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2019年3月18日 (月)

チャールズ・スペンス「『おいしさ』の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実」角川書店 長谷川圭訳

食の喜びは心で感じる、口ではない。
  ――アミューズ・ブーシュ

オックスフォードとケンブリッジの研究者たちによると、皿やボウルのサイズを小さくすると、私たちが実際に口にする量はカロリーにして平均およそ10%(160カロリー)低下する。
  ――第3章 見た目

食の世界ほど思い込みに惑わされている分野も珍しい
  ――第4章 音

食べ物は手で食べたほうがほんとうにおいしい、と多くの人が私に報告してくれている。特にインド出身の人々のその傾向が強い…
  ――第5章 手触り・口当たり

BGMにクラシック音楽を流せば、人々が散財する傾向が強くなることもわかっている。
  ――第6章 雰囲気

食べ物を共有するというのは、人間という生き物にとって普遍的な現象だとされていて、考古学では一万二千年前に祝宴が行われていた証拠が見つかっている。(略)
最近の調査では、ともに食事をすることで、人は他人の意見に同意しやすくなることもわかった
  ――第7章 ソーシャルダイニング

…飛行機内の空気はだいたい高度1800mから2500mぐらいの大気と同じぐらいの圧力にあるように調整されているのだが、そのような条件下では甘さや酸っぱさ、あるいは苦さを感じるのが難しくなる。
  ――第8章 機内食

【どんな本?】

 著者は2008年度イグ・ノーベル賞栄養学賞の受賞者だ。ボテトチップスを食べる際、パリパリ音を強調すると、より新鮮に感じる、そんな研究である。

 先の研究が示すように、料理のおいしさには様々な要素が関わっている。味はもちろん、香り・食器や盛り付けや色・音・口当たりなどだ。レストランは店の飾りつけに凝るし、ケーキ屋は丁寧にケーキの形を整え、食品メーカーはパッケージ・デザインに気を配る。いずれもちゃんと理由がある。

 それぞれ具体的には、どんな要素がどのように影響するのだろうか? それぞれの要素に個人差はあるんだろうか? どんな料理にどんな食器が相応しいのだろうか? 食欲を増すには、または少ない量で満足するには、どんな工夫をすればいいんだろうか?

 オックスフォード大学の研究者が、数多くの実験に加え、一流シェフに協力を仰ぎ、さらに世界各国のレストランを食べ歩いたフィールドワークの成果を結集した、おいしくて楽しい一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GASTROPHYSICS : The New Science of Eating, by Charles Spence, 2016。日本語版は2018年2月28日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約365頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント41字×16行×365頁=約239,440字、400字詰め原稿用紙で約599枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も難しくない。出てくる食品や料理は欧米の物が多いので、ソッチに詳しい人ほど楽しめるだろう。ただし、体重が気になる人は、夕食後に読んではいけない。

【構成は?】

 大雑把に分けて二部に分かれている。第6章までは基礎編、第7章以降は応用編だ。基礎編では、何がどうおいしさに関わるかを語る。応用編では、それを受けてシェフや企業がどんな工夫をしているかを紹介する。

