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2019年9月10日 (火)

バーバラ・W・タックマン「遠い鏡 災厄の14世紀ヨーロッパ」朝日出版社 徳永森儀訳 2

シャルル五世「彼ら(イングランド軍)をほっておけ。彼らは自滅するだろう。」
  ――第17章 クシーの出世

「われわれは同じ両親、アダムとイヴの子孫ではないのか?」
  ――第18章 獅子に立ち向かう地の虫

前もって地形を偵察することは、中世の戦争行為の一部ではなかった。
  ――第19章 イタリアの魅惑

金がなければ戦いもないというのが、騎士の時代の標準であった。
  ――第19章 イタリアの魅惑

聖職者フィリップ・ド・メジアー「世界の偉大なる貴婦人の一人――虚栄――に対する騎士道的愛によって動機づけられた贅沢と訓練不足によって崩壊した、前回の軍事作戦と同様になるであろう」
  ――第26章 ニコポリス

ハンガリー国王シギスムント「我らはこうしたフランス人の誇りと虚栄によって敗北した」
  ――第26章 ニコポリス

裁判の前に、彼女(ジャンヌ・ダルク)のおかげで王冠を手にしたのにシャルル七世も、またフランス側の誰も、彼女を身代金を払って取り戻したり、救う努力をしなかった。恐らくその理由は、一人の村娘によって勝利に導かれたことに対する貴族の恥辱によるものであったろう。
  ――エピローグ

 バーバラ・W・タックマン「遠い鏡 災厄の14世紀ヨーロッパ」朝日出版社 徳永森儀訳 1 から続く。

【どんな本?】

 凶作が続き、黒死病が猛威を振るった、14世紀のフランス。庶民の苦しみをよそに、騎士たちは贅沢に明け暮れ、貴族らは勢力争いに執心し、ついには教皇庁まで分裂してしまう。戦争に慣れた男たちは傭兵団コンパニーとして各地を荒らしまわり、または金で雇われ戦場で略奪を堪能する。そんな折、東から不吉な足音が迫っていた。

 当時のフランスの有力貴族、クシー領主アンガラン七世(→Wikipedia)を中心に、14世紀フランスの全てを描き出そうとする、巨大な歴史書。

【全般】

 第一部では、14世紀フランスをじっくりと描き、当時の人々の暮らしや勢力争いなどの背景を書き込んでいった。この第二部では、やっと主役のクシー領主アンガラン七世が表に出てくる。そのためもあってか、登場人物も王や貴族が中心となり、複雑な人間ドラマが展開してゆく。

【クシー】

 主役クシーの立場は、日本の江戸時代だと加賀前田蕃が近いだろうか。格も勢力も尾張・紀州・水戸の御三家に次ぐ実力者だ。跡目争いもあり、時として江戸に対抗しがちな御三家に対し、ほぼ王=将軍に忠実で、信頼も厚い。

 加えて、平和だった江戸時代と違い、当時のフランスは内外共に戦争が多い。フランスばかりかイタリアやチュニス、そしてハンガリーにまで出征している。その戦場の多くでクシーは戦い、優れた戦績をあげた。

 この本は、クシーを主人公としながらも、あまり人物像には踏み込まない。あくまでも歴史書であって、小説ではない、そういう立場だ。契約書や請求書などの事務的な文献から、彼の姿を浮き彫りにしようとしている。対して、彼の周囲の人物、例えば国王シャルル五世・六世は、本書の描写でぼんやりとだが姿形が思い浮かぶだけに、そんな著者の姿勢は何か意図がありそうだ。それが何なのかはわからないけど。

 波乱万丈の権力抗争が展開する中で、クシーは修羅場を巧みにかいくぐり、領地と財産を着実に増やしていったようだ。特に外交の手腕は見事で、縁戚を利用したイングランドや毒蛇が絡み合うイタリアなど、あちこちでフランスの命運を左右する重要な外交問題に関わっている。

 戦場に出ることも多く、何度も外征に従事し、生還を果たしていることから、軍人としても秀でていたのがわかる。ただし、戦略よりは自らの政治的な立場を重んじるタイプで、これがニコポリスの戦い(→Wikipedia)では命取りとなった。

