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2019年9月 6日 (金)

バーバラ・W・タックマン「遠い鏡 災厄の14世紀ヨーロッパ」朝日出版社 徳永森儀訳 1

中世の時代の人々は、私たちの環境とはとても異なった精神的、道徳的、物理的な環境のもとに生きたので、異国の文明を形成するほどであった。
  ――まえがき 時代、主人公、障害物

中世が近代と異なるすべての特徴のうち、子供に対する比較的な無関心ほど目立つものはほかにはない。
  ――第3章 青春と騎士道

(ペストの)実際のキャリアーである鼠と蚤について14世紀は何の疑いももたなかった。それは多分それらがとても身近だったせいだろう。
  ――第5章 「これぞ世の終わり」 黒死病

彼(ロベール・コック)は当時としては大きな、76冊の蔵書を持っていた…
  ――第7章 破壊されたフランス 自由民の台頭と百姓一揆

どのくらいの割合の農夫が裕福で、どのくらいが貧乏かは、彼らが遺贈した物によって判断される。極貧の農夫たちは何も残す物はなかったので、無言のままである。
  ――第7章 破壊されたフランス 自由民の台頭と百姓一揆

人頭税と竈税の証拠によると、女性の死亡率は20~40歳では男性より高く、その原因は出産と病気にかかりやすいことだったと推定される。
  ――第9章 アンガランとイザベラ

司祭が管区司教から愛人をもつ許可を買うことができたら、一体彼はどうしてふつうの罪人以上に神により近づくことができようか。
  ――第14章 イングランドの混乱

彼(フランス国王の哲学顧問ニコラ・オレスム)の書物の一つは「地球はボールのように丸い」という文章で始まっていて、彼は地球の自転の理論を仮定した。
  ――第15章 パリの皇帝

【どんな本?】

 14世紀、フランス。気候は小氷期に突入して凶作が続き、英仏百年戦争に悩まされ、黒死病が猛威を振るい、農民の一揆が頻発し、無法者集団コンパニーが国土を荒らしまわる中に、騎士道の花が咲く中世。

 その頃の人々は、何を考えていたのか。聖職者は、貴族は、騎士は、都市の市民は、そして農民は、どのように暮らしていたのか。英仏百年戦争の実情は、どんなものだったのか。

 主人公はアンガラン七世(→Wikipedia)。フランス北部の大貴族でありながらも、イングランド国王エドワード三世の娘イザベラを妻とし、一時期はガーター勲章(→Wikipedia)も与えられた、複雑な立場の人物である。

 「愚行の世界史」「八月の砲声」など、大量の資料に支えられた重厚な歴史書を得意とするバーバラ・W・タックマンによる、14世紀フランスの綿密なスケッチ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Distant Mirror : The Calamitous 14th Century, by Barbara W. Tuchman, 1978。日本語版は2013年9月26日初版発行。単行本ソフトカバー縦二段組み本文約1,007頁に加え、まえがき23頁+訳者あとがき9頁。9ポイント25字×20行×2段×1,007頁=約1,007,000字、400字詰め原稿用紙で約2,518枚。文庫本ならたっぷり5冊分ぐらいの巨大容量。通勤電車で読むと腕の筋肉が鍛えられマッスル。

 文章は、少々読みにくい。外交文書的っぽい皮肉や二重否定がよく出てくる。また、組み立て方も不親切だ。「主語A→主語B→述語B→述語A。」みたく、入れ子になった文が多い。「主語A→述語A。主語B→述語B。」と、二つの文に分ければわかりやすいのに。

 内容はかなり親切だ。しつこいぐらい細かく時代背景を説明しているので、西洋史をほとんど知らなくても、充分についていける。本書内にも地図があるが、地図帳を用意すると便利だろう。また、登場人物が極めて多いので、できれば人名索引か主な登場人物一覧が欲しかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、なるべく頭から読もう。

