スティーブン・ジョンソン「世界を変えた6つの『気晴らし』の物語 新・人類進化史」朝日新聞出版 太田直子訳
本書の歴史は、あまり実用性のない楽しみの話である。楽しそうだとか、びっくりするようなものだという事実のほかに、明らかな理由もなく生まれた習慣や環境の話なのだ(略)。
――序章 マーリンの踊り子彼らを(地中海から)外洋へとおびきだした最初の誘惑は、単純な色だったのだ。
――第1章 下着に魅せられた女たち ファッションとショッピング紀元前2000年、世界中の人間社会のほとんどは、まだ言語のための表記方法を発明していなかった。ところがどういうわけか、古代シュメール人はすでに楽譜をつくっていたのだ。
――第2章 ひとりでに鳴る楽器 音楽紀元900年ごろのイスラムによる香辛料貿易の地図は、今日の世界中のイスラム教徒人口を示す地図に、ほぼぴったり合致する。
――第3章 コショウ難破船 味熱帯地方におもしろい香辛料があるのは、基本的に熱帯地方にはあらゆるものがたくさんあるからだ。
――第3章 コショウ難破船 味リチャード・アルティック「好奇心はつねに万民を平等にする」
――第4章 幽霊メーカー イリュージョン私たちはゲームを、統治形態や法律、あるいは純文学小説ほどは深刻に受け止めないかもしれないが、どういうわけか、ゲームには国境を越えるすばらしい能力がある。
――第5章 地主ゲーム ゲーム…メソアメリカの人々は、グッドイヤーが実験を始める数千年前に、加硫の手法を開発していたのだ。
――第5章 地主ゲーム ゲーム私たちの脳は、世のなかの何かに驚かされると、注意を払うようにつくられているのだ。
――終章 驚きを探す本能
【どんな本?】
現代社会は、幾つものテクノロジーに支えられている。歯車やピストンなどの機械工学、貿易を支える船と航海術、自動車のタイヤのゴム、そしてコンピューター。いずれも私たちの暮らしを便利にし、面倒な手間や苦労を省いてくれる。
それらは役に立つ。だが、ルーツをたどると、最初は全く違った目的のために作られた技術や、考え出されたしくみ・制度も多い。役立たせるためではなく、人を驚かせ、または楽しませる、要は「面白さ」のために生み出されたものだ。
ファッション・音楽・香辛料・幻影・ゲーム・娯楽施設など、いわゆる「気晴らし」のために生まれ発達したモノや考え方が、私たちの世界をどう変えたかを綴り、「遊び」の効用を再評価する、一般向けのちょっと変わった歴史のウンチク本。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は WONDERLAND : How Play Made the Modern World, by Steven Johnson, 2016。日本語版は2017年11月30日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約371頁、9.5ポイント43字×17行×371字=約271,201字、400字詰め原稿用紙で約679枚。文庫本なら少し厚い一冊ぐらいの文字量。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。世界史や技術史に詳しいと更に楽しめるが、疎くても「そうだったのか!」な驚きをたくさん味わえる。特に、この本が扱う6つのテーマのいずれかに興味があれば、更に楽しめる。ただし、受験用の歴史学習にはほとんど役に立たないと思う。
【構成は?】
各章は比較的に独立しているので、興味のある所から読んでもいいだろう。私は第2章の音楽と第4章の映画、そして第5章のゲームが特に楽しかった。
- 序章 マーリンの踊り子
- 最古のテクノロジー
- 機械時計から生まれた初期ロボット
- 屋根裏の美しい踊り子
- 「気晴らし」の種はヨーロッパ以外で育つ
- 「気晴らし」を探れば未来が見える
- 第1章 下着に魅せられた女たち ファッションとショッピング
- ティリアン・パープルへの欲求
- 買い物が手段で無くなった日
- 店舗ディスプレイと産業革命
- 羊と羊の闘い
- 木綿ビッグバン
- 木綿が引き起こした史上最悪の出来事
- ファッションは社会に挑む
- 商業の大聖堂
- 「百貨店病」の流行
- 「売るための機械」が落とした影
- ウォルト・ディズニーのイマジニアリング
- モールか、モールなしか?
