バーツラフ・シュミル「エネルギーの人類史 上・下」青土社 塩原道緒訳 1
エネルギーは、唯一無二の普遍通貨だ。
――第1章 エネルギーと社会要するに、鎌と犂がなければ大聖堂はできなかっただろうし、ヨーロッパ人の発見の旅もなかっただろうということだ。
――第3章 伝統的な農耕 共通性と特異性一般に季節ごとに必要となる水の総量は、収穫される穀物の質量の約一千倍とされる。
――第3章 伝統的な農耕 集約化への道農耕の根本的な変化という点で、漢に匹敵しうる時代はほかにない。以後の進歩は緩慢で、西暦14世紀を過ぎると、地方の技術はほぼ停滞した。
――第3章 伝統的な農耕 持続と革新
【どんな本?】
文明を維持するにはエネルギーが必要だ。作物を育てるには日光が要るし、畑も耕さなきゃいけない。灌漑するにも水路の建設と浚渫が欠かせない。料理や暖房や照明、移動・輸送・建築にもエネルギーを使うし、金属の採掘や冶金もエネルギーがあればこそだ。
文明化以前はエネルギーの大半を人力に負っていた。やがてウシやウマなど家畜の力も使いはじめ、風力も帆船などで古くから使われている。単にエネルギーの総量ばかりでなく、利用効率にも進歩がある。野原での焚火はエネルギーの大半が無駄になるが、高炉を使えばエネルギー効率はグンと上がる。
人類はどんなエネルギーを使ってきたのか。エネルギー源はどこから調達したのか。エネルギーを価値のある仕事に変換するのに、どんな工夫をしいたのか。それぞれのエネルギーの総量はどれぐらいで、変換効率はどの程度なのか。
ジュールやワットなどの単位を駆使して、人類史をエネルギーの観点から捉えなおす、今世紀ならではのユニークな視点による歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Energy and Civilization : A History, by Valcav Smil, 2017。日本語版は2019年4月10日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで上下巻、本文約370頁+375頁=745頁に加え、訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×18行×(370頁+375頁)=約603,450字、400字詰め原稿用紙で約1,509枚。文庫なら上中下の三巻に分けてもいい大容量。
文章はやや硬い。まあ青土社だし、そこはお察し。だが内容は意外とわかりやすい。世界中を行き来するので、世界地図か Google Map があると便利だ。またキロ・メガ・ギガなどのSI接頭辞(→Wikipedia)を覚えているといい。よく出てくるのは三つ、キロは千、メガが百万、ギガは十憶。
【構成は?】
第1章は「本書を読む上での注意事項」みたいな役割なので、必ず最初に読もう。それ以外の上巻は、テーマごとにほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。下巻はまだ手を付けてないです。
- 上巻
- 第1章 エネルギーと社会
- 流れ、貯蔵、管理
- 概念と尺度
- 複雑さと注意事項
- 第2章 先史時代のエネルギー
- 狩猟採集社会
- 農業の起源
- 第3章 伝統的な農耕
- 共通性と特異性
畑仕事/穀物の優勢/作付けの周期 - 集約化への道
輓獣/灌漑/肥沃化/作物の多様性 - 持続と革新
古代エジプト/中国/メソアメリカ文化圏/ヨーロッパ/北アメリカ - 伝統農業の限界
達成されたこと/栄養分/限界
- 共通性と特異性
- 第4章 産業化以前の原動力と燃料
- 原動力
生物のパワー/水のパワー/風のパワー - バイオマス燃料
木と木炭/作物残渣と畜糞 - 家庭での需要
食事の支度/暖房と照明 - 輸送と建築
陸上輸送/櫂船と帆船/建造物 - 冶金
非鉄金属/鉄と鋼 - 戦争
生物エネルギー/爆薬と鉄砲
- 原動力
- 下巻
- 第5章 化石燃料と一次電気と再生エネルギー
- 重大な移行
石炭採掘の始まりと広まり/木炭からコークスへ/蒸気機関/石油と内燃機関/電気 - 技術的イノベーション
石炭/炭化水素/電気/再生可能エネルギー/輸送の原動力
- 重大な移行
- 第6章 化石燃料文明
- かつてないパワーとその利用
農業におけるエネルギー/産業化/輸送/情報とコミュニケーション/経済成長 - 結果と懸念
都市化/生活の質/政治的影響/兵器と戦争/環境の変化
- かつてないパワーとその利用
- 第7章 世界の歴史の中のエネルギー
- エネルギー利用の主要なパターン
エネルギーの時代と移行/長期的傾向とコスト低下/変わっていないことは何か? - 決定論と選択の狭間で
エネルギーの必要と利用からの要請/コントロールの重要性/エネルギー説明の限界
- エネルギー利用の主要なパターン
- 補遺
- 基本尺度
エネルギー関連の進歩 - 科学的単位とその倍量および分量単位
- パワーの歴史
- 基本尺度
- 参考文献に関する付記/参考文献/訳者あとがき/事項索引/人名索引
【感想は?】
理系大喜びの歴史書。
