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2019年5月27日 (月)

大森望監修「カート・ヴォネガット全短編3 夢の家」早川書房

「まあ、とにかく芝居はできた」
「問題は、それが芝居なのかどうかね」
  ――ローマ

「お気づきですか」とケイディがいった。「このテーブルのまわりを迂回するために、一日に20分の時間と、何百歩分かのエネルギーをむだにしているのを?」
  ――貧しくてゆたかな町

「こんな時間に起きているのは、酔っ払いと浮浪者と詩人だけだ」
  ――この宇宙の王と女王

「不思議の国のアリスになった気分」とローズが言った。「どんどん体が小さくなって、まわりのものがなにもかも大きすぎる」
  ――金がものをいう

「問題ない。コンテスト参加者は自宅の正面に色とりどりの電飾ケーブルをぶらさげる。電力メーターがいちばん速くまわっているやつが優勝だ」
  ――人みな眠りて

【どんな本?】

 「プレイヤー・ピアノ」「スローターハウス5」「猫のゆりかご」「タイタンの妖女」など、シニカルながらも温かみのある芸風でSFファンにもお馴染みのアメリカの人気作家カート・ヴォネガット。彼が遺した短編をまとめ、8個のテーマ別に並べた「COMPLETE STORIES」が、日本では四分冊に分かれての刊行となった。

 この巻「夢の家」では、「ロマンス」と「働き甲斐 vs 富と名声」の2セクションを収録する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は COMPLETE STORIES, by Kurt Vonnegut, 2017。日本語版のこの巻は2019年1月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約509頁に加え、ダン・ウェイクフィールドの解説「ヴォネガットはいかに短編小説の書き方を学んだか」鳴庭真人訳11頁+川上弘美の解説5頁。9.5ポイント44字×20行×509頁=447,920字、400字詰め原稿用紙で約1,120枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 いずれの作品も文章はこなれていて読みやすい。「ガール・プール」の「ディクタフォン」のように、当時のアメリカの風俗を知らないと一瞬戸惑う仕掛けやガジェットもたまに出てくるが、読んでいけばだいたいわかるので、気にせず読み進めよう。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 訳者 / 初出。

セクション4 ロマンス(承前)

