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2020年3月11日 (水)

飛浩隆「零號琴」早川書房

「ジャリー・フォームの少年よ、覚えておきたまえ。磐記は怪獣の都なのだ」
  ――p27

「勝ち負けの世界にしているのはワンダよ。あのひとは何にでも殴り込みをかけるの」
  ――p175

「いい機会だ。とっくり教えてやるよ」
  ――p273

「これは地下から――文字どおりの地下ではなく、皆さんの中にある『地下』から何かを取り出すお話です」
  ――p306

いまわたしは最終回の「その先」にいる。
  ――p430

美縟が美縟であり続けるにはわたしは戦わなければならないのだ。
  ――p499

「<零號琴>とは、いったい何なのだ?」
  ――p551

【どんな本?】

 寡作なベテランSF作家の飛浩隆が、それまでの芸風をかなぐり捨て、思い切り娯楽に徹した長編SF小説。

 遠未来。人類は<行ってしまった人たち>の遺産を手に入れる。遺産を利用し外宇宙へと進出した人類は、銀河系の一部、快適に整備された<轍>世界へと広がった。その<轍>世界のそこかしこは、<行ってしまった人たち>が遺したとおぼしき、様々な特殊楽器が埋まっている。

 特殊楽器技芸士は、特殊楽器の専門家だ。その一人エルジゥ・トロムボノクと相棒シェリュバンに、大富豪のパウル・フェアフーフェンから依頼が入った。まもなく美縟の首都<磐記>は開府五百年祭を迎える。美縟には独特の文化「假劇」があり、人々は週末に假面をつけ町に繰りだし、假劇を楽しむ。特に五百年祭では、世界最大級の特殊楽器である美玉鐘が、秘曲<零號琴>を五百年ぶりに奏でるだろう。

 大富豪パウル、その娘で假劇作家のワンダ、五百年祭を司る咩鷺、そしてセルジゥとシェリュバン。それぞれが思惑を隠し持ちながら、謎を秘めた美縟へと集まる。<零號琴>とは何か、假劇は何を表すのか、そして美縟の真の姿は。

 ベテラン作家がイマジネーションを駆使して描く、壮大なオペラ。

 2019年の第50回星雲賞日本長編部門受賞のほか、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」のベストSF国内篇でもトップに輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 SFマガジン2010年2月号~2011年11月号に連載した作品を改稿したもの。2018年10月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約591頁に加え、著者の「ノート」3頁。9ポイント45字×20行×591頁=約531,900字、400字詰め原稿用紙で約1,330枚。文庫なら2~3巻の巨編。

 見慣れない漢字や奇妙な当て字がたくさん出てくるのを除けば、意外と文章はこなれていて読みやすい。ただアイデアをギッシリ詰めこんだ濃いSFなので、相応の覚悟をして挑もう。いや科学とかはかなりアレなので理科は苦手でも大丈夫だが、イカレきった発想のネタが次々と出てくるのだ。ついていくには、ソレナリに頭を柔らかくしておこう。

 なお、作中で重要な役割を果たすカリヨン(carillon,→Wikipedia)は、キーボードで鐘を鳴らす楽器だ。Youtubeにも、バッハのトッカータとフーガ などがある。パイプオルガン同様、楽器というより建物と呼ぶのが相応しい規模のメカだが、街全体に鳴り響く音の大きさはパイプオルガンすらしのぐ。移動や調律の難しさもあり、楽器の皇帝と言えるかも。

【感想は?】

 オトナが真剣かつ全力で仕掛けた悪ふざけ。

 假面や假劇なんてネタは、ジャック・ヴァンスの「月の蛾」かな、と思ったが、アレを遥かに深化したシロモノだった。

 <行ってしまった人たち>の設定はありがちだが、それに<行ってしまった人たち>なんて投げやりな名前なのは、「肩の力を抜いて楽しんでください」的な著者のメッセージだろうか。なにせハードカバー600頁近い大作だ。どうしても読む方は力が入ってしまう。が、その中身は、池上永一の「シャングリ・ラ」に匹敵する、お馬鹿で楽しいアイデア満載の娯楽作だったり。

 そんなワケで、真面目に検証しちゃったら、アチコチにかなりの無茶はあるが、あまし真面目に突っ込んではいけない。

 例えばエルジゥが面倒を見る特殊楽器の美玉鐘。つまりはカリヨンの化け物なんだが、スケールが違う。そもそもカリヨンがやたら大げさでパワフルな楽器だ。キーボードの鍵を叩くと、それぞれの音程に応じた鐘を鳴らす。鍵ったってピアノやオルガンみたく指で弾くんじゃない。ぶっとい棒を腕で叩く。しかも、鳴るのが鐘である。その音は街中に鳴り響く。これが美玉鐘ときたら…。

 音楽が好きな人にとっては、夢…というより悪夢のような楽器だw

 なんちゅうお馬鹿な楽器だ、と思うのだが、この美玉鐘とセットになる假劇が、「たしかにコレは美玉鐘でなきゃ務まらん」と納得するぐらいに狂ったシロモノで。なにせ舞台は磐記の街そのものであり、演じる役者は祭りの参加者全てなのだ。うーん、まるきしSF大会だ。となると、台本や台詞は? と疑問がわくが、ソコは假面に仕掛けがあって。あなた、人間やめる覚悟はあります?

 他にも亞童などSFな仕掛けが満載なのだが、それに加えてプリキュアをはじめとする漫画やアニメのネタも随所に仕込んであるから油断できない。そもそも冒頭のアヴァンタイトルからして、「魔法少女まどか☆マギカ」みたいだし、かと思えばオッサンにしか通じないネタもチラホラ。そうか、浩一君は桃太郎だったのかw

 もちろん、それらを馬鹿にしているワケじゃない。むしろ、台本を任されたワンダの苦悩は、二次創作に勤しむ者への応援歌でもあり、だからこそ冒頭に「まどマギ」を持ってきた、とすら思えたりする。そして、ワンダの書く台本も、この作品そのものと二重写しになっている仕掛けが、これまた見事。

 とはいえ、そういう世界の怖さ?もキチンと描いてるのが、この作品の楽しいところ。ハズミで巻き込まれたシェリュバンが、その道のベテランたちに凄まれるあたりは、「なんちゅう地雷を…」などと哀れんだり笑ったり。

 などの小ネタを次から次へと繰り出しつつも、肝心の美縟の真実に迫るあたりでは、「物語」そのものが持つ力への畏怖すら沸きあがってくる。だとすると、轍世界の仕掛けは、沼にハマり込み先人の莫大な遺産をヌクヌクと楽しんでいる我々の鏡像かな? なんて真剣に考え込むスキを与えず、ここでまた有名な小ネタを炸裂させるから憎い。

 エルジゥもシェリュバンも、実は重い背景を背負っているにも関わらず、こういう風に使われると、思わず笑っちゃうからなんともw ホント、最後までサービス精神旺盛な作品だ。

 こんな風に書くと、長い人生を浪費してネタを蓄積してきた年寄り向けの作品みたく思われるかもしれないが、もちろんそんな事はない。肝心のSFなガジェットも満載だし、物語は二転三転でドンデン返しの連続で、最後まで興奮は収まらない。パウル・フェアフーフェンの緻密にして稀有壮大な目論見、美縟の奇想天外な秘密、そして飽くまでも先を目指そうと足掻く人の姿。

 幾つものイロモノなネタをぶち込みつつも、SFとしての王道をキッチリと貫き通した、21世紀に相応しい豪華絢爛な娯楽SF大作。奇想天外でとにかく面白い小説が読みたい人向け。

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