そう、本書にはワットだのジュールだのといった、力学の単位がしょっちゅう出てくる。しかも「どうやってソレを計算したか」の過程も。数式にこそなっていないが、文章が示すのは加減乗除の計算式だ。数字が好きな人なら、思わずニタニタしてしまう。
特に喜ぶのは工学系だろう。往々にして工学系は、効率を重んじる。投入するエネルギーや原材料に対し、どれだけの成果が得られるかが、工学の重要なテーマとなる。判りやすい例が、自動車の燃費だ。1リットルのガソリンで、より多くの距離を走れるエンジンを求め、自動車メーカーは日々研究を積み重ねている。
自動車は判りやすいが、農業に当てはめるとなると、なかなか難しい。のだが、本書ではあの手この手で換算を試みる。例えば、1ヘクタールの畑を耕すのに、何ジュール必要なのか。同じ量のエネルギーを作物から得るには、何トンの収穫があればいいか。
人間には基礎代謝があるので、その分を必要なエネルギー量に加える。蒔いた種の中には芽吹かぬものもあるので、その分を収穫量から割り引く。また小麦は製粉時に、米も精米時に相当量を失うので、それも割り引く。貯蔵中にカビや虫やネズミに食われるので、その分も勘定に入れる。米と小麦では重量当たりのエネルギー量が違うので、表にして比べる。
…なんてことを、農業の項では延々とやってたり。ここでは、「どうやって計算するか」も楽しいが、それ以上に「どこから数字を持ってきたか」「その数字の値はどれぐらいか」も楽しい。というか、そういうのを楽しめる人向けの本なのだ。
ヒトは直感的にこう考える。「投入するモノを増やせば、得られるモノも多くなる」。農業だと、例えば畜獣の利用だ。ウシやウマに犂を曳かせれば、より多くの畑を耕せる。その通りなのだが、ウシとウマでは最大出力も燃費も違う。ウシと比べウマは最大出力が大きいが、燃費が悪い。ウシは藁や籾殻を与えればいいが、ウマには穀物を食わせないと力が出ない。その点、スイギュウは意外と優秀で…
ってな、単純なエネルギー収支の話も面白いが、ヒトはカロリーだけじゃ生きられない。他の栄養素だって必要だ。また、同じ土地で同じ作物を作り続ければ、土地が痩せてしまう。
これを補う代表的な方法が、輪作だ。コムギやコメなどの穀物と、マメ類を交互に作る。土地が痩せる最大の原因は、土中の窒素の不足だ。穀物は土中の窒素を消費するのに対し、マメ類(の根粒菌)は窒素を補給する。と同時に、食べればタンパク質も補給できる。ただし単位面積当たりの収穫量だと、マメ類は穀類の1/3~1/2と少ないのが痛いところ。
そんな風に、ヒトは農業技術を発達させてきた。まあ発達というか、最適化ですね。ところが、最適化にはソレナリのオツリがある。開拓すれば野獣が減り、狩りの獲物が減る。輪作で安定した収穫が得られるなら、同じ作物を延々と作り続ける。豊かになれば、それだけ人口も増える。その結果…
…伝統農業の千年を通じて、一人当たりの食物供給量に明らかな上昇傾向はない…(略)そしてたいていの場合、時代が新しくなるほど食の多様性が薄まっていた。
――第3章 伝統的な農耕 伝統農業の限界
と、マルサスの罠(→Wikipedia)にまんまとはまったのですね。
などと第3章ではエネルギーの面から農業を計算したのに続き、第4章では燃料・輸送・建築・冶金・戦争などを、やはりエネルギーの面から計算する。ピラミッドの建設方法が現代でもよくわからないってのは意外だった。てっきり斜面を作って石を持ち上げたのかと思ってたんだが、それにしては斜面の遺物が残っていないとか。
「木材と文明 」や「森と文明」にあるように、やはり都市は森を食いつぶすようで、本書では冶金での浪費が印象深い。
…燃料となる木材を手に入れられるかどうか、そしてのちには、大型化するふいごやハンマーの動力となる水力を確実に利用できるかどうかが、冶金の進歩を左右する決定的な要因だったのである。
――第4章 産業化以前の原動力と燃料 冶金
薪と木炭ぐらいしか燃料のない時代には、森が主なエネルギーの供給源だったのだ。特に製鉄での木炭は優秀で、単位質量あたりの熱量が薪より40%ほど多いだけでなく、余計な水分がないのでより高い温度を得られる上に、純粋な炭素で硫黄やリンなどを含まないため、鉱物を汚染させない。
ただし品質には代償があって、「窯で生産された木炭の量は一般に、空気乾燥させた木材の生産量の15%~25%ぐらいしかなかった」。7割以上も量が減っちゃうんですね。その結果…
明らかに、古代の製錬は地中海沿岸地方の森林破壊の主たる原因だったのであり、南コーカサスでもアフガニスタンでも事情は同じだった。そして燃料となる木材が少なくなった結果、その土地での製錬はしだいに縮小せざるを得なくなったのである。
――第4章 産業化以前の原動力と燃料 冶金
現代のアフガニスタンは砂漠が広がる不毛の地みたいな印象があるけど、実はヒトが森を食いつぶした結果みたいだ。
と、上巻では化石燃料以前の人類史を、敢えてジュールやワットなどの単位を用いて語るという、独特の視点の衝撃が大きい本に仕上がっている。これから読む下巻が楽しみだ。
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