いくつかの定性化と再考/付録
  • 第3章 一般・有限・二人・ゼロ和ゲーム
    日米両軍の知恵くらべ/二大政党の綱領/二将軍の攻防戦/テレビ広告によるマーケティングの例/マーケティングの例の解/単純化されたポーカー/新しく変えた古い問題/ミニマックス定理/いくつかの再考/いくつかの実験的研究
  • 第4章 効用理論
    「効用」とは何か/効用関数とその役割/効用関数の存在と一意性/かくれた落とし穴/効用関数を作る/人々の選考パターンは本当に整合的だろうか?/付録
  • 第5章 二人・非ゼロ和ゲーム
    協力ゲームと競争ゲーム/二人・非ゼロ和ゲームの分析/ガソリンの値下げ競争/議員の悩み/異性間の闘争/業務提携の例/マーケティングの例/いくつかの複雑化/コミュニケーション/プレーの順序/不完全情報の効果/選択対象を限定する効果/脅迫/拘束的協定とサイド・ペイメント/脱獄への応用/囚人のジレンマ/過去の囚人のジレンマ/ナッシュの調停方式/二人・非ゼロ和ゲームの実験/「囚人のジレンマ」に関する実験/交渉の実験/「最適な」戦略/三変数の実験ゲーム/プレーヤーの個性/せりの実験/ほとんど協力的なゲーム/いくつかの一般的な観察/行動パターン/現実の二人・非ゼロ和ゲーム
  • 第6章 n人ゲーム
    大統領選挙は不公平か/予算配分の政治例/いくつかの経済例/一つの分析/フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの理論/特性関数形/優加法性/配分と個別合理性/優越/フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの解の概念/N-M理論に関する最終コメント/ヴィクレイの自己治安配分集合/自己治安パターン/n人ゲームに関するオーマン=マシュラー理論/形式構成/異議/報復異議/オーマン=マシュラー理論とフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン理論の比較/シャプレー値/三人組の理論/実験による証明/投票ゲーム/投票モデルの応用/プレーヤーの先験的「価値」/要約/付録
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 さすがに昔の本なので、今はもっと親しみやすい本が出ているかも。でも、当時としては、優れた入門書だった。

 最初に近い「第2章 完全情報・有限・二人・ゼロ和ゲーム」では、ゲーム理論の基礎…というより、以降の章で必要になる基本概念を紹介する部分だ。

 名前が「ゲーム理論」なので、カード・ゲームやドラゴンクエストなどと関係ありそうと思うだろう。確かに関係はある。だが、それは「どうすれば面白いゲームを作れるか」では、ない。一つは「どうやって必勝法を求めるか」であり、また「様々な状況で人はどう行動するか」の実験だったりする。

 必勝法の求め方は、ミニマックス定理(→Wikipedia)が原則だ。相手が最善の手を打つと仮定して、その場合の被害を最小にする。三目並べは、これに従えば確実に引き分けに持ち込める。そして、引き分けがゲームの値となる。

ゲームの理論家は、相手が完璧なプレーをするという、悲観的な、そしてしばしば不完全な仮定を置くのである。
  ――第2章 完全情報・有限・2人・ゼロ和ゲーム

 ただ、世の中は、三目並べほど単純じゃない。例えばポーカーは相手の手が判らない、つまり完全情報じゃない。都市部は美容室や飲食店の競争が激しい。だから店には多くの商売敵がいる、つまり2人ゲームじゃない。また互いに店をたたむ気はないから、有限ゲームでもない。加えて近所の景気がよくなれば地域全体の売り上げも増えるから、ゼロ和ゲームでもない。

 このように現実に近づくほど、数学以外の要素が大きな影響を持ってくる。

…分析が簡単なゲームはあまりない。
  ――第4章 効用理論

 そんなわけで、5章以降は数学より実験の結果の記述が多くなる。最近はコミュニケーション能力を重んじる企業が多い。これは企業活動を協力ゲームと見なせば、理屈に合っているのかも。

