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2019年5月 8日 (水)

デヴィッド・M・バス「『殺してやる』 止められない本能」柏書房 荒木文枝訳

殺人に魅了されるのはまったく筋が通っている――これは優れた生き残り戦略だからだ。
  ――第1章 殺人の長い歴史

アメリカで起きた殺人事件のうち、男性が犯人の割合は例年87%ぐらいである。殺人の被害者もほとんどが男性なのは意外かもしれない。年間の殺人被害者のうち男性が占める割合は平均75%である
  ――第2章 人間が手に入れた殺人戦略

わたしたちが直面するもっとも容赦ない競争は、好ましい伴侶を見つけてつなぎとめておくことだ。
  ――第3章 三角関係の悲惨な帰結

浮気する女性は他の男性への欲情のおもむくままに、浮気相手とセックスするタイミングを排卵に合わせるのに対して、連れ合いとのセックスは一番妊娠しにくい時期に合わせるのだ!
  ――第4章 愛と殺意の微妙な関係

社会経済的階層のトップにいる男性では、他の男性の子どもは2%にすぎない。中産階級では寝取られ率は12%に上がり、下層階級では20%に上がる。
  ――第4章 愛と殺意の微妙な関係

虐待、過剰な監視、隔離は、自らを傷つける関係に女性をつなぎとめるという非道な働きをするのである。
  ――第5章 夫や彼女を殺す女たち

この法律(テキサス州のベビー・モーゼス法)により、女性は生後一カ月未満の赤ん坊を消防署や救急ステーションに放置しても、何の詮索もされないのだ。
  ――第7章 殺し合う家族

アメリカでは一人またはそれ以上の代理の親――結婚による継親や、同じような役割を背負った者――と暮らす子どもは、実の父親と暮らす子どもに比べて、家庭内で殺される確率が40倍から100倍も高いのだ。
  ――第7章 殺し合う家族

【どんな本?】

 デーヴ・グロスマンは「戦争における[人殺し]の心理学」で、こう主張した。「敵と戦っている最中でも、敵を殺したがらない兵士は多い」と。だが、平和な世の中でも、殺人事件は起きている。実際に行動に移さないまでも、誰かを殺したいと考えた経験のある人は多い。逆に「このままでは殺される」と思った事もあるだろう。

 なぜ人殺しが絶えないのだろう? 著者は、こう主張する。「ヒトは殺意を抱くように進化した。生存競争の過程で、人殺しは有効な戦略だった」と。私たちには、人殺しの血が流れているのだ。

 では、どんな時に、どんな人が、どんな相手に殺意を抱くのだろうか。生存競争の上で、人殺しはどんな役割を果たしたのだろうか。映画やゲームの暴力描写が影響しているのだろうか。悲劇を避けるには、どうすればいいのだろうか。

 テキサス大学オースティン校の心理学部教授が、世界中から集めたアンケートや犯罪統計、そしてヤノマミ族など部族社会の研究結果を元に、ヒトが殺人に至る原因を明らかにした、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Murderer Next Door : Why the Mind Is Designed to Kill, by David M. Buss, 2005。日本語は2007年3月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約295頁に加え、訳者あとがき2頁。9ポイント46字×19行×295頁=約257,830字、400字詰め原稿用紙で約645枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。敢えて言えば、アメリカ人向けに書かれた本なので、南部と北部の文化や風俗の違いを知っていた方がとっつきやすいかも。

