高木彬光「成吉思汗の秘密」ハルキ文庫
「…源義経は、衣川で殺されたのではなくて、そこから逃げ出して、蒙古へ渡り、成吉思汗になったという伝説があるじゃありませんか」
――p19「…この説は、徳川時代から始まって、今日までほぼ四回くり返されている」
――p200
【どんな本?】
神津恭介、東大医学部法医学教室助教授、40歳目前ながら独身。その鋭利な頭脳で推理機械の異名を持つ。時は1957年。急性盲腸炎で入院し、暇を持て余す神津に、探偵作家である友人の松下研三が、暇つぶしのネタを持ち込んできた。源義経が大陸に渡り成吉思汗になったという伝説がある。この真偽を追及してはどうか、と。
数々の難事件を解決してきた神津といえど、さすがに八百年前の事件を追うのは難しい。幸いにして手足となって動く松下研三に加え、歴史学者・井村梅吉の助手であり資料収集で頼れる大麻鎮子の助力を得て、病室にいながらも神津の頭脳は回転をあげはじめ…
昭和のベストセラー作家・高木彬光が、ジョセフィン・テイの「時の娘」に着想を得て、「源義経=成吉思汗説」に挑む、傑作娯楽小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
解説によると、初出は1958年5月~9月の雑誌「宝石」。1958年10月に光文社から単行本を刊行。以後、何回か文庫が刊行されている。今は光文社文庫版が手に入れやすいと思う。私が読んだのは角川春樹事務所のハルキ文庫。文庫本で縦一段組み本文約319頁に加え、笹川吉晴の解説9頁。9ポイント40字×18行×319頁=約229,680字、400字詰め原稿用紙で約575枚。文庫本としては普通の厚さ。
文体は、まあ昭和中期の娯楽小説の文体ですね。なんたってベストセラー作家だし。私はとても読みやすかったが、若い人はややイナタく感じるかも。
【感想は?】
さすがに今となっては、ミステリというより伝奇小説に近いかな。
お話の枠組みとしては、推理機械の神津恭介が「源義経=成吉思汗」説を支持し、歴史学者の井村梅吉がそれに反論する形だ。神津恭介は著者のお気に入りの探偵役な事でもわかるように、作品全体を通して「源義経=成吉思汗」説を裏付けようとしている。
判官びいきなんて言葉もあるように、日本人は源義経が大好きだ。苦渋に満ちた幼少期、青年期での鮮烈なデビュー、寡兵で大軍を破る天才的な騎兵戦術、そして骨肉を分けた兄弟の争いの果ての悲劇的な結末。そんな義経が実は大陸に渡り、ユーラシアを席巻する成吉思汗になっていた。思わず信じてしまいたくなる魅力的な伝説だろう。
とまれ、色々と障害は多い。まずは義経が妻子とともに自害して果てたといわれる衣川の戦いを、どうやって切り抜けたのかから始まり、なぜ・いかにして大陸へ渡り、異民族たちを従えて大軍団へと育て上げたのか。
とはいえ、付け入るスキは多い。義経と成吉思汗の生年が近いことや、旗揚げするまでの成吉思汗の生い立ちが謎に包まれていること。21世紀の今でさえ、成吉思汗の墓が学術的には同定されていないのも、妄想マシーンの燃料になっている。
この伝説に裏付けを与えていく過程が、この小説の最も面白い所だろう。
なにより、出だしが巧い。神津恭介が最初に挑むのが、衣川脱出の謎だ。ここでは手慣れた推理小説の手法に沿って、比較的に飛躍の少ない形で義経一行を危機から救う。なにせ八百年前の話なので、遺留品があるわけじゃなし、攻守ともに決定打には欠ける中、ミステリというには少々荒っぽくはあるが、一応の筋道をつけてみせる。
序盤で地に足の着いた推理を見せ、読者に「あれ、けっこうマトモじゃん」と思わせてしまえばシメたもの。その上で、話は地理的にも時間的にも、そして視点においても想定外の方向にポンポンと飛び、読者の鼻面を右に左に引きずり回す。当時の国内情勢や人間関係だけならともかく、まさか20世紀の話まで飛び出すとは思わなかったなあ。
こういう「予想外の方面からの攻撃」を受けるのが、この手の作品の楽しいところ。まあ小説ファンって人種も、騙されて喜んでるんだから業が深いというかなんというかw でも気持ちがいいんだからしょうがないw
とかの自由奔放な神津らの仮説に対し、正統的な歴史学者として正面から反論してくるのが、歴史学者の井村梅吉。ちゃんとこういう人物を登場させて、正論を述べさせるあたりは、さすがに「五回目のブーム」を仕掛けようとする著者の意気込みを感じさせる。こうやって「単なる蒸し返しじゃないぞ」と宣言しているわけ。
ちなみにこの作品だけで判断すると、実は井村梅吉の「陰謀」が功を奏し神津に一矢報いているような気がするんだが、まあそれはいいかw
さすがに昭和の作品だけに、風俗も当時のもので、例えば緊急の連絡もメールじゃなくて電報だったりする。私のようなオッサンには、こういう強烈な昭和臭も魅力なのだ。また野村胡堂や黒岩涙香なんて名前も出てきて、ちょっとニヤリとしたり。
加えて、ヒロインの大麻鎮子さんがいいのだ。なんたって豊かな知識を持つ眼鏡っ娘だし。彼女と神津の関係や、それぞれの台詞を地の文で補強する文章作法は、当時の娯楽小説の定石なんだろうけど、今のライトノベルにも受け継がれてる…のかな?
推理小説のような書き出しで読者のガードを緩め、斜め上からの奇襲で混乱させたところにパンチを叩きこむあたりは、伝奇小説のお手本通り。だが、この作品はそれだけじゃ終わらない。発表後に追加した最終章で、物語はガラリと様相を変え、激しく攻撃的ながらも低音部では哀愁を帯びた旋律を奏で始める。ベストセラーにしてロングセラーとなるに相応しい、娯楽ロマン作品だ。
とか書きつつ、こんなモンを見ると全てがブチ壊しになるので、決してクリックしないように(→Youtube)。いや私は好きなんだけどね、こういうノリw
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