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2019年8月26日 (月)

スティーヴン・ピンカー「暴力の人類史 上」青土社 幾島幸子・塩原通緒訳

本書は、人間の歴史のなかで最も重大な出来事ともいえることをテーマにしている。(略)長い年月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれないのだ。
  ――はじめに

犯罪学者の間では、失業率と暴力犯罪のあいだには明確な相関関係は存在しないことは長く知られている。
  ――第3章 文明化のプロセス

…初期の複雑な社会はすべて、犠牲者のない犯罪を犯した者に拷問や手足切断のような残酷な罰を課す、絶対的な神権国家だったのだ。
  ――第4章 人道主義革命

人口比で見た史上最悪の残虐行為は、中国唐時代の八年間にわたった安禄山の乱および内戦(安史の乱、→Wikipedia)である。人口調査によればこの戦乱で唐の人口の2/3が失われたとあり、これは当時の世界人口の1/6にあたる。
  ――第4章 人道主義革命

戦争の継続期間は指数関数的に分布しており、最も多いのは最も短い戦争である。
  ――第4章 人道主義革命

「民族自決」が孕む危険の一つは、ある区切られた土地と完全に一致する民族文化集団、という意味での「国民」など現実には存在しないということだ。
  ――第5章 長い平和

発展途上国の子どもの主な死亡原因は、マラリア、コレラ・赤痢などの下痢性疾患、肺炎・インフルエンザ・結核などの呼吸器感染症、麻疹の四つである。
  ――第6章 新しい平和

殺人や戦争、ジェノサイドによる死者数と比較すると、世界のテロによる死者数はさほど多くない。(略)これまで本章で見てきた他の暴力による死者数とは、少なくとも二桁の違いがある。
  ――第6章 新しい平和

【どんな本?】

 2001年9月11日以来、世界は不穏に包まれている。ソマリア沖では海賊が暴れ、アフガニスタンはタリバンが跳梁跋扈し、シリアでは内戦が続いている。新聞や週刊誌は凶悪犯罪や家庭内暴力のネタにこと欠かない。世界は危険に満ちている。少なくとも、テレビでニュースを見る限りは、そう感じる。

 本当にそうなのか? 著者は多くの資料を漁り、統計を駆使して、意外な事実にたどり着く。暴力は減った、しかも今世紀においても現在進行形で減りつつある、と。

 認知科学者である著者が、大国同士の戦争からテロやマイノリティの虐殺、組織暴力から街角のケンカまで、様々な形での暴力の統計を集め、私たちが暮らしている現代と、かつて人びとが暮らしていた過去の姿を洗い出し、思い込みによる盲点に光を当てると共に、何が暴力を減らしたのか、その理由を探る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Better Angels of Our Nature : Why Violence Has Declined, by Steven Pinker, 2011。日本語版は2015年2月10日第1刷発行。単行本ハードカバー上下巻で本文約642頁+570頁=1,212頁に加え塩原通緒による訳者あとがき3頁。9ポイント47字×19行×(642頁+570頁)=1,082,316字、400字詰め原稿用紙で約2,706枚。文庫なら5~6冊分の巨大容量。

 文章は比較的にこなれている。とは思うが、学者ではなく一般人向けであることを考えると、もう少し工夫してほしかった。小さなことだが、例えば「暴力は減少し」より「暴力は減り」の方が親しみやすい。そういう細かい部分で、「賢い人向け」な印象を与えてしまう。とっても面白い本だけに、これはもったいない。

 分厚い上下巻だから手ごわそうに感じるが、見た目ほど中身は難しくない。日頃から「文明と戦争」や「昨日までの世界」を好むタイプの人なら、「似たような事が書いてある」と感じるかも。

【構成は?】

 テーマが常識を裏切るものだけに、特に上巻では丹念な検証に多くの紙数を充てている。トリビアが好きならいいネタが詰まっているのでキッチリ読もう。そうではなく、手っ取り早く結論が欲しければ、流し読みしてもいいかも。