ガール・プール / Girl Pool / 大森望訳 / While Mortals Sleep 2011
 エイミー・ルー・リトルは20歳。モンテスマ金属鍛造で働き始めた。所属はガールプール。60人の女性社員が、録音された声から紙にタイプし、取引先や顧客への手紙として形を整える。男性社員の姿を、彼女たちは知らない。知っているのは声だけ。エイミーのボスはミス・ナンシー・ホステッター、勤続22年のベテランで腕は抜群。その日、エイミーのもとに届いた録音は…
 お話の中身より、ガジェットのディクタフォン(→weblio辞書)に気を取られてしまった。つまりはボイスレコーダーだが、スマートフォン用のアプリケーションじゃない。蝋管に録音するのだ。各部署でメッセージを蝋管に吹き込み、蝋管をガール・プールに集める。ガール・プールには大勢のタイピストがいて、到着した蝋管を片っ端から手紙の形に仕立てる。一世紀前のオフィス・オートメーションだね。アメリカってのは、こうやってなんでもかんでも専門化・システム化しちまうんだよなあ。
ローマ / Rome / 大森望訳 / 本書初出
 メロディは18歳。厳格な父親に育てられた、筋金入りの箱入り娘だ。その父フレッドは業界スキャンダルに巻き込まれ、メロディは騒ぎを避けるため姉の家で暮らし始める。深く父を敬っているメロディの気を紛らすため、わたしたちは演劇同好会に誘い、彼女をヒロインに抜擢した。演目はアーサー・ガーヴェイ・エルムの「ローマ」。
 前巻の「こんどはだれに?」に続き、再びアマチュア劇団を舞台とした作品。ファザコンで箱入りのお嬢様に娼婦役をあてがうなんて、無茶しやがってw 彼女の共演者はエエトコのお坊ちゃんブライスと、フェロモンだだ漏れの種馬ジョン。ひと目でメロディにべた惚れのブライス、「いけすかねえ女」と感じるジョン。果たして結末は…
ミス・スノー、きみはくびだ / Miss Snow, You're Fired / 大森望訳 / 本書初出
 26歳のエディはゼネラル金属鍛造に勤めている。妻とは結婚して6カ月で別れた。美しかったが性格は最悪で、離婚の際に多くの財産を分捕っていった。そんなエディの元に、新しい秘書が来た。アーリーン・スノー、見目麗しい18歳。社内でも大人気で、事あるごとに広報誌のモデルに駆り出される。広報担当のアーマンドは副社長の義弟で40歳。
 …ああ、うん、確かにアーマンドは製造業の広報には向いてないなw このセンスはSF雑誌のデザイナーに向いてるw 男社会の製造業で、こういう配置をするのは、たいてい裏に思惑があってですね、それはあなたのご想像通りです。
パリ、フランス / Paris, France / 谷崎由依訳 / 本書初出
 ハリーとレイチェルの夫婦はともに37歳。ハリーは元フットボール選手で、今はコース所属のプロゴルファーだ。レイチェルはフィギュアスケートからモデルに転身し、今は四人の子どもを育てている。家庭の危機を乗り切るため、二人は海外旅行に出かけた。行先はロンドンとパリ、二週間。ロンドンからパリに向かう社内で、二人は二組のカップルと出合う。老夫婦と若者だ。
 二週間の旅行が「駆け足の短い旅行」なんだなあ、なんて本筋と関係ない所で考え込んだり。こういうのも、翻訳物を読む楽しみの一つ。ハリーとレイチェルはいずれも元スポーツ選手なだけに、華やかな青年期から体力が落ちる壮年期への変化は厳しい。それの対照がアーサーとマリー、60代半ばの老夫婦と、初々しい若者のカップル。
都会 / City / 谷崎由依訳 / 本書初出
 彼はバスを待っている。なかなか九番は来ない。彼女もバスを待っている。また11番じゃなかった。
 都市で働く、ちょっと内気な若い二人の数分を切り取った作品。このまんま8頁ぐらいの漫画にしたらウケそうだなあ。

