ウィリアム・ギャディス「JR」国書刊行会 木原善彦訳
…この読書体験は、喫茶店や電車で隣に座った人たちの会話を聞いてその背景にある人間関係と出来事を想像するのに似ている。
――訳者あとがき――先生が自分のお金は自分のために働かせなさいって言ったら、おまえは先生に言い返してやるんだ。コツは他人のお金を自分のために働かせることだってな、分かるか?
――p148…こっちが話していることをまったく別の世界に当てはめようとしているみたいな感じ。
――p314…君はただ、嘘をつく相手が欲しいだけなんだ。
――p440…ルールも知らんやつが乗り込んできて、みんなのゲームを台無しにするパターンだな。
――p533…単語一つで話が済むところに二十個の単語を使うのが弁護士だからな。
――p635「目的地に着くまでが楽しいのだ」
――p674――彼は今日のアメリカを作り上げた伝統的な思想と価値観にその身をささげている
――p802新聞は不幸な記事だらけ、人の不幸を読めば誰でも元気が出る
――p824
【どんな本?】
アメリカの作家ウィリアム・ギャディスが1970年代に発表した、独特の文体による金融ブラックコメディ。
文章の大半は会話で進む。ただしハッキリと話者は示さない。会話の内容も自然な発話に近く、言いよどみ・言い間違い・繰り返しなどを多く含む、独特の文章作法を押し通している。
1970年代前半、ニューヨーク周辺。
ゼネラル・ロール社の社長トマス・バストが亡くなった。彼の持っていた株と同社の経営権を巡り、残された者たちが動き出す。現在、主な株を持つのはトマスの姉アンとジュリア,トマスの兄ジェイムズ,ジェイムズの息子エドワード,トマスの娘ステラ・エンジェル,ステラの夫で同社の経営者ノーマン・エンジェル,そしてノーマンの元同僚ジャック・ギブズなどだ。台風の目玉は相続権のあるステラだが、状況次第ではエドワードにも相続権が生じる可能性がある。
初等学校の校長と銀行の頭取を兼ねるホワイトバックは、今日も苦情の処理で忙しい。学内テレビは不調が続き、そのテレビが映す授業をめぐって住民からは苦情が殺到し、教師は何かといっては欠勤し、予算の確保と使い道では悶着が続き、学内ではヤバいブツが売り買いされている。
JRは11歳。社会科見学でウォール街を見学した際に金融取引に興味を抱く。実習として学級の資金で買った株を元手として、陸軍放出のフォークを海軍に転売し稼いだのを手始めに、お人好しのエドワード・バストを抱き込んで次々とビジネスを仕掛けてゆくが…
地口・シモネタ・勘ちがい・行き違い・ドタバタなどのギャグから、古典文学や流行歌などの引用をふんだんに盛り込み、ソープオペラ風の饒舌で突っ走る、ユニークかつクレイジーな巨大小説。
2019年の第五回日本翻訳大賞受賞。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は J R, by William Gaddis, 1975, 1993。日本語版は2018年12月29日初版第1刷発行。私が読んだのは2019年2月1日の初版第2刷。単行本ハードカバー縦二段組み本文約872頁に加え、訳者あとがき10頁と訳注が豪華35頁。8.5ポイント28字×23行×2段×872頁=1,123,136字、400字詰め原稿用紙で約2,808枚。文庫なら5~6冊になる巨大容量。はい、鈍器です。
ズバリ、とっても読みにくい。
いや文章そのものはこなれているんだ。内容も特に専門知識は要らない。当時のアメリカの風俗や俗語が次々と出てくるけど、ひっかかりそうな所は訳注で補ってある。
じゃ、なぜ読みにくいかというと、これは著者と訳者の企みによるもの。
まず、背景の説明がほとんどない。文章の大半が会話だ。ただし、誰が喋っているのかは、ハッキリと示さない。誰の言葉かは、内容で読者が推し量る必要がある。
それだけでもシンドいのに、話し手の大半が人の話なんざ聞いちゃいねえw 隙さえあれば、いや隙があろうとなかろうと、思いつけば人の話をさえぎって喋りだす。しかもその思いつきは相手が話しているテーマと全く関係ない。そのため、たいていの文章は尻切れトンボで終わるし、お喋りのテーマは次々と脱線していく。正直言ってこれはかなりイライラする。
なんというか、この記事の最初の引用にあるように、「たまたま近くにいた人たちの会話を盗み聞きする」感じなのだ。一台のカメラ&マイクが拾った映像を文章に書き起こした、とでも思って欲しい。
というのも、時系列は一直線だし、各時間での視点も一つだけ。視点が動く時は、いずれかの登場人物と共に動く、または電話の相手へと移るからだ。ちなみに電話での会話は、どちらか一方の喋りだけが書いてある。
または、浮遊霊が次々と登場人物に乗り移って見聞きした話、を思い浮かべてもいい。そういう意味では、京極夏彦の「豆腐小僧」シリーズに似ているかも。いやもちろん、肝心の豆腐小僧などの妖怪は出てこない、または黙って記録を続けるカメラ&マイク役なんだけど。
そんなワケで、読み始めはかなりシンドい。遠慮なく訳者あとがきから読もう。もちろん、豪華な訳註もとても役に立つ。というより、不注意な読者にとって、特に終盤での訳注は必須だ。大丈夫、大事なネタバレは避けた上で、重要な設定を説明し、なおかつ読む際の注意点を親切に教えてくれる。