  • 序文 ヘストン・ブルメンタール
  • アミューズ・ブーシュ
    ガストロフィジックス 新しい食の科学/ガストロフィジックスとは?/“クロスモーダル”と“マルチセンソニー”/皿から口へ ナイフとフォークがいちばん便利?/直感のテスト/雰囲気はどのくらい影響する?/オフ・ザ・プレート・ダイニングとは?/おいしいものはおいしい?
  • 第1章 味
    それは味?それともフレーバー?(そんなことどうでもいい?)/期待に応える/どんな名前?/大きな期待/値段、ブランド、名前、ラベルの影響/味の世界/「味以上の味がある」
  • 第2章 香り
    バニラの香りは甘い?/背景としての香り/嗅覚をつくる/どうすればフレーバーの効果を拡大できる?/嗅覚ディナーパーティー/香りと感性
  • 第3章 見た目
    色を味わう?/形を味わう?/皿を味わう?/“フードポルノ”の歴史と今後/“卵黄ポルノ”とは?/マクバン/フードポルノの欠点は?/自宅でガストロポルノ?/消費のイメージ/醜いフルーツ/食という名のポルノ
  • 第4章 音
    調理の音/すべてはポテトチップスから始まった/食べ物の音/サクサクとパリパリ/昆虫を食べる?/ポテトチップスは袋もうるさい?/ザク、パリ、ポン/自宅の食べ物はどんな音?/「えっ、何?」/ディナーと騒音/音響強化フードとドリンク
  • 第5章 手触り・口当たり
    味とフレーバーに対する触感の影響?/マリネッティの触覚ディナー/最初に味わうのは手?/冷たくて滑らかな金属はお好き?/でこぼこのスプーンを使ってみたい?/重さは何かの役に立つ?/毛皮のカトラリー?/手で食べる/食べ物を口に運ぶ楽しさ?/感情の腹話術
  • 第6章 雰囲気
    ビートに合わせて/快適さは必要?/白いキューブの中で食事がしたい?/試飲イベント/<シングルトン・センソリアム>/<カラー・ラボ>/レストランにおける環境のコントロール/雰囲気の未来
  • 第7章 ソーシャルダイニング
    どうして一人で食事をする人が多いのか?/一人で食事をするのは悪いこと?/気が散る食事/一人の食事は楽しい?/ソロ・ダイニング/タパス化/どうして外食するの?/テレマティックディナー
  • 第8章 機内食
    過去の機内食/有名シェフは一万メートルの上空でも才能を発揮できるか?/飛行機の騒音とトマトの関係/超音速調味/空気圧/サービスのための簡単なヒント/マルチセンソリー体験のデザインは飛躍できる?
  • 第9章 記憶
    食の記憶/選択盲/“スティックション”とは?/何を注文したか覚えている?/何を食べたか覚えている?/忘れられた食事/食の記憶のハッキング/忘れないで……
  • 第10章 個人食
    みんな個人化が大好き/“自己優先化効果”とは?/レストランにおける個人化/誰もがあなたの名前を知っている場所/初めて訪れた客人をもてなす方法/個人化の未来/シェフのテーブルにて/選択の問題/“イケア効果”/ケーキづくり/「ちょっと塩とコショウをちょうだい」/カスタマイズする料理としない料理の違いは?/私の個人的な考え
  • 第11章 新しい食体験の世界
    芝居がかかった食事/凝った演出の盛り付け?/“そのほかの要素”/テーブル・パフォーマンス/テーブルで紡ぎ出される物語/テーブル劇場/食べ物を使ったパフォーマンスアート/食体験の未来
  • 第12章 デジタルダイニング
    3Dフードプリンター?/デジタルメニューで注文?/タブレットの味/火星でチーズケーキはいかが?/拡張現実ダイニング/「サウンド・オブ・ザ・シー(海の音)」を聞いたことがある?/びっくりスプーン/デジタルフレーバー/震えるフォークで素敵な食事?/電気味覚/食風景を変えるデジタル技術/ロボットの料理人は優れたシェフになれるか/
  • 第13章 未来派への帰還
    未来派料理 分子ガストロノミーは1930年代に発明されていた?/未来派パーティーを開こう!/食の未来の展望/ビッグデータと食べ物/共感覚体験のデザイン/「ゲザムトクンストヴェルク」とは?/より健康で、より持続可能な食の未来のために/最後に 健康な食生活とは?
  • 注釈/図の出典/謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 書名がうまい。「『おいしさ』の錯覚」だ。「『味』の錯覚」じゃない。

 本当は、みんな気づいてる。「おいしい」は、味覚だけじゃない。カレーやコーヒーは香りが大切だ。トーストはサクサクがいい。お好み焼きの上で鰹節が躍るとワクワクする。

 そう、「おいしい」には、味覚以外のものが関係している。豊かなにおい、歯触りや噛み応え、見た目の美しさや躍動感、そしてポテトチップスのパリパリ音。嗅覚・触覚・視覚・聴覚。「おいしさ」は、五感すべてが関わって創り上げる、総合的な感覚なのだ。

 そこまでは、誰でも気づいている。では、具体的に何がどう関わっているんだろう? 経験的に知っている人はいる。料理人や食品メーカーの開発者だ。店の飾りつけや炭酸飲料の色あいは、売り上げを大きく変える。

