ロバート・R・マキャモン「魔女は夜ささやく 上・下」文藝春秋 二宮馨訳
「あの女は縛り首にでもなんでもすりゃあいいが、もう悪魔はファウント・ロイヤルにしっかり居座ってるんだ、救いようはない」
――上巻p24「わたしと書記がここへやってきたのは真実を見つけだすためであって、法という特権を破城槌のように振りまわしに来たのではない」
――上巻p137人は欲するものを捕えて征服できないとなると、それを滅ぼすことにおなじような情熱をそそぐものらしい。
――上巻p346「…姉の最大の罪はなんだったのか、おわかりですね?」(略)
「姉は毛色が変わっていたんです、おわかりでしょ?」
――上巻p389「…いま町に必要なのはほんものの指導者です、威張り屋や泣き虫はいらないんです!」
――下巻p209
【どんな本?】
「スワン・ソング」や「少年時代」などのホラーで人気が高いロバート・R・マキャモンによる、開拓期のアメリカを舞台としたサスペンス小説。
1699年、新大陸植民地のカロライナ。判事のアイザック・ウッドワードは、開拓中の町ファウント・ロイヤルに呼ばれた。魔女をつかまえた、法に基づいて判決を下して欲しい、と。ウッドワードは書記のマシュー・コーベットを伴い、ファウント・ロイヤルに向かう。
ファンウント・ロイヤルは、ロバート・ビドウェルが創った。ここを発展させ港町に育て上げようと考えている。しかし町では殺人が相次ぎ、綿もタバコも根付かず、果樹も寄生虫にやられた。天候も不順だ。何かに祟られていると考え、町から逃げ出す者も後を絶たない。このままではファウント・ロイヤルは荒野に戻ってしまう。
容疑者のレイチェル・ハワースは、意外なことに若い未亡人だった。容疑は夫のダニエルと司祭のダニエル・ハワースの殺害。いずれも無残な形で殺されている。悪魔の儀式を行うレイチェルを見た、と主張する者も一人ではない。
誰もがレイチェルの処刑を望む中、書記のマシューは幾つかの腑に落ちない事柄に気づく。何か邪悪な意思が働いているのではないか、と疑うウッドワードとマシューは、慎重に調べを進めようとする。しかし、頭に血が上った町の者たちは、早く判決を出せと迫る。
セイラムの魔女裁判(→Wikipedia)の記憶も新しい新大陸の植民地を背景に、荒っぽく緊迫した空気の中で展開する、長編ミステリ巨編。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Speaks The Nightbird, by Robert R. McCammon, 2002。日本語版は2003年8月30日第一刷。単行本ハードカバー縦二段組みで上下巻、本文約418頁+369頁=約787頁に加え、訳者あとがき4頁+編集部によるロバート・R・マキャモン作品案内14頁。8.5ポイント25字×20行×2段×(418頁+369頁)=約787,000字、400字詰め原稿用紙で約1,968枚。文庫本なら四分冊でもおかしくない巨編。
文章はこなれていいて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、歴史を少し知っていた方がいいかも。当時の北アメリカは植民地で、独立国じゃなかった。植民にはイギリスが熱心だったけど、他の国も隙あらばと狙っていたってことぐらい。
【感想は?】
ジャンルとしては、ミステリになるだろう。
殺人事件が起き、濃い疑いをかけられた者、レイチェル・ハワースが捕まる。証拠も幾つかある。だが、理屈に合わない点もある。果たして彼女は真犯人なのか否か。そこに名探偵の登場だ。
探偵物の定型に沿ってか、探偵側の人物は二人だ。例えばホームズ物なら探偵ホームズと記録係のワトソンのように。この作品では、ベテラン判事のウッドワードと若い書記のマシューが真相究明にあたる。ただし、名探偵役を務めるのは書記のマシューなのが、捻っているところ。
たいていの名探偵は自信に溢れている、どころか己の賢さを過信し、他の者を少し見下しているかのような印象すらある。ところがマシューは違う。20歳という若さもあるが、それ以上にウッドワードを心から敬っている。加えて過去のいきさつもあり、ウッドワードに親しみは持ちつつも、彼との距離感には微妙に屈折した思いを抱いている。
鋭い頭脳と、疑問を嗅ぎつけたら徹底的に追う執念は持っているが、ウッドワードに異を唱えるには強い抵抗を感じる、そういう生真面目で謙虚な人物だ。このウッドワードとマシューの関係が、この作品の読みどころの一つ。腐った人には別の意味で美味しいかも。
