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2020年3月23日 (月)

マイケル・ベンソン「2001: キューブリック,クラーク」早川書房 中村融・内田昌之・小野田和子訳 添野知生監修

キューブリック「腰を落ちつけて脚本を書くんじゃない。腰を落ちつけて長編小説を書くんだ」
  ――第4章 プリプロダクション

「ジョージ朝やヴィクトリア朝がひとつの時代であるのとまったく同じように、われわれは一時代として『2001年』をデザインしたんだ」
  ――第5章 ボアハムウッド

「キューブリックといっしょに仕事をする者はいない――彼のために仕事をする者がいるだけだ」
  ――第5章 ボアハムウッド

街中へ戻ったとき、彼(フランク・プール役のゲイリー・ロックウッド)はどちらの方角を向いてもロンドンの通りが目のまえで上向きにカーブしているように見えて、そのせいで自分がわずかに前傾姿勢になっていることに気づいた。
  ――第6章 製作

キューブリック「ぼくに説明できないとすれば、きみはそれを理解していないのだ」
  ――第6章 製作

ヒトザル役のダン・リクター「ニ十分と、タオルが二本と、レオタードと、舞台があれば充分です」
  ――第7章 パープルハートと高所のワイヤ

わたしは七つの磁石を派の中に仕込んだ。
  ――第8章 人類の夜明け

暑さを別にすると、八月に(ダン・)リクターとその仲間たちの撮影が始まったとき、すぐに持ち上がった問題の一つは窒息だった。
  ――第8章 人類の夜明け

「ワルツのリズムは星の速度から生まれたものなんだよ」
  ――第9章 最終段階

けっきょく信じがたいほど信じられる異星人、もしくは信じられるほど信じがたい異星人をつくるという問題は、やたら忙しいだけで得るものなし、というかたちで終わってしまった。
  ――第10章 対称性と抽象性

クラーク「物事のやり方には、正しいやり方とまちがったやり方、そしてスタンリーのやり方があるらしい」
  ――第11章 公開

クラーク「はじめて見て理解できた人がいたとしたら、我々の意図は失敗したことになる」
キューブリック「わたしはアーサーの意見には賛成できないし、彼は冗談のつもりでいったのだろうと思っている」
  ――第12章 余波

【どんな本?】

 21世紀の現在でも傑作の呼び声が高く、映画ファンに多大な人気を誇ると共にカルトな崇拝すら集める映画「2001年宇宙の旅」。

 それまでSF映画は「チャチな子供だまし」と思われていた。だが「2001年宇宙の旅」は、この思い込みを見事に覆す。圧倒的な完成度の映像。科学・工学的に真摯な特撮。壮大かつ哲学的なストーリー。徹底的してナレーションを省き映像と音響で伝える手法。そしてMGMの屋台骨を揺るがすほどに桁外れの製作費。

 あらゆる点で掟破りの革命的な映画「2001年宇宙の旅」は、以降のハリウッドを「スターウォーズ」「未知との遭遇」「エイリアン」「ターミネーター」などの莫大な製作費をかけたSF大作への突破口を切り拓く。まさしく映画の歴史を変えた、記念的作品である。

 その革命は、どのように始まったのか。革命を仕掛けたスタンリー・キューブリックとアーサー・C・クラークは、どんな人物なのか。脚本のどこまでがクラークの案で、どこからがキューブリックによるものなのか。ランニングやスターゲートのシーンは、どうやって撮ったのか。「ツァラトゥストラはかく語りき」や「美しく青きドナウ」などの音楽は、いつ決まったのか。

 SF映画の代表作「2001年宇宙の旅」の制作過程を、大量の一次資料とインタビュウに基づいて生々しく再現する、映画ファンとSFファンが待ちかねたドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SPACE ODYSSEY : Stanley Kubrick, Arthur C. Clarke, and the Making of a Masterpiece, by Michael Benson, 2018。日本語版は2018年12月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約549頁に加え、監修者あとがき8頁。9.5ポイント49字×20行×549頁=約538,020字、400字詰め原稿用紙で約1,346枚。文庫なら上中下の三巻でもいい大容量。

 文章はこなれていて読みやすい。もちろん、映画「2001年宇宙の旅」を観た人向け。当然、映画の製作過程のネタが次々と出てくる。そのわりに、映画製作の素人にも分かるように、さりげなく工程や役割を説明しているので、意外とわかりやすい。というか、私も素人なんだが、「え、映画の撮影って、そうなの?」的な驚きが詰まっている。

【構成は?】

 お話は時系列に沿って進むが、気になる所だけを拾い読みしてもいい。

  •  主要登場人物
  • 第1章 プロローグ オデッセイ
  • 第2章 未来論者 1964年冬~春
  • 第3章 監督 1964年春
  • 第4章 プリプロダクション ニューヨーク 1964年春~1965年夏
  • 第5章 ボアハムウッド 1965年夏~冬
  • 第6章 製作 1965年12月~1966年7月
  • 第7章 パープルハートと高所のワイヤ 1966年夏~冬
  • 第8章 人類の夜明け 1966年冬~1967年秋
  • 第9章 最終段階 1966年秋~1967年-68年冬
  • 第10章 対称性と抽象性 1967年8月~1968年3月
  • 第11章 公開 1968年春
  • 第12章 余波 1968年春~2008年春
  • 謝辞/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 浅草みどり「内容を大きく変更だ!」