 全般として、賢明で穏健な保守派、といったところか。理性的で賢いが、あくまでも当時の常識の範疇であり、時代の枠を壊すまでには至らない、そういう人だろう。

【庶民】

 騎士やコンパニーに痛めつけられ続けた庶民たちは、第二部でも何度も反乱を起こす。たいていは鎮圧されるのだが、唯一の勝利がスイスのゼンパッハの戦い(→コトバンク)。

 この戦いには、大きな意味がある。既にクレシーの戦い(→Wikipedia)やポアティエの戦い(→Wikipedia)で前兆があったように、騎士の時代が終わりつつあったのだ。

 地元ならではの地の利があったこと、起伏の多い地形で騎士お得意の騎馬突撃が活かせなかったこと、指揮が統一されていたことなど、いくつかの条件が重なったんだろうが、騎士が無敵という伝説は崩れてきた。

 それを予感してか、フランスも14世紀末に庶民を戦力に加えようと、庶民による弓部隊の結成を考えるが…

弓と大弓の練習が非常に普及した期間の後、貴族たちは、庶民が貴族の領地に反対するのに効果的すぎる武器をもつことになることを恐れ、(ダイスやトランプなどの)ゲーム禁止を廃止することを主張した。
  ――第25章 失われた機会

 反乱を恐れて軍事力の強化をワザと怠る。現代でもアラブなどの専制国家でよく見られる現象ですね。

【ニコポリス】

 こういった貴族や騎士の傲慢は、「第26章 ニコポリス」で頂点に達し、一気に転げ落ちてゆく。

 タイトル通り、描かれるのはニコポリスの戦い(→Wikipedia)。台頭しつつあるオスマン帝国が、ドナウ川を遡って西へと向かって進撃を始める。これを迎え撃つために、ハンガリー国王シギスムントが十字軍を要請、フランスの騎士を中心としたキリスト教軍が現ブルガリアのニコポルを攻めた戦いだ。

 この章は第二部の要約みたいな感がある。つまり、騎士の愚かさを、これでもかと執拗に描き出しているのだ。

 出発前から大行列と大宴会で無駄に金と時間と物資を浪費する。浪費は道中も同じで、食料が尽きれば途中の村や町を襲って強奪・虐殺三昧。どう見てもただのならず者集団だ。

 ここで、困ったことに緒戦でクシーが鮮やかな勝利を挙げてしまう。敵の前衛を騎兵で突つき、ワザと退却して追っ手をおびき出し、伏兵が待っている所に誘導して、袋叩きにする。チンギス・ハンのモンゴル軍が得意とし、薩摩は釣り野伏せ(→Wikipedia)と言い、イスラエル軍の戦車部隊は機動防御と呼ぶ手口だ。古今東西を問わず、こういう戦術ってのは、おおきく変わらないのもらしい。

 まあいい。なまじ緒戦で大戦果なだけに、騎士たちの気勢はあがる。そうでなくともつけあがりやすい連中な上に、クシーに功名を独占されちゃたまらん、などと考え始め…

 軍における統制がいかに大切か、ひしひしと感じさせてくれる一章だ。もっとも、当時の軍は現代の軍と全く違って、そもそも組織としての統一した指揮の下にないんだけど。もっとも、これは軍に限らず、政府からして強力な貴族の緩い連合にすぎない事が、本書の全編を通して伝わってくる。

【最後に】

 何せ文庫本にしたら五冊になろうかという巨大な著作だ。「テーマはこれ」と一言でいうのは難しい。ただ、当時の「国」が、現代の「国家」とは全く違う姿であるのは、充分に伝わってくる。また、華やかな面ばかりが描かれる「騎士」も、実態はヤクザと変わりない、どころか警察が発達していない分、ヤクザ以上にタチの悪い連中だとわかる。

 じっくりと描かれた、14世紀フランスを中心とした中世の西欧世界。物理的にも相当な重さなので通勤列車で読むのはつらいが、否応なしに「こことは違う世界」へと連れていかれる、本格的な歴史書だ。

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