【構成は?】

 刺激的な書名のわりに実は真面目な本なので、できれば頭から読んだ方がいい。が、困ったことに、美味しそうな所をつまみ食いしても、かなり楽しめてしまう。

  • 第1章 殺人の長い歴史
    愛する人が抱く殺意/意外な人が殺意を抱く/殺人に魅了される理由/殺すところを生々しく想像する/殺人の動機/人は昔から人を殺してきた/殺すメリットと殺されるリスク/進化が作り上げた防御手段/それでも殺人は起こる/殺人調査
  • 第2章 人間が手に入れた殺人戦略
    殺人に対するいくつかの誤解/統計から見た殺人/人が人を殺す理由/プロファイリングの不十分さ/誰もが殺意を抱いている/絞め殺すか、首をはねてやりたい/殺人の予行演習/殺しに至るまで/進化心理学で殺人の謎に迫る/殺人の恩恵/死んだ男はわが子を守りきれない/殺されないために進化した/チンパンジーも殺し合う/狙う者と狙われる者
  • 第3章 三角関係の悲惨な帰結
    憎い恋のライバル/恋人探しの激しい競争/誰でもいいわけではない/男と女の好みの違い/男が伴侶に求めるもののライバルを蹴落としたい女/男を駆り立てる女とは/男の暴力、女の暴力/暴力が女を惹き付ける
  • 第4章 愛と殺意の微妙な関係
    なぜ愛する人を殺してしまうのか/愛が殺意に変わるとき/愛が求められる理由/愛とは強い絆である/進化が用意した冷徹な戦略/生涯の愛を誓ったのに/優秀な遺伝子を得る/失恋の危険/寝取られる代償/寝取られ男の損失/彼女を心から愛している/伴侶を殺す男の条件/プレイメイトの血まみれの死体/彼女を取り戻したい/誰もがやりかねない伴侶殺し/女が感じる身の危険
  • 第5章 夫や彼女を殺す女たち
    女の動機/進化から見た虐待の理由/異常なまでに支配的な夫/自分を守るために刺した/殺さなければ逃げられない/拒絶された男/死に至るストーカー/レイプの深い傷/殺人とレイプの意外な関係/そいつの性器を撃ってやりたい/レイプによって失うもの/殺されたレイプ犯
  • 第6章 略奪愛の代償
    略奪愛 人間から昆虫まで/伴侶の奪い合い/略奪者の多様な戦術/どうして密通したいのか/危険な略奪愛/密通は歓迎されない/寝取られないよう用心しろ/殺人という解決法/男も女も凶暴である/彼は絶対に渡さない/死をもって復讐する/密通と殺される危険
  • 第7章 殺し合う家族
    不可解な子殺し/進化が子殺しをさせて来た/邪魔な子どもを殺す親/どうせ殺してしまうなら/「おまえなんか殺してやる」/子どもを殴り殺す継父/邪悪な継母の物語/継子殺しの心理回路/子どもによる殺人回避手段/虐待する継母/親を殺す子ども/殺すのは息子か娘か/兄弟姉妹が殺し合う/一族の名誉を守るために
  • 第8章 誇り高き殺人者
    高い地位が得をする/出世するための殺人/ライバルや上司の邪魔/侮辱された男/マッチョ/名誉の文化/性的評判に傷がつく/連続殺人犯も同様である/権力者の動機/大量殺人という戦略/殺人はもっとも効果的である
  • 第9章 どこにでもある殺意
    集団殺戮の原動力/殺しを進化させてきた人間/殺人はこれからも有効か/殺人者は待っている
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 読んでいる最中はもちろん、読み終えてからも、しばらくは胸の高まりが収まらなかった。

 とはいえ、いわゆる「面白い物語」を楽しんでいる時のトキメキとは違う。何か嫌な感じのする高まりだ。恐れか怒りかもしれない。

 そもそも、本書の主張からして、はなはだ物騒で面白くないモノだ。「ヒトには人殺しの本能が備わっている、殺した者がより多くの子孫を残せたからだ」なんて説なのだから。

 実に忌まわしい説だが、これを統計や実際の事件を根拠とした上に、進化上の生存競争を絡めて説得力の高い理屈で裏付けするから困る。この理屈、何が困ると言って。

 実は「ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち」なんて本がある。炎上の被害にあった人を調べた本だ。この本では「人前で恥をかかせるのは死刑より厳しい」みたいな事が書いてある。心に傷を負うのですね。そのため、炎上の被害者は、長く苦しむ羽目になる。ところが、恥があまり痛くない場合もあるのだ。例として、有名人の男が若い女とアレなナニしたのがバレた話が出ている。