 …はい。相変わらずTVアニメ「映像研には手を出すな!」から頂きました。あの無茶ぶりにも驚いたけど、実は映像制作じゃよくあるケースなのだ、とこの本を読むと納得できる。

 映画「2001年宇宙の旅」の完成度は凄まじい。ストーリー、背景、台詞、演技、小道具、音楽、効果音…。すべてが計算されつくしている。そう私は思っている。きっと、製作を始める時から、キューブリックの頭の中には全部が出来上がっていたんだ、と思っていた。ソフトウェア開発で言う、ウォーターフォール・モデル(→Wikipedia)なんだろう、と。

 が、しかし。

 それはとんでもねえ勘ちがいだった。もう、ほとんど泥縄式というかアドリブ全開というか。そもそも撮影に入っても、エンディングが決まってないし。お陰でクラークは何かと酷い目にあってるw 特に切ないのが、報酬の契約の話。ちゃんとエージェントを通して契約してるんだが、そのエージェントも映画界には疎かったらしい。そのため、小説「ラスト・ドン」と同じ落とし穴にハマっちゃったり。

 もっとも、キューブリックも悪党ってわけじゃなく、むしろクラークみたいな知識人には話していて心地よい人物なんだろうなあ。なにせ周囲の人が口をそろえて「スポンジのように知識を吸い取る」と評している。知識欲旺盛で、かつ理解力があり物覚えがいい人なのだ。もっとも、カール・セーガンとは相性が悪かったようだがw

 と同時に、かなりの度胸もある人だとわかる。何せ当時のSFの立場は…

この十年ほど、SFに敬意をいだいてもらおうという試みが大々的になされていたものの、1960年代初頭、そのジャンルが社会に受け入れられている度合いは、ポルノグラフィーと五十歩百歩だった。
  ――第3章 監督

 と、悲惨なもの。そんな状況だってのに、キューブリックが目指したのはオラフ・ステープルトンばりの大風呂敷だ。そう、人間を描くんじゃない。人類を描く作品なのだから。

クラーク「彼(キューブリック)が作りたかったのは、この宇宙におけるヒトの位置を描いた映画で――そのたぐいのものは、映画史上かつて存在したことがないどころか、一度も試みられたことはない」
  ――第3章 監督

 そんなこんなでクラークと組むことになったキューブリック、両者の関係は、というと、きましたね、かの有名なやりとり。

「スタン、きみに知ってもらいたいことがある。わたしは精神的にたいへん安定したホモセクシャルだ」
「ああ、知ってたよ」
  ――第4章 プリプロダクション

 ってな感じで、小さないさかいはあるものの、全般として両者の関係は良好そのもの。もっとも、肝心のストーリーは、土壇場まで決まらす、金欠のクラークは切ない思いを味わう羽目になるんだがw

 製作に入っても、泥縄式は続く。最初から方針としては…

キューブリックの本能は、純粋に視覚的な手がかりと音響的な手がかりのほうを選んで、言葉による説明はできるだけ省く方向に動いた。
  ――第1章 プロローグ

 と、なるたけナレーションを使わず、映像で伝える方向に決まっていた。このナレーションをめぐる迷いは、最後までふんぎりがつかなかった模様。

 なかなか決まらない話は次々と出てくる。中でも、モノリスの話は印象深い。デザインがなかなか決まらず、なんとか1×4×9の立方体になったのはいいが、色と素材で迷い、数千万円をドブに捨てたネタとかは、なんとも切ないばかり。

 こういうドタバタは撮影に入っても続く。私はディスカバリー号のパートが大好きだ。無重力を感じさせる浮遊感や、地球を遠く離れた孤立感が染みる船外活動の場面。観ている時は「おお、スゲえ!」だけだが、改めて考えると、あれどう撮ったんだか。

 と同時に、あの宇宙服やヘルメットのデザインも見事。何が見事といって、不自然さが微塵もないのが凄い。もっとも、中の人の苦労は並大抵じゃなく、マジで何度も死にかけてる。しかもその理由が酷いw 宇宙服で××とか、シャレにならんw

 やはり印象的なのが、音楽。なにせ「ツァラトゥストラはかく語りき」が、バッチリ決まってる。あれこそ計算づく、と思ったら、さにあらず。映像も音楽も、ほとんど思い付きと偶然で決まったのだ。

 公開時の評判も、今からは想像もつかない状況で。いや結局は大当たりになるんだが、そこに至るまでの紆余曲折は、時代と世代の変化をつくづく感じさせてくれる。それもこれも、すべては「2001年宇宙の旅」が変えたのだ。

 などの大ネタはもちろんだが、製作に入ってからの苦労やスタッフの機転のエピソードが、やたらと面白い上にギッシリと詰まっているのが嬉しい。この凄まじい頁数は伊達じゃないぞ。少しでも特撮やSF、または映画製作に興味があるなら、無理してでも時間を割いて読む価値は充分にある。あの映画に相応しい超大作だ。

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