  •  上巻
  • はじめに
  • 第1章 異国
    人類前史/ホメロスのギリシャ/ヘブライ語聖書/ローマ帝国と初期キリスト教/中世の騎士/近代初期のヨーロッパ/ヨーロッパと初期のアメリカ合衆国における名誉/20世紀
  • 第2章 平和化のプロセス
    暴力の論理/人類の祖先の暴力/ヒトの社会の種類/国家と非国家社会における暴力発生率/文明とそれに対する不満
  • 第3章 文明化のプロセス
    ヨーロッパにおける殺人の減少/ヨーロッパにおける殺人の減少の原因/暴力と階層/世界各地の暴力/アメリカ合衆国における暴力/1960年代における非文明化/1990年代における再文明化
  • 第4章 人道主義革命
    迷信による殺人 人身御供、魔女狩り、血の中傷/迷信による殺人 神への冒涜、異端、背教に対する暴力/残虐で異常な刑罰/死刑/奴隷制/専制政治と政治的暴力/大規模戦争/人道主義革命の源泉/共感と人間の生命への配慮/文芸共和国と啓蒙的人道主義/文明と啓蒙主義/血と土
  • 第5章 長い平和
    統計と物語/20世紀は本当に最悪だったのか?/殺しあいのケンカの統計(その1) 戦争の時期/殺しあいのケンカの統計(その2) 戦争の規模/大国の戦争の推移/ヨーロッパの戦争の推移/背景としてのホップス哲学と王朝と宗教の時代/王権の時代の三つの潮流/反啓蒙主義イデオロギーとナショナリズムの時代/イデオロギーの時代の人道主義と全体主義/長い平和 いくつかの数字/長い平和 人びとの意識と出来事/長い平和は核による平和か?/長い平和は民主的な平和か?/長い平和は自由主義的な平和か?/長い平和はカント的な平和か?
  • 第6章 新しい平和
    大国や欧州以外の地域における戦争の推移/ジェノサイドの推移/テロリズムの推移/天使も踏むを恐れるところ
  •  下巻
  • 第7章 権利革命
    公民権と、リンチや人権差別ポグロムの減少/女性の権利と、レイプや殴打の減少/子供の権利と、子殺しや尻叩きや児童虐待やいじめの減少/同性愛者の権利と、ゲイバッシングの減少や同性愛の非犯罪化/動物の権利と、動物虐待の減少/権利革命はどこから来たか/歴史から心理学へ
  • 第8章 内なる悪魔
    人間の暗黒面/モラリゼーションギャップと、純粋悪の神話/暴力の器官/プレデーション(捕食者)/ドミナンス(支配、優位性)/リベンジ(報復、復讐)/サディズム/イデオロギー/純粋悪と、内なる悪魔と、暴力の減少
  • 第9章 善なる天使
    共感/セルフコントロール(自己制御)/最近の生物学的進化?/道徳とタブー/理性
  • 第10章 天使の翼に乗って
    重要だが一貫していないもの/平和主義者のジレンマ/リヴァイアサン/穏やかな通商/女性化/輪の拡大/理性のエスカレーター/考察
  •  訳者あとがき/参考文献/注/索引

【感想は?】

 今、やっと上巻を読み終えたところなので、そこまでの感想を。

 先に書いたように、「文明と戦争」や「昨日までの世界」などと似た傾向の本だ。だから、そういうのが好きな人向き。ただし、既に読んでいる人にとっては、新鮮さが薄いかも。例えば二つの世界大戦があった20世紀は戦争の時代みたく言われるけど…

現代の欧米諸国の戦争による死亡率は、最も戦争で荒廃した世紀でさえ、非国家社会の平均のおよそ1/4であり、最も暴力的な社会の1/10以下にすぎない。
  ――第2章 平和化のプロセス