 「ルポ」じゃ「性的な規範が変わった」みたいな解釈をしてた。が、この本の理屈の方が納得いく。極論すれば「ソレも男の甲斐性」みたいな理屈だ。現在の文明社会ならともかく、部族社会なら充分に通用する理屈なのだ。

 実のところ、部族社会は決して平和な社会じゃない。「文明と戦争」や「昨日までの社会」にもあるが、戦争も殺人も部族社会の方が遥かに多い。戦争の利得は幾つかあるが、その一つは女だ。

現在ヤノマミ族の女性の17%は、襲撃中に拉致されて妻となった者である。
  ――第9章 どこにでもある殺意

 進化とは、いかに自分の遺伝子を残すかの競争だ。女を奪って自分の子を産ませれば、自分の遺伝子が残る。だから邪魔な男を殺す。そういう理屈だ。

 戦争は他の部族との間の話だが、同じ部族の中でも睨み合いはある。若く健康な女は、将来たくさん子を産むだろう。そこで邪魔なライバルがいいるなら、蹴落としてしまえ。他の男のものになっていても、奪ってしまえばいいい。逆に、モノにした女がいても、他の男は常にスキを窺っている。下手にナメられたら奪われる。だから、常に睨みをきかせておけ。そういう本能を、進化の過程でヒトは育んできた。

…人――男女どちらも――は人前での侮辱を、男性の男らしさ、体力、精力、味方としての値打ち、性的侵害から女性を守る能力への挑戦とみなすものだ。応酬しなかったり、無視してやり過ごそうとしたりすれば、侮辱された男性は面目を失う。
  ――第8章 誇り高き殺人者

 メンツが潰れれば、弱者とみなされ、自分の遺伝子を遺せない。だから、恥で苦しむ。対して、若い女とヤったなんて醜聞は、道徳的には責められても、遺伝子を残すにはむしろ「巧くやった」事になる。そのため、社会的には痛手でも、本能の部分ではむしろ武勇伝になる。あまり痛く感じないのは、そういう事だろう。

 そんなわけで、殺しの本能は誰にでもあるって結論になる。実際、本書が扱う統計や実例の大半は、連続殺人犯ではない。「連続殺人犯は大々的に報道されるが、実際にはアメリカで起こった殺人事件の1~2%を占めるに過ぎない」。では何を扱うかというと、最も多いのが「痴情のもつれ」なのですね。次に家族間の殺人。これに「いかに自分の遺伝子を残すか」で説明をつけていくのが、本書。

 と書くと、本能を称えているかのようだが、もちろん違う。例えば、人種差別感情について、「第9章 どこにでもある殺意」で、こう理屈をつけている。

昔の人々は現代のような移動手段を持たなかったので、多かれ少なかれ自分に似た者にしか出会わなかった。(略)見た目が似ていないと、敵対的な意図を持つ可能性は偶然よりも高かった。(略)先祖の時代には、外国人嫌いは適応上筋が通っていたのだ。

 私たちのご先祖にとって、ヨソ者は物騒だった。だから、見慣れぬ者を警戒する本能が身についた。だが、現在は航空機や自動車がヒトの移動距離を伸ばしたし、多くの人が集まって住む都市も発達した。法や警察などの社会制度も整ってきた。お陰で、ヨソ者の危険は消えた。どころか…

実際の殺人の圧倒的多数は、同じ人種や民族間で起こっている。アメリカでは白人被害者の88%は白人に殺され、アフリカ系の被害者の94%はアフリカ系に殺される。

 なんてのが現状だ。まあ、社会的な分断があって、接触の機会が少ないってのもあるんだろうけど。

 などと、ここでは男による殺しを中心に紹介したけど、もちろん女による殺しの話も出てくる。また、お堅い話ばかりではなく、野次馬根性で面白い部分もたくさんある。というのも、「殺したい」と思った事はあるか?なんてアンケートを取っており、これの回答が豊富に載っていて、なかなか身につまされるのですね。

 そんなワケで、真面目に読んでも、野次馬根性で読んでも、実に刺激的な本だった。

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