 ただ、彼らの知識は断片的で偏っている。高級レストランのシェフはジャンクフードを知らないし、ポテトチップスのメーカーは食器を気にしても仕方がない。そこで学者の出番だ。

 著者は各国のレストランを食べ歩いては(まったくもって妬ましい!)シェフと語らい、食品メーカーの開発者の相談に乗りつつネタを集め、そして時には研究者として実験を企画・実施してはデータを集め論文を書き、その結論をシェフや技術者に伝え…

 などの活動の成果がこの本だ。

 その結論は意外でもあり、また同時に「そうじゃないかと思っていた」ような所もある。例えば、何をおいしそうと感じるかは、人によって大きく違う。これは育った環境による部分もあれば、体質によるものもある。

 関西で生まれ育った人は、納豆が苦手な人が多い。著者も、日本の抹茶アイスで味わった「苦い」思い出を語っている。あの色からミントを期待して食べたが…。「おいしい」には、思い込みや期待も大切なのだ。当然、これは育った環境で変わる。私たちは「抹茶」の名で苦さを、著者はクールさを期待したのだ。

ところで抹茶アイスって原料は牛乳と卵と砂糖と抹茶だよね。日本人は茶に砂糖やミルクを入れるのを邪道と感じるけど、実はイケるんじゃね?

 こういった文化・社会的な要因もあるが、体質も関わってくる。塩味・甘味・酸味などは、人によって感度が違う。超味覚者と呼ばれる人もいて、そういう人の舌先には「普通の人の16倍もの味蕾がある」。特に違いが大きいのが苦味だそうだ。子供は私たちより苦味を強く感じるのかもしれない。

 もちろん、「おいしい」には匂いも大事だ。ところが、匂いの感じ方も人により大きく違う。「人口のおよそ1%は、バニラの香りを感じることができない」。匂いの元となる物質は星の数ほどあり、それぞれ人によって感度が違う。つまり…

人はそれぞれ違う味の世界に生きている
  ――第1章 味

 のだ。人により食べ物の好みが違うのも、当たり前なんだなあ。

 この匂いを巧みに使ったのが、食品メーカー。チョコレート味のアイスクリーム・バーに、ちょっとした工夫をした。本来、チョコレートは凍らせると香りが出ない。そこでメーカーは、パッケージの接着剤に、合成したチョコレートの香りを加えた。パッケージを開けると、チョコレートの香りが広がる。いいのかw

 訳者あとがきにもあるんだが、妙に和食・日本食の工夫を連想する記述が多いのも、この本の特徴の一つ。

 例えば、サンディエゴのレストラン≪トップ・オブ・ザ・マーケット≫の総料理長アイヴァン・フラワーズ。シェフに、カウンター席の客と会話するようにした。これ、寿司屋や屋台のおでん屋の親父がやってる事だよね。

 また、「イケア効果」なるものもある。

人は自分でつくったものは、ほかよりも価値が高いと感じる傾向がある。
  ――第10章 個人食

 何かをつくる趣味がある人なら、わかるだろう。私も、このブログの記事はとても面白いと思っている。これは料理も同じだ。少しでも自分の手が入っていれば、おいしく感じるのだ。これを巧みに取り入れたのが、お好み焼きだろう。焼くだけなんだけど、それでもおいしく感じるのだ。バーベキューも、そうなのかな?

 手を入れなくても、「自分の物」だと思うだけで、やはり価値が高いと感じる「授かり効果」なんてのがある。ボトルキープなんて習慣は、これだろう。脚注にも食品サンプルの話があったりするので、なかなか油断できない。

 後半では、レストランのシェフや食品メーカーなど現場の話が増え、特に終盤ではかなり過激な演出の食事会を紹介していて、シェフたちの創意工夫と新奇さを求めるヒトの欲望にアングリしたり。またダイエットに役立つ情報もチラホラあって、なかなか役立つネタも多い。

 ただ、楽しみながら学べるのはおおいに結構なんだが、出てくるメニューがとにかく食欲を刺激するのが困りもの。読むなら食前にしよう。間違っても夕食後の深夜に読んではいけない。

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