  • 凡例/地図と図版/まえがき
  • 序章 意識の問題
  • 第1部
  • 第1章 「われはクシーの殿なり」 王朝
  • 第2章 災いの中に生まれる 14世紀
  • 第3章 青春と騎士道
  • 第4章 戦争
  • 第5章 「これぞ世の終わり」 黒死病
  • 第6章 ポアティエの戦い
  • 第7章 破壊されたフランス 自由民の台頭と百姓一揆
  • 第8章 イングランドでの人質
  • 第9章 アンガランとイザベラ
  • 第10章 無法の息子たち
  • 第11章 金色に塗られた屍布
  • 第12章 二重の忠誠の義務
  • 第13章 クシーの戦い
  • 第14章 イングランドの混乱
  • 第15章 パリの皇帝
  • 第16章 教皇庁の大分裂
  • 第2部
  • 第17章 クシーの出世
  • 第18章 獅子に立ち向かう地の虫
  • 第19章 イタリアの魅惑
  • 第20章 第二のノルマン征服
  • 第21章 虚構の亀裂
  • 第22章 バーバリ攻囲
  • 第23章 暗い森の中で
  • 第24章 死の舞踏
  • 第25章 失われた機会
  • 第26章 ニコポリス
  • 第27章 暗雲天空にたれこめよ
  • エピローグ
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 まさしくスケッチだ。単行本で一千頁を超える大著だけに覚悟はしていたが、思った以上に解像度が高く、視野も広い。

 上の構成にあるように、全体は二部に分かれる。第一部では、時代背景をじっくり描く。一応、アンガラン七世が主役なのだが、彼は第一部じゃほとんど出てこない。

 じゃ第一部は何を書いているのかというと、舞台となる14世紀フランスの社会をじっくりと描いてゆく。ちなみに今は第一部を読み終えたところで、第二部の中身は皆目見当がつかんです、はい。

 14世紀というと、中国では元が衰えて明が成立し、中東ではオスマン朝が台頭し始めた頃だ。日本だと鎌倉末期~南北朝を経て室町初期にあたる。その頃のフランスの雰囲気は、日本の戦国時代が近い。世は戦乱で乱れ、群雄が割拠し、野盗が暴れまわる、そんな雰囲気である。フランス全土、というか西ヨーロッパ全体がソマリア状態とでも言うか。

 私は当時のフランスをほとんど知らない。せいぜい佐藤賢一の小説「双頭の鷲」と「赤目のジャック」ぐらいだ。「双頭の鷲」は英仏戦争でフランスの大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランを描く痛快な活劇で、「赤目のジャック」は農民の一揆ジャックリーの乱を扱った歴史小説だ。いずれも本書に少しだけ出てくる。

 そのベルトラン・デュ・ゲクラン、「双頭の鷲」だと不細工に描かれていた。これは本書も同じで、「鎧を着た雄豚」と扱いが酷いw それでも「双頭の鷲」じゃ粗野で教養はなくても性格は愛嬌があり戦えば無敵な男と、主役らしい扱いだったが、本書ではよく言っても野盗の大親分でしかない。

 これは当時の欧州の軍事状況のためだ。今と違い、当時の国は常備軍を持っていない。そもそも国って概念すら怪しい。領主がそれぞれ騎士を抱えている。つまり軍事的には独立した小国が乱立しているようなものだ。その領主が国王に忠誠を誓う事で国になる。だから英仏の戦争になると、領主は情勢により英国についたりフランスについたりする。

 そんなんだから、司令官も統制が取れない。この弱点を突いたのが黒太子(→Wikipedia)で、本書でもホアティエの戦い(→Wikipedia)を細かく描いている。

 もっとも、その騎士たちも、巷で言われる騎士道とはかなり姿が違う。そもそも当時の軍はロクな補給がない。だから戦場近辺の村や町を略奪して糧食を奪うのである。こういった姿は「補給戦」にも出てきた。ばかりか、ついでに農民を殺し作物を焼き果樹を倒し家や農機具を壊し馬や牛を奪う。そうやって、敵領主の歳入を潰すのである。つまり焦土作戦だ。当時の軍隊は、そこに居るだけで迷惑千万な連中なのだ。