セクション5 働き甲斐 vs 富と名声
解説:ダン・ウェイイクフィールド / 鳴庭真人訳

夢の家 / More Stately Mansions / 宮脇孝雄訳 / コリアーズ1951年12月22日号
 私たち夫婦がこの村に住み着き、最初に温かく迎えてくれたのが、グレイスとジョージのマクレラン夫妻だった。ジョージは落ち着いていて無口だが、グレイスときたら。話し始めたら何時間でも延々としゃべり続ける。しかも話題は室内装飾の事ばかり。板張り、寝椅子、カーテン、絨毯、椅子。なんであれ素材や色について語りはじめたら止まらない。
 とにかくやたらと喋りまくる女っているよね、みたいな話かと思ったら。ある意味、グレイスはオタクなんだよなあ。関心が一つの事に集中してて、しかもやたら詳しく細かい点にも尋常にないこだわりを示す。そんなグレイスに巧みに寄り添うジョージがカッコいい。
ハイアニス・ポート物語 / The Hyannis Port Story / 伊藤典夫訳 / Welcome to the Monkey House 1968
 ハイアニス・ポートには、ケネディ大統領の夏の別荘がある。ちょっとした誤解が元で、防風窓のセールスマンのわたしは、大口の仕事を得た。ハイアニス・ポートにある四階建ての豪邸全部に防風窓を取り付ける仕事だ。依頼主はコモドア・ウィリアム・ハワード・タフト・ラムファード、筋金入りの共和党員だ。
 折り悪く発表時期がケネディ大統領の暗殺に重なり、暫くお蔵入りを余儀なくされた曰く付きの作品。背景に合衆国の現代政治史があり、疎いと分かりにくいかも。ドワイト・D・アイゼンハワーは二次大戦の欧州戦線で連合軍の総指揮をとり、後に大統領となる。バリー・ゴールドウォーターは共和党の上院議員。ケネディは民主党で当時の大統領。いずれも米軍出身である事に注意。
愛する妻子のもとに帰れ / Go Back to Your Precions Wife and Son / 大森望訳 / レイディーズ・ホーム・ジャーナル1962年7月号
 ぼくは防風窓のセールスマンだ。これはニューハンプシャー州に住んでいた時の話で、人気女優のグローリア・ヒルトンと、その五番目の夫の家に、浴槽囲いを取り付ける仕事を請け負ったんだ。残念ながらグローリア・ヒルトンとはあまりお近づきになれなかったが、その五番目の夫で作家のジョージ・マーラとは、商売の話をした。
 また出ました防風窓のセールスマンw 他人の家の中に数日間も入り込むっていう仕事の性質が、小説の語り手として便利なんだろう。実際に親しい人でもいたんだろうか。にしても、なんちゅうオチだw
嘘 / The Lie / 大森望訳 / サタディ・イヴニング・ポスト1962年2月24日号
 レメンゼル一族は長く続いた豊かな一家だ。いずれも全寮制の私立男子校の名門、ホワイトヒル・スクールを卒業している。というのも、ホワイトヒルはレメンゼル家の多大な寄付に支えられているからだ。今日、レメンゼル医師と妻は、13歳の息子イーライの入学手続きのためホワイトヒルに向かう。だがイーライは浮かない顔で…
 「ハイアニス・ポート物語」に続き、代々続く裕福な一族を描く物語。冒頭から続くレメンゼル夫婦の一族自慢は、なかなかに苛立たしいw そんな中、黒のロールスロイスを「この子」と呼ぶ運転手のベンの言葉は、ちょっとした清涼剤。きっと可愛がってるんだろうなあ。ちと厳しいオチではあるが、レメンゼル医師はかなりマシだと思うんだけど、どうですかね。
工場の鹿 / Deer in the Works / 大森望訳 / エスクァイア1955年4月号
 29歳のデイヴィッドは、地域の主観新聞を発行している。双子の男の子に加え、このたび双子の娘も授かった。将来の事も考え、安定した収入を得たいと思い、巨大企業のフェデラル電気工業イリアム工場の入社面接を受けに来た。主な募集人員は機械のオペレーターだが、幸い広報宣伝部に空きが見つかった。
 これまたお話の中身より、冒頭の入社面接の様子に気を取られてしまった。就職希望者が列をなしてる場面から始まるから、よほど厳しいのかと思ったが、なんともまあ。現代の若者が読んだら、「なんてユルくて贅沢な!」と叫びそうな就職事情だ。だって、たった一日で全米屈指の大企業の正社員になれるんだから。