などの人間関係は、中盤以降に見えてきて、これが終盤になると本を閉じるのに苦労するほど強烈な引力を持つんだが、それは置いて。
序盤で私を惹きつけたのは、荒々しい開拓地の暮らしだ。物語はファウント・ロイヤルに向かうウッドワードとマシューが、途中で旅籠に泊まる場面で始まる。ここの主人ウィル・ショーカムもなかなかに強烈な人物ではあるが、マシューが備品の不備を嘆く所もいい。ったって、もちろんミニバーやドライヤーじゃない。室内用便器、つまり「おまる」がない、と文句を言っている。
ここで私は一気に17世紀末の世界、それも開拓地に突き落とされた。冷暖房はもちろん、電話も自動車も水道もない。コンビニなんてとんでもない。たいていの事は「今、そこにあるもの」でやりくりしなくちゃいけない、そんな世界だ。だから、鍛冶屋や医者は重宝される。そういう背景事情が、「おまる」一つで肌に伝わってくるのである。なんたって、誰でも出すモンは出さなきゃならないんだし。
そんなんだから、町の行く末は重大事だ。人が増えれば便利な店も増える。またクマやインディアンの襲撃もあり、そのための防衛も必要だ。だから民兵がいて、自分たちで町を守っている。政府は遠い大西洋の彼方だから、いちいち手を借りちゃいられない。大抵の事は自分たちでカタをつける、町にはそういう気風が溢れている。
それだけに、そこに住む者も強烈な人物が多い。町の設立者にして支配者のロバート・ビドウェルもそうで、現代なら強引な経営をするワンマン社長といったところ。ファウント・ロイヤルに君臨し、不作に苦しんじゃいるが踏ん張る意思は強い。決断は早く自分の意見に強くこだわる。
この物語でマシューらが突き当たる大きな障壁が、このロバートだ。次々と町に襲い掛かる凶事の根源は魔女レイチェルだと思い込み、出来る限り早く始末したいと思っている。ただし、町の歴史に傷を残さぬよう、あくまでも合法的な形で。「俺が大将」な意地っ張りのゴリ押しを、いかにマシューがかわすか。これは全編を通じた読みどころ。
ホラー作家としてのマキャモンの腕が冴えるのが、このピドウェルに代表される町の者たちの「思い込み」と「気の逸り」を描くところ。ロバートは町の維持のためだが、ヴォーン夫人ことルクリーシャ・ヴォーンの動機は一味違う。菓子屋を営み掃除も料理も腕は一流で商売も巧みなんだが、なかなか強烈なご婦人だ。彼女も現代なら相当に稼ぐだろうなあ、炎上覚悟の特攻商法でw
そんな連中の集団ヒステリーじみた場面の怖さは、手練れのホラー作家ならでは。しかも、ただえさえカッカしやすい連中が集まってるのに、更にガソリンをブチまける奴が出てくるから意地が悪い。
それは流れの説教師エクソダス・エルサレム。もう名前からして、これ以上ないってぐらいに胡散臭いんだが、人を扇動するのだけはやたらと巧いんだから困る。
これもマキャモンの特徴で、「スワン・ソング」や「少年時代」にも色濃く出てた重要なテーマの一つ、宗教との関わり方だ。この作品でも説教師に悪役を割り振っているし、魔女裁判のお話だから、マキャモンは宗教に否定的だと思うかもしれない。でも、実際はそれほど単純じゃないのだ。
「スワン・ソング」も「少年時代」も、教会は希望や救いの灯でもあった。危機に際し、人々を集め話し合い結びつける舞台として、教会が役割を果たした。この作品じゃ教会はあまり大きな役割を果たさない。むしろ重要なのは各員の心の中の信仰で、「主の祈り」が重い意味を持つ。例えば、魔女の証拠の一つは、レイチェルが頑として主の祈りを唱えない点だし。
ミステリとしては綺麗にまとまっている。が、それ以上に、開拓地の荒々しい暮らしと、そこで一旗揚げようと踏ん張る人々の姿が、私には楽しかった。登場人物には強烈なエゴを持つ人が多いが、そうでもないと開拓地じゃやっていけないんだろう、というもの伝わってくる。謎解きより、活力に満ちた人々の生き方や、その中で成長してゆくマシューと、それを見守るウッドワードの眼差しが面白い群像劇だ。
はいいが、これ以降マキャモンの作品が日本で出ないのは何故だ? マシュー・コーベットのシリーズも既に7部まで出てるのに。あ、ちなみに、この作品「魔女は夜ささやく」だけでも、完結した物語として楽しめます、はい。
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