 しかも、戦争で主に殺されるのは歩兵である。馬に乗った騎士など身分の高い者は、なるべく生かして捕虜にする。後で身代金を取るためだ。身分の低い歩兵は、身代金が取れないので、その場で殺す。

 そんなワケで戦争はロクなモンじゃないが、戦争が終わっても農民の苦しみは続く。当時は常備軍がない。将兵の多くは臨時雇いの傭兵である。傭兵は戦いが終わったらお払い箱だ。だが仕事はなくても腹は減る。じゃ、どうするか。

 コンパニーとなる。傭兵隊長を中心に徒党を組み、町や村を襲って腹と財布を満たすのだ。流れの野盗団だね。これが数人ならともかく、千人単位で群れてるからタチが悪い。しかも領主や騎士は、連中の始末に関心がない。ツケ上がったコンパニー、しまいには教皇まで脅す始末。ビビった教皇は…

教皇(ウルバヌス五世)は躊躇せずに言った。「彼ら(コンパニーたち)にそれを与えよ。もし彼らがこの国を立ち去るのであればだが。」
  ――第10章 無法の息子たち

 「金を払うから出て行ってくれ」、そういうワケだ。そんなコンパニーを始末するためにも戦争が必要で、十字軍もコンパニーを追い払う目的で派遣してたり。こういうのって、現代のサウジアラビアがジハーディストに悩んでアフガニスタンに叩き出すのに似てるなあ。

 などと踏んだり蹴ったりな農民を、更に黒死病が襲う。頼みの綱の教会は腐敗し、そのスキに乗じてカルトが流行る。鞭打ち苦行者の姿は、まるきしイランのターズィエ(→Wikipedia)だ。当時の人々は殺伐とした見世物が大好きで…

モンスの市民たちは、隣の町から死刑の判決を受けた犯罪者を買って、彼が四つ裂きにされるのを見るのを楽しみにした。
  ――第6章 ポアティエの戦い

 そんな奴らがユダヤ人の虐殺を煽ったからたまらない。ちなみにこの時も「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」なんてデマが流れてる。関東大震災でも「朝鮮人が井戸に毒を入れた」と流言されたし、災害が起きた時に「マイノリティが井戸に毒を入れた」というデマが流行るのは、人の世の常らしい。まあ今は水道が普及してるんで、別の形に姿を変えるんだろうけど。

 話がそれた。そんな風に痛めつけられた農民が立ち上がったのが、「赤目のジャック」描くところのジャックリーの乱(→Wikipedia)。このあたりを読んでいると、「農民が怒るのも当たり前だよなあ」と思えてしまう。結局は戦闘に慣れた騎士たちに制圧されるんだが、私の感想としては「結局、権力者ってヤクザと同じだよね」な気分になってしまう。

 などの大きな流れ以上に、本書の最大の魅力は、キッチリと書き込まれた細かい部分だろう。庶民の暮らしや軍の様子もそうだが、宮廷料理もメニューをキッチリ再現してる。これが実に野趣に富んでいて、牛骨髄のリッソウルはともかく兎肉のシチュー・ヒバリ肉の練り物・ヤツメウナギ・白鳥・クジャクと続く。上流階級は偏食じゃ務まらないのだ。

 そんなわけで、個々の人物より、綿密な調査によりビッシリと書き込まれた当時の人々の暮らしこそが、この本の第一部の魅力だろう。農民を虐げて喜んでる騎士の実態や、大学図書館の蔵書が千冊だったり、また糞尿の処理も調べてあって、そういう細かい所が面白い。まあ、そういう事なので、第二部の記事はしばらく後になります。

 どころで、なぜ日本では黒死病が流行らなかったんだろう?

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