お値打ちの物件 / Any Reasonable Offer / 浅倉久志訳 / コリアーズ1952年1月19日号
 不動産業を営むわたしのところに、年配のベッカム大佐夫妻がやってきた。いかにも羽振りの良さそうな夫婦で、手ごろな物件を探している。最初に案内したのはミスター・ハーティーの屋敷で、温室にプールに厩舎まである豪邸だ。ベッカム夫妻は屋敷が気に入ったらしく、じっくり屋敷を見ていた。大きな商談がまとまりそうだと喜んだが、三日過ぎても連絡がない。
 当時は1ドル360円で…とか換算しても空しくなるだけだから、やめよう。確かにヘルブラナー夫人の物件が相応しい者の手に渡るまでには、かなりの時間が必要だろうなあw インターネットが発達した現在ならともかく、当時は広報するにしたって費用が…いや、相応しい雑誌を選べばなんとかw えっと、つまり、優雅な休暇を安上がりに過ごす方法を教えてくれる作品です。
パッケージ / The Package / 浅倉久志訳 / コリアーズ1952年7月26日号
 アール・フェントンは苦学して大学を卒業し、がむしゃらに働いて事業を切り盛りした末に、引退して全自動豪華な家を建てた。妻のモードとの海外旅行から帰り、新居に足を踏み入れたとたん、大学時代の同級生チャーリー・フリーマンから電話が入った。チャーリーは豊かな家に育ち、振る舞いもソツがなかった。だが今のチャーリーはどこか妙で…
 本当に出来のいい人ってのは、確かにいるもんで。育ちが良く、立ち居振る舞いが優雅で、優れた能力があり、多くの人から慕われ、なおかつ性格もとびっきりいい。ただ、育ちが貧しい者から見ると、どうも素直に見れないんだよなあ。とはいえ、先の「嘘」の医師同様に、アールにもちゃんと「何を貴ぶべきか」が分かっているのが、かすかな救いだと私は思う。人生は長いんだし。
貧しくてゆたかな町 / Poor Little Rich Town / 浅倉久志訳 / コリアーズ1952年10月25日号
 ニューエル・ケイディが事業を立て直す腕前は見事なものだ。今のケイディはフェデラル電気工業と契約している。ニューヨーク州イリアムに新しいオフィスを作るのだ。この計画が進めば、眠ったようなスプールズ・フォールズにも活気が戻る。というのも、ニューエルが屋敷の一つを借りたからだ。町の名士がこぞって彼を歓迎しようと策を練るが…
 ニューエル・ケイディの造形が滅茶苦茶楽しい。彼が郵便局のミセス・ディッキーと交わす会話で、彼の人物像がクッキリわかる。モデルはロバート・マクナマラかな、と思ったけど時代的に違うかも。要は理系のキレ者で合理化の鬼。これに対するスプールズ・フォールズの面々が開くホビー大会も、いかにもアメリカの田舎町らしくて大笑い。なんじゃその玉ってw
サンタクロースへの贈り物 / A Present gor Big Saint Nick / 浅倉久志訳 / アーゴシー1954年12月号
 ビッグ・ニックはアル・カポネの後継者と目されている。彼はクリスマスの直前にパーティーを開く。招かれるのは、幼い子供がいる部下の一家だ。元ボクサーのオヘアはニックのボディガード。当日の朝、オヘアは妻のワンダと四歳の息子のウィリーを連れ、プレゼントを選びに来た。だがウィリーはサンタクロースに怯え…
 ユーモア作家としてのヴォネガットと、その相棒としての訳者・浅倉久志の、巧みなコンビネーションが堪能できる作品。ビッグ・ニックが仕切るパーティーの場面は、テンポのいい演出の舞台で演じたら、笑いが止まらないと思う。特にジングル・ベルの歌には爆笑w 私はこういうしょうもないギャグが大好きだw
自慢の息子 / This Son of Mine / 浅倉久志訳 / サタディ・イヴニング・ポスト1956年8月18日号
 マール・ワゴナーはポンプ工場を立ち上げ、遠心ポンプでは世界一にまで育て上げた。借入金もなく、ゼネラル鉄鋼から二百万ドルで買いたいと申し入れがある。マールは息子フランクリンを連れ工場のルディの所に来た。マールが最初に雇ったのがルディで、優れた旋盤工だ。ルディの息子カールも旋盤工で、腕もいい。四人でクレー射撃に行こうという話になり…