 と、文明化される前に比べればはるかにマシだぞ、と数字で教えてくれる。この「数字で」ってのが、この本の特徴。文明化される前、世界ってのは物騒な所だったのだ。今でも余所者が邪険にされる地域があるけど、それはヒトがそういう状況で進化してきたせいかも。

 ただ、前二作とは違う部分もある。例えば戦争の原因だ。「文明と戦争」では、縄張りや女など貴重な資源の奪い合い、としていた。「戦争は政治の延長」とするクラウゼヴィッツの影響だろうか。だが、実際は…

…ほとんどの調査で、(非国家社会の人びとが)戦闘の理由として最も頻繁にあげられるのは復讐である。
  ――第2章 平和化のプロセス

 と、過去の因縁が原因らしい。一応、合理的な理由もあって、要は「殺られる前に殺れ」なんだけど。つまり感情のもつれですね。これは集団同士の戦争に限らず、個人間のケンカもそう。というか、この本のもう一つの特徴が、集団による戦争から個人間の殺人まで、様々なスケールの暴力を見渡していること。その殺人では…

殺人のもっとも一般的な動機は、侮辱されたことへの報復、家庭内の争議がエスカレートしたもの、恋人の裏切りや失恋、嫉妬、復讐、自己防衛など、道徳的なものだという。
  ――第3章 文明化のプロセス

 なんて意外なデータが出てくる。利害じゃないのだ。少なくとも金銭的な利害じゃない。また、こういう犯罪を犯すのは…

暴力の研究が明らかにした最大の普遍的な特徴は、暴力の加害者の大部分が15~30歳の若い男性だということだ。
  ――第3章 文明化のプロセス

 はい、若い男がヤバいんです。ちなみに「殺してやる」を読むと、合理的な説明がつく…気がしてきます。なお、この章では1990年代以降、USAで急激に殺人が減った、と指摘していて、その原因について推察してるけど、幾つか大事な点を見逃してると思う。それについては後述。

 第四章以降は再び国家単位の話に戻るんだが、ここでは「信念」や「イデオロギー」の怖さが身に染みる。

立証不可能な信念を持つことのより大きな危険は、それを暴力的手段によって守りたいという誘惑が生まれることにある。
  ――第4章 人道主義革命

宗教的か政治的かを問わず、イデオロギーによる戦争は、戦闘死者数のべき分布の尾を長く延ばす。
  ――第6章 新しい平和

…数百万人単位で人を殺害するには、イデオロギーが必要だ。
  ――第6章 新しい平和

 第二次世界大戦で最大の死者が出たのは独ソ戦だった。いずれも強固な信念を持つ者同士のぶつかり合いだ。お陰で両軍の将兵はもちろん、戦場となった土地に住む民間人も地獄に叩き落された(「スターリングラード」「ベルリン陥落」)。

 それより怖いのが、政府による民衆殺戮である。スターリンの飢餓、毛沢東の大躍進、クメール・ルージュのキリング・フィールド。

…虐殺行為に関する大多数の研究者の間では、20世紀には戦死者よりもデモサイド(民衆殺戮、政府または民兵による民間人の大量虐殺)による死者のほうが多かったことで意見は一致している。
  ――第6章 新しい平和

 まあ、死者数で最大の貢献をしたのは毛沢東だろうなあ。クメール・ルージュはともかく、スターリンと毛沢東はレッテル貼りを巧みに使った。富農とか、反革命派とか。これは共産主義に限らず、ナチスだってホロコーストをやらかしてる。これも、やはりレッテル貼りが効果的だ。

人をカテゴリーの一例と見なす認知習慣は、人と人とが衝突する場面では実に危険である。ホップスの言う三つの暴力の誘因――利益、恐怖、抑止――が、個人間のケンカの原因から民族紛争の理由に変わってしまうのだ。
  ――第6章 新しい平和