一般に、ゲームが協力的になればなるほど――プレーヤー達の利害が一致するほど――コミュニケートする能力はより重要になる。
  ――第5章 二人・非ゼロ和ゲーム

 もっとも、本書の言う「コミュニケートする能力」は、俗にいうコミュ力とは少し違う。「利得=自分は何を求めるか」「戦略=自分は何をするか」を他のプレーヤーに伝える、または他のプレーヤの利得や戦略を知る能力を示す。軍は偵察や通信手段に、企業は電子メールやチャットに投資するのも、そういう事なんだろう。「無人暗殺機 ドローンの誕生」は、コミュニケートする能力の重要性がヒシヒシと伝わってくる本だった。

 もちろん、世の中はゼロ和じゃない。人類の歴史を長い目で見ると、世界の経済は成長を続けてきた。人同士や国同士は、争うより協力しあう方が、互いに得をする。それは誰もが判っているが、往々にして争いが起きる。これを確かめた実験も出ている。

被験者達はこれらのゲームを純粋競争的であるとみなしていたようにみえる。自分のパートナーを打ち負かすことはもっとも重要であった。そしてプレーヤー自身の利得は二義的なものに過ぎなかった。
  ――第5章 二人・非ゼロ和ゲーム

 この実験の結果は、とても怖い。全体の利益より自分の利益を取るのなら、まだわかる。そうじゃないのだ。自分は損をしても、相手が自分より大きな損をすればいい、そういう戦略を取る被験者が多くいた。どんな戦略を好むかは人によりけりで、本書は三つの傾向に分けている。

  • 個人主義。自分の損得だけを考えて、相手の損得には関心がない。
  • 日和見。相手の出方に合わせようとする。
  • 競争型。相手に勝つことだけに関心がある。

 協力ゲームでプレーヤー同士のコミュニケーションが許された時、どうなるか。意外な事に、最も協力を成功させたのは、個人主義者だった。それ以外は、コミュニケーションを許されても、協力の割合は増えなかった。日本ではチームワークを壊すように思われている個人主義だが、実際には最もチームワークに貢献するのだ。ただし、充分にコミュニケーションが取れている場合に、だけど。

 これを政治的な対立で考えると、更に怖い。「社会はなぜ左と右にわかれるのか」では、左派と右派の対立の原因を、倫理感覚の違いとした。それは確かにあるんだろうが、インターネットの普及に伴い、対立は更に深まっているように見える。例えば匿名掲示板などでは、互いにパヨク/ネトウヨと罵りあっている。憎み合わなければならぬほどの問題なんだろうか?

 これも、競争型を考えに入れれば、納得できる。大事なのは相手に勝つことであって、自分は損をしても構わないのだ。まあ、これは右派と左派の対立に限らず、国際的な対立、例えば経済制裁などでも、よく見かける構図だったり。

 終盤では、少数派の政党が連合政権に加わった際の影響力はどうなるか、みたいな実験もしていて、これもかなり怖い。

 文章は堅いし、序盤は数学者っぽい文章にたじろぐだろう。だが、じっくり読み進めると、後になるほど切実な内容が多くなる。さすがに入門書なのであまり深くまでは掘り下げないが、ゲーム理論が持つ底知れぬ力はヒシヒシと伝わってくる。数学の本ではあるが、政治や経済や人間関係に興味がある人こそ楽しめる本だ。

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【つぶやき】

 パソコンのハードディスクが寿命を迎えたらしいので買い替えたのはいいが、ここ数日はデータやアプリケーションの移行作業に四苦八苦。昔のMS-DOSみたく単純なコピーじゃ済まないのが辛いところ。ハードディスクの容量もメガ単位からギガ/テラ単位に増えているので、バックアップを取るにしてもやたら時間がかかるし。これからも微妙な使い勝手の違いで戸惑いそうなので、暫く更新は滞りそう。

 この本を読んだきっかけは、山田正紀の「謀殺のチェス・ゲーム 」にカブれた時。かなり戯画化しているとはいえ、追う者と追われる者の、脳髄を絞り出すような頭脳戦が楽しいアクション小説の傑作だった。

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