 大学に通う優秀な息子を自慢したいが、将来の事では親子で意見が異なる成功者のマール。腕のいい旋盤工として着実な人生を選び、聞き分けのいい息子と巧くやっているルディ。親の心子知らずとは言うが、子の心も親には分かんないんだよなあ。
魔法のランプ / Hal Irwin's Magic Lamp / 伊藤典夫訳 / コスモポリタン1957年6月号
 ハル・アーウィンは証券会社で働き、コッソリと株に手を出し大金を稼いだ。稼いだことは妻のメアリにも言わず、大邸宅を買い入れ、秘密のプレゼントとしてメアリを驚かせようと考えていた。今までは質素な暮らしだったが、これでメアリも喜んでくれるだろう。だがメアリは今までの暮らしに満足しており…
 ハルのセンスは、さすがにアレではある。どうせなら少しは演技の心得がある者を雇えばいいのに←そうじゃないだろ。まあ、仕事に入れ込んでる男にセンスとか女心の理解とかを求めても無駄ではあるんだが。公民権運動が盛り上がりつつある時代を背景とした物語。
ヒポクリッツ・ジャンクション / Shout About It from the Housetops / 大森望訳 / Look at the Birdie 2009
 防風窓のセールスマンのぼくは、飛び込みでヒポクリッツ・ジャンクションのその家に売り込みをかけた。出て来た若い男はパジャマのままで、世界中を憎んでいるような顔をしていて、とりつくしまもない。帰ろうとした時、運よく奥さんを見かけ、さっそく売り込みを始めたが、そこで知ったのはこの夫婦が有名人だということだった。
 はい出ました防風窓セールスマン・シリーズw 教育委員会からクビを宣告される作品って、そりゃぜひ読んでみたいw 本が売れると、本当にそういう事が起きるんだろうか。グレッグ・イーガンの素顔は誰も知らないという伝説があるんだけど。
エド・ルービーの会員制クラブ / Ed Luby's Key Club / 大森望訳 / Look at the Birdie 2009
 ハーヴとクレアのエリオット夫妻は、14回目の結婚記念日を祝おうと、例年通りその店に来た。その店は、かつてアル・カポネのボディガードだったエド・ルービーが営んでいる。生憎と店は会員制に変わり、夫妻は門前払いを食らう。ばかりか、ルービーが他の客を殴り殺す所を目撃してしまい…
 マフィアが支配する町で無実の罪を着せられた男が、身の潔白を晴らそうと奮闘するサスペンス作品。なんだけど、そこはヴォネガット。ロバート・B・パーカーのようなハードボイルド・タッチにはなるはずもなく。じわじわと恐怖が高まっていく中盤はともかく、終盤の手術室の場面は、やっぱりドタバタ風味のユーモアが漂っている。私はこういうヴォネガットが好きだ。
この宇宙の王と女王 / King and Queen of the Universe / 大森望訳 / Look at the Birdie 2009
 大恐慌が吹き荒れた1932年。ヘンリーとアンはどちらも17歳。いずれも名家に生まれ、やがて結ばれる運命を素直に受け入れていた。パーティの帰り、セントラル・パークを歩いている時に、二人は妙な男に出会う。その名もスタンリー・カルピンスキー、貧しそうな若い男だ。スタンリーは自宅に二人を招き…
 いかにもマッド・サイエンティストなカルピンスキーが出てくるから、SFになるかと期待したんだが、まあ仕方がないか。成功を夢見てアメリカに渡ってきたポーランド人の母子と、人生の初めから成功を手に入れている若者二人の出会いを描いた作品。ヴォネガットが若いころの作品だと思う。
年に一万ドル、楽々と / $10,000 a Year Easy / 大森望訳 / While Mortals Sleep 2011
 ニッキー・マリーノの父は偉大なテノール歌手だったが、29歳で世を去った。ニッキーも父に続くべく、ジーノ・ドンニーニにボイス・トレーニングを受けているが、今のところはまったく芽が出ず、素寒貧だ。二日後に引っ越しを控えたぼくは、挨拶がてらニッキーを訪れた。彼に10ドルを貸していたのだ。