ジェノサイドを起こしやすくする、さらにもう一つの因子は、排他的イデオロギーである。
  ――第6章 新しい平和

 「○○は蠅だ」「○○はゴキブリだ」などと、巧みな比喩で特定の属性を持つ人たちを貶めるのも、虐殺への足掛かりとなる。

隠喩による思考には、二つの方向がある。嫌悪感の隠喩を、道徳的に価値が低いと見なす人間にたいして用いるだけでなく、物理的な嫌悪感を抱かせる人間を、道徳的な価値が低いと見なしてしまうのだ。
  ――第6章 新しい平和

 …とかを読みつつ、現代日本の風潮を考えると、ちと気持ちが暗くなったり。でも、気をつけようね。偉い人は勇ましいことを言うけど…

戦争することで利益を得るのは権力者であって、そのコストは国民が負担しなければならない。
  ――第4章 人道主義革命

 最後にもう一つ。少し前から、薄々そうじゃないかな、と思ってた事がハッキリ書いてあったのは「やっぱり」と思ったのだ。

再生不能で独占されやすい資源が豊富な国は、経済成長が遅々として進まず、政府は無能で、暴力が多発する傾向にある。
  ――第6章 新しい平和

 具体的に思い浮かぶのはメキシコとナイジェリア。いずれも石油収入が増えたのに反比例して治安が悪化した。USAのように他の産業も発達してて様々な勢力がせめぎあってるならともかく、特定の地下資源だけに頼る国ってのは、社会が腐りやすいのだ。だって真面目に稼ぐより偉い人に取り入った方が楽に甘い汁が吸えるし。その辺は「国家はなぜ衰退するのか」をどうぞ。

 というあたりで、下巻へと続く。

【関連記事】

【北米の1990年代に何が起きたか】

 本書の「第3章 文明化のプロセス」225頁に、衝撃的なグラフがある。1990年代、北米での殺人が急激に減ったのだ。もう少し詳しく言うと、1993年あたりから落ち始め、1999年~2000年あたりで水平になる。あ、そうそう、グラフが示してるのは絶対数じゃなくて、10万人あたりの殺人件数ね。

 この原因を著者はグダグダ言ってるが、普通に考えれば最大の要因は合衆国大統領だろう。そう、あのエロもといビル・クリントンだ。もっとも、彼が大統領職に就いたのは1993年で、その手腕の効果が出始めるには1~2年かかる筈だから、辻褄としては少し苦しい。

 たぶん、複数の原因があるんだろう。そこで私はこういう説を唱えたい。「任天堂とSONYが安全をもたらした」と。では、次にその年譜を示そう。

  • 1985 任天堂、北米進出
  • 1989 ゲームボーイ発売
  • 1991 SuperNES(北米版スーパーファミコン)発売
  • 1993 DOOMブーム
  • 1994 PlayStation発売

 「1985年に進出なら、1985年から安全になるはず」と思うかもしれない。だが、犯罪が多いのは「15歳~30歳の男」だ。対してファミコンに飛びついたのは、小さい男の子である。犯罪年齢には達していない。当たり前のように家庭にゲーム機が普及した今でも、高齢のプレーヤーは少ない。こういう文化は、幼い者が流行を先取りするのだ。

 そこで、だ。1989年に11歳で Dragon Warrior(北米版ドラゴンクエスト) に出会った少年は、1993年に15歳になったら何をするだろう?

 そう、Dragon Warrior IV を楽しむのだ。いや DOOM で撃ちまくるかもしれないし、VIPER でハァハァするかもしれない。いずれにせよ、盛り場でチンピラと角突き合わせる時間は減る。それよかレベル上げだ。今日こそメタルスライムを…

 実際、「犯罪は『この場所』で起こる」では「犯罪の機会を減らせ」と主張しているし、有名なゲームがリリースする時期には犯罪が減るって研究もある(→リセマム)。

 これにキチンとウラを取るには、北米での家庭用ゲーム機の普及率の推移を調べる必要があるんだが、残念ながら見つからなかった。何かあったら教えてください←いやお前がやれよ

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