トム・アンブローズ「50の名車とアイテムで知る 図説 自転車の歴史」原書房 甲斐理恵子訳
自転車は個人旅行に革命をもたらし、馬に頼る近・中距離移動は終わりを告げた。
本書は、200年以上にわたって発展してきた自転車の物語を、進歩の土台となった50種からひも解いていく。
――はじめにフランスで流行しはじめたトライシクル(三輪車)は、イギリスでもすぐに広まった。1881~1886年には、自転車よりトライシクルの生産量のほうが多かったほどだ。
――12 コヴェントリー・レバー トライシクル女性による自転車世界一周は、1894年にすでになしとげられている。同じアメリカ人女性、アーニー・コブチョフスキーがその人だ。
――16 エルスウィック・スポーツ 自転車に乗った女性たち(レンタル自転車の)おもな目的は利益をあげることではなく、利用料で費用をまかないつつ都心の車の交通量を減らすことだ。
――43 ヴェリブ 都市型レンタル自転車オランダは世界で唯一、人口より自転車の台数が多い国なのだ。オランダの人口は1650万人、自転車は約1800万台存在する。
――45 ガゼル 自転車の国オランダ中国では車の5倍の電動自転車が走り、いまや世界トップクラスの電動自転車生産国でもある。毎年中国では1800万台の電動自転車が製造販売され、中国で使われている2輪車の25%以上が電動自転車だ。
――49 リビー 電動自転車
【どんな本?】
お買い物の友ママチャリ。転ぶ心配のないトライシクル(三輪車)。坂道もラクラク電動アシスト自転車。頑丈でパワフルな実用車。持ち運べる折りたたみ自転車。スマートで華麗なロードバイク。荒野を駆け抜けるマウンテンバイク。映画「E.T.」で脚光を浴びたBMX。そして寝っ転がって走るリカンベント。
ひとくちに自転車といっても、その姿や使われ方は様々だ。これらの自転車は、どのように進化・多様化してきたのか。進化の過程で、どんな技術やアイデアがどんな役割を果たしたのか。そして、どんな人々がどんな目的で自転車に乗ってきたのか。
ペダルすらない1817年のドライジーネからカーボンファイバーを駆使した現代のレース用マシンまで、50のトピックで自転車の進化を辿る、一般向けの歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The History of Cycling in Fifty Bikes, by Tom Ambrose, 2013。日本語版は2014年9月21日第1刷。単行本ハードカバー横一段組み本文約212頁。8.5ポイント32字×42行×212頁=約284,928字、400字詰め原稿用紙で約713枚。文庫本なら厚めの一冊分だが、写真がたくさん載っているので、実際の文字数は7割ぐらい。
文章は比較的にこなれている。内容も難しくはない。ただ、ダイヤモンド・フレームやスプロケットなど、自転車の専門用語が説明なしに出てくるので、素人はその度に Google などで調べる必要がある。
【構成は?】
時代別に並んでいるが、各記事はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
- はじめに
- 1 自転車の原型 庶民の乗り物を求めて
- 2 ドライジーネ フランス発の初期の2輪車
- 3 ホビーホース ダンディな若者の選択
- 4 マクミラン型ペダル自転車 両足を地面から離して
- 5 ベロシペード 前輪駆動
- 6 ボーンシェイカー 過酷なサイクリング
- 7 アリエル 危険なペニー・ファージング
- 8 ローバー 安全自転車
- 9 ファシル ドワーフ・オーディナリ
- 10 サルヴォ・クワドリサイクル マルチホイーラー(車輪の多い自転車)
- 11 コロンビア・ハイホイーラー アメリカ生まれ
- 12 コヴェントリー・レバー トライシクル
- 13 空気タイヤ 快適な乗り心地
- 14 スウィフト 事務員の自転車
- 15 アイヴェル 2人乗り自転車
- 16 エルスウィック・スポーツ 自転車に乗った女性たち
- 17 ルーカス・ランプ 夜道を照らす
- 18 ダーズリー・ペダーセン 奇抜なデザイン
- 19 モルヴァーン・スター オーストラリア横断
- 20 フランセーズ・ディアマン 初のツール・ド・フランス
- 21 スターメーアーチャー 変速ギア
- 22 ラボール・ツール・ド・フランス ねじれ剛性
- 23 オートモート 初期の長距離レース自転車
- 24 ヴィアル・ヴェラスティック マアウンテンバイク誕生前夜
- 25 ヴェロカー レース用リカンベント
- 26 ハーキュリーズ 女性レーサー
- 27 バーステル・スペシャル 6日間レース
- 28 シュル・フュニキロ 初期マウンテンバイク
- 29 ケートケ トラック用タンデム
- 30 変速機(ディレイラー) レース用ギア
- 31 ベインズVS37 1930年代の傑作
- 32 ビアンキ 偉大なるファウスト・コッピ
- 33 BSAパラトルーパー 自転車の軍事利用
- 34 モールトン・スタンダード・マーク1 折りたたみ自転車
- 35 プジョーPX10 死の山
- 36 ウーゴ・デローザ エディ・メルクス
- 37 ブリーザー・シリーズ1 マウンテンバイク