 今さら気が付いたんだが、誰を語り手にするかってのが、小説じゃ大事なんだなあ。語り手の「ぼく」は、ニッキーともジーノとも親しいけど、引っ越しでしばらく会えない。この距離感があってこそ、この作品は盛り上がる。
金かものを言う / Money Talks / 大森望訳 / While Mortals Sleep 2011
 ベン・ニクルスンは27歳、ケープコッドで食料雑貨店を営んでいる…今日までは。店は既に債権者の手に渡った。午後七時、最後の客が入ってきた。黒い大きなキャデラックに乗った若い女だ。キャデラックとは不似合いな安っぽいコートを着て、妙におびえた雰囲気がある。道に迷ったらしい。行き先はキルレイン・コテージ、19部屋もある豪邸だ。
 デカいキャデラックと、安物のコートの組み合わせで「はて?」と思わせて、噂話で見当をつけさせる。なんて語り口は定石どおりだけど、屋敷に入った後はタイトル通りって、おいw
人みな眠りて / While Mortals Sleep / 大森望訳 / While Mortals Sleep 2011
 新聞社の社会部長フレッド・ハックルマンは40代半ばで独身。記者としての腕はとびきりだが、部下や他の部署の者にも同じ水準を求める。ニュースを求める執念は猟犬並みで、クリスマスもへったくれもない、どころか心底憎んでいる。そんなハックルマンに最悪の仕事が回ってきた。野外イルミネーション・コンテストの広報だ。さっそく彼は部下のぼくにおはちを回し…
 なぜ新聞記者? 刑事の方がいいのでは? とか思ってたら、そうきたかw 「エド・ルービーの会員制クラブ」同様に、ハードボイルド作品を書こうとしたけど、やっぱりヴォネガット味になってしまった、そんな感じがする。
タンゴ / Tango / 大森望訳 / While Mortals Sleep 2011
 ビスコンテュイットは海辺の町だ。大邸宅が集まり、住んでいるのは相応しい者だけ。よそ者の車が迷い込むと、警備員が追い返す。ぼくはそこで、大学入試を控えた若者の家庭教師をした。若者の名はロバート・ブルーア、筋金入りのお坊ちゃんだ。ぼんやりしているが、悪い奴じゃない。あるパーティーでロバートはタンゴに惚れ込み、自室でコッソリと踊り始めた。
 映像化したら、さぞかし面白いものになると思うんだが、ミュージカルの短編ってあるんだろうか? いやタンゴって難しそうだけど、踊りにはキレとメリハリがあるから、ギャグに仕立てると無茶苦茶ハマりそうな気がする。しかしヴォネガットの描く若者って、覇気はなくても品はいい人が多いなあ。
ペテン師たち / The Humbugs / 大森望訳 / While Mortals Sleep 2011
 画家のダーリング・ステッドマンは、もうすぐ60歳になる。大成功はしていないが、着実に稼いでいる。抽象画が多い芸術村にアトリエを構えているが、描くのは古典的な風景画で、観光客のウケもいい。妻のコーネリアは夫が天才だと信じているが、本人は自分の腕はたいしたもんじゃないと思っている。ある時、若い抽象画家のラザロと勝負する羽目になり…
 絵の事はよくわからない。でも小説なら、少しは。ケン・リュウのように、幾つもの芸を奇術師のように繰り出す人がいる。対してレイ・ブラッドベリは優れた作家ではあるけど、実は不器用な人だと私は思っている。だって、何を書いてもブラッドベリ味になるんだもん。でも、ファンにしてみたら、そのブラッドベリ味こそが他の何物にも代えられない彼の魅力なのだ。本人がどう思おうと。

 ヴォネガット本人はSF作家と呼ばれるのを嫌がっていたし、この作品集のどこがSFかと言われると実に困るんだが、そこはアレです、「ヒポクリッツ・ジャンクション」はオチの解釈次第でそうなりませんか。オチのキレは「ローマ」もいい。「嘘」や「パッケージ」で、失敗を描きつつも失意ではないあたりが、ヴォネガットの芸風なんだろうなあ。

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