そうやって辛抱して読み進めていくと、次第にレンズのピントが合ってくるように、場面ごとの情景が次第にクッキリ見えてくる。ノーミソがこの小説に適応した、とでもいうか。私の場合、見えてきたのは400頁を越えたあたりだ。
そんなんだから、心身ともに充分に調子を整え、じっくり腰を据えて挑もう。
【感想は?】
ジョークの迷宮、とでもいうか。
お話は、思いっきり黒く下品にした映画「チャンス」かな。何も知らない素人が株や債券や先物取引に手を出し、素人ならではのイカれたアイデアで成功を収め、周囲の大人たちが勘違いでキリキリ舞いすると同時に、政治・経済界に大混乱を引き起こす、そんな話だ。
その素人役がタイトル・ロールのJR、11歳の少年、というよりクソガキと呼ぶのが相応しい。子供だとバレると困るので、姿を隠してアレコレと指示を出すのだが、彼が成功を収めるにつれ虚像も膨れ上がってゆく。
とかの本筋はもちろん大笑いなんだが、むしろ重要なのは会話のアチコチに注意深く仕掛けられたギャグの数々だろう。
序盤は罠を仕掛ける段階なので、あまり凝ったギャグはない。その分、語呂合わせの地口やお下劣かつ不謹慎なシモネタが満載だ。お下劣って点ではドリフターズの加藤茶を更に酷くした感じ(アンタもスキねえ、とか)だが、カトちゃんが多用する「間」がほとんどなく、テンポがやたらと速い。不謹慎とテンポって点ではビートたけしが二人いるツービートかも。いや例えが古くてごめん。
とはいえ、ツービートはうなずき役のビートきよしが居たから漫才になってたわけで、ビートたけしが二人じゃギャグが完結しない。というか、客は笑い声をあげるタイミングを見失う。実際、この作品はそういう構成を取っていて、読者は自分で笑うタイミングを掴む必要がある。これは慣れるまでかなり苦労するんだが、そうするだけの価値はあります。
もう一つビートたけしが二人で困るのは、双方が相手かまわず喋りまくる事だ。これも本書の性質そのままで、たいていの会話は綺麗に終わらない。誰もが相手の話が終わるのを待たずに口をはさみ、しかも相手の主題とは関係ない話題へと際限なく脱線してゆく。かなり我慢を強いられる構成だが、この脱線にも重要な意味(というかギャグの仕込み)があったりするから油断できない。
加えて、誰が話しているのかは明確に示さないからタチが悪い。本人の名乗りがあれば親切な方で、会話中にある相手への呼び掛けや、ちょっとしたアイコンで読者が判断しなきゃいけない。例えば主人公のJRは、短い鉛筆,灰色地に黒のダイヤモンド柄のセーター,折り鞄,「やば(ホーリー)」などの口癖で識別するのだ。
もっとも、中には他の者に成りすましたり、その場しのぎのデタラメをデッチあげる奴がいるので、これまた油断できないんだけど。ジャック・ギブス、お前のことだよ。
人間ってのは不思議なもんで、そういった細かい所を注意深く読んでいると、なぜか次第にピントが合ってくる。先に書いたように、私は全体の半ば、400頁ほどもかかったけどw
そんな小説のどこが面白いのかというと、これが実に説明しにくい。なにせ仕掛けの大半がギャグなんで、ネタを明かしちゃったらギャグにならない。言えるのはせいぜいウンコ・オシッコなどガキが喜ぶ類の地口ぐらいで、JRが手がける事業の出鱈目さとその影響ときたら…。これは終盤のジョン・ケイツ知事の場面で、それまでに仕掛けた地雷が次々と炸裂し、ギャグが怒涛の如く押し寄せてくるので覚悟しよう。
にしてもケイツ、トコトン嫌な奴ではあるが、相方のゾウナ・セルクはジョンに輪をかけてムカつく奴で。そりゃデレセレアも逃げ出すよ。彼女の逃げ方も、「そりゃそうだろうな」と思わずにはいられない。
もう一つ、この文体には意外な効果がある。というのも、少しだけあるベッドシーンが案外とイケるのだ。ここは珍しく会話がなく情景描写だけなのだが、他と同様、ハッキリとナニがナニをしてるのか示さない。お陰で読者は思いっきり集中して想像力を駆使しなければならず、それが功を奏して場面を美味しくしたり。
また、著者もあまり儲からない作家だったらしく、作中に登場する作家志望の人物や、その配偶者の話は、なんとも生々しくて泣けてくる。アイゲン夫妻の会話など、作家志望の人は胃がキリキリ痛むんじゃなかろか。
否応なく読者に細心の注意を強いる構成で緻密に伏線を張りつつ、その伏線の先に待ち受けるのは、しょうもないギャグや真っ黒いジョーク。これを著した技巧には兜を脱ぐが、なにもギャグのためにそこまでせんでも、ってな気もする。間違いなく超ド級の問題作だが、その実体はマシンガン・トークのソープ・オペラやスラップスティックなわけで、この作品の存在そのものが文学に対する大掛かりなジョークなのかもしれない。
あ、それと、言うまでもないけど、通勤列車で読むのには向きません。物理的にも、内容的にも。周囲から「変な人だ」と思われつつ筋トレしたいなら話は別だけど。
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