- 38 ハロー バイシクルモトクロス(BMX)の流行
- 39 ロータス108 スーパーバイク
- 40 コルナゴ タイムトライアル自転車
- 41 スコット・アディクトRC カーボンフレーム
- 42 プロ・フィット・マドン ランス・アームストロング
- 43 ヴェリブ 都市型レンタル自転車
- 44 サーヴェロS5 モダン・クラシック
- 45 ガゼル 自転車の国オランダ
- 46 マドセン カーゴ自転車
- 47 スペシャライズド・ターマックSL3 未来の勝者
- 48 ピナレロ ウィギンスのマシン
- 49 リビー 電動自転車
- 50 四角いホイール? 未来のデザイン
- 参考文献/索引/図版出典
【感想は?】
速く走ることに賭けるヒトの執念が伝わってくる。
幕あけは1791年のパリ、シヴラック伯爵のセレリフェールだ。形はドライジーネ(→Wikipedia)に近い。
木の枠組みに木の車輪を付けただけで、ブレーキはもちろんペダルもない。現代の幼児用バランスバイクみたいなモンだが、ハンドルはきれない。おかげで曲がる時は「そのつど乗り手が降り、車体を持ち上げて、進みたい方向へ向きを変えなければならなかった」。しかも値段は「乗馬用の馬なみ」。そりゃ流行らんわ。
だが何故か自転車というアイデアは命脈を保ち続ける。いや飛び飛びに、だけど。とはいえ、さすがに費用は問題で、しばらくは貴族の坊ちゃんの道楽って時代が続く。やっぱり、こういうモノの進歩には、ある程度の社会格差が必要なんだなあ。
これに動力、というか動力伝動装置がついたのが1839年のマクミラン型ペダル自転車。ただし回転させるんじゃなくて、蒸気機関車みたくペダルの前後動をシャフトでスポークに伝える。1860年代にはペダルで前輪を回すベロシペードが登場、「前輪をデカくすりゃスピードが出るよね」とペニー・ファージング(→Wikipedia)が勢いを得る。
この辺までは自転車って値段は高いわコケたら危ないわで、今でいうエクストリーム・スポーツ的な位置づけだったことが伺える。これに一石を投じだのが1876年のローバー、安全自転車だ。チェーンで後輪を動かす姿は、現代の実用車に近い。足が地面につくので安全ってわけ。
子供の頃、自転車を手に入れて、その移動能力に感動したことを覚えているだろうか? あれは、自由の味だ。移動手段を得ることは、自由を得ることでもある。これは女性解放論者にも影響を及ぼす。ただ、スカートで乗るには、トップチューブ(→Wikipedia)が邪魔になる。これを解決したのが1912年のエルウィック・スポーツ。トップチューブをなくし、今のママチャリに近い形になった。
とかの進化を辿るのも面白いが、最も気にった記事は「33 BSAパラトルーパー 自転車の軍事利用」。そう、自転車と軍事の話だ。
先陣を切ったのはイギリス陸軍。1885年の演習で偵察隊が自転車で活躍してる。もっとも、1890年に作った8人乗り8輪車は、さすがに失敗したけど。誰か止める奴はいなかったのかw さすがパンジャンドラムの国w もち成功した例も多く、ボーア戦争ではニュージーランド軍兵士が自転車でボーア人騎兵隊を追い捕まえている。馬より自転車の方が速いのだ。飼葉も要らないしね。
ドイツ軍も電撃戦では…
第2次世界大戦(略)ドイツ軍は(略)ベルギーやフランスへ先頭をきって侵攻する戦車の後ろには、何千台もの自転車が走っていた。
――33 BSAパラトルーパー 自転車の軍事利用
と、歩兵は自転車でグデーリアンを追いかけたのだ。同時期にマレー半島を南下した帝国陸軍の銀輪部隊も出てくるが、「ただし使用されたのは日本製ではなくマラヤ製」だった。日本から送るには船に積む空間が足りず、しかも現地で手に入るってんで、現地で調達…と言えば聞こえはいいが、ようは奪ったわけ。そりゃ恨まれるよ。
もっとも、そのドイツ軍もベルリン防衛戦では少年兵が自転車にパンツァー・ファウスト(対戦車バズーカ)を括り付けてソ連の戦車T-34に立ち向かう、なんて無謀な手に出てるんだけど(→「ベルリン陥落」)。
この知恵を継いだのが北ベトナム軍で、かの有名なホーチミン・ルートの補給は、自転車が活躍している。
フランス相手の第一次インドシナ戦争では、「6万台の自転車」が食料と弾薬を運んでいる。もっともフランス製プジョーを改造して「200キロ以上の荷物を運べるよう」にしてあるんだけど。写真も載ってて、さすがに人が載って漕ぐんじゃなく、押して歩いてる。しいまいにゃ「救急車」まで作ってて、彼らの工夫の才には敬服するばかりだ。
もちろんロータス108などスピードを追求した過激なレース用自転車も迫力のフルカラーでたくさん載っており、眺めているだけでも充分に楽しめる。
馬やエンジンなど他の動力に頼らず、自分の力だけで、なるべく長い時間と距離を速く走る。自転車は、ただそれだけが目的のマシンだ。にも関わらず、ヒトはその時々の最新テクノロジーを取り入れ、ひたすらに高速を追及したり安定性を求めたりして、豊かなバリエーションを自転車にもたらした。その歴史は未だ発展途上で、多くの可能性を秘めている。
歴史を辿ると共に未来への期待が膨らむ、ちょっと変わった技術史の本だ。
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