- 第2章 ひとりでに鳴る楽器 音楽
- 旧石器時代の音楽
- 音楽は異質な音から生まれた
- プログラムできる音楽
- 音楽が模様をつくる
- メディチ家の結婚式
- 鍵盤からタイプライターへ
- 音楽なくしてテクノロジーなし
- 「バレエ・メカニック」のとっぴな「オーケストラ」
- 自動演奏ピアノの軍事利用
- 世界最古の電子楽器
- 図形を音に変換する装置
- 音楽はコンピューターの母だった
- 第3章 コショウ難破船 味
- 味覚のグローバル化
- 世界を変えた香辛料
- 世界最強の通貨
- 盗賊になった宣教師
- 銀と等価だったバニラビーンズ
- 革命を起こした12歳の少年
- 中世貴族に使えた香辛料師
- ヨーロッパ人の誤解
- エリザベス一世が伝えた神意
- 香辛料のメッセージは「火事だ!」
- 第4章 幽霊メーカー イリュージョン
- ホラー映画を生んだ霊媒師
- 幽霊ショーとマルクス
- 階級の垣根を越えた、だまされる喜び
- 視覚はだまされる
- 360度の眺望を描く
- パノラマが生んだ疑似体験
- イリュージョンを駆逐した映画
- 映画を芸術に持ち上げた欠点
- ディズニーの『白雪姫』
- 「1秒12フレーム」から疑似友人へ
- 第5章 地主ゲーム ゲーム
- 修道士が著した風変わりな本
- チェス盤上に示された社会の有様
- チェスと人工知能
- 知られざるモノポリーの祖先
- 神話化される偽のゲーム発明者
- 社会を変えた「運」のゲーム
- 運を確率論で説明した男
- サイコロのデザインと統計学
- コロンブスが出会ったゴムボール
- ゴムのイノベーション
- コンピューターゲームの誕生
- 「スペースウォー!」とジョブスのつながり
- カジノで使われた初めてのウェラブル
- 人間にもっとも近い「ワトソン」の未来
- 第6章 レジャーランド パブリックスペース
- 人種の境界なき酒場の悲劇
- 民主主義はバーで生まれた
- もし歴史から飲み屋が消えたなら
- LGBTにとってのバーという場所
- 居酒屋のハチドリ効果
- 人間とコーヒーの物語
- トルコ人の頭
- コーヒーハウスの使われ方
- 奇妙なコレクションのあるコーヒーハウス
- 詩人も地主も起業家も科学者も
- 自然を楽しむというイノベーション
- モンブラン踏破とダーウィンの進化論
- 人間の楽園に変わった自然
- 初めての動物園のおしゃれなオランウータン
- 野生動物商人がつくった巨大テーマパーク
- 世界は狭まり「遊び場」が生まれる
- 終章 驚きを探す本能
- 謝辞/原注/参考文献/クレジット
【感想は?】
歴史はセンス・オブ・ワンダーでいっぱいだ。
著者はソレを「ハチドリ効果」と呼んでいる。他の目的のために生まれた発想や技術が、全く別の分野に応用され、発展して世界を席巻してゆく、そんな現象である。
誰かが明確に一つの目的を持った装置を発明するが、その装置をより広い社会に導入することで、発明者が想像もしていなかった一連の変化が起こるのだ。
――第6章 レジャーランド パブリックスペース
歴史の視点には大きく分けて二つの型がある。一つは人物に焦点を当て、王朝や英雄の活躍を語るもの。昔から物語のネタとしてよく使われた。もう一つは技術や産業の伝播や発達を追うもので、ウィリアム・H・マクニールの「世界史」が代表だろう。
この本は後者、すなわち技術や産業や概念の伝播と発達、そして変化や成長を追うタイプだ。ただしマクニール的に技術を追うタイプでも、「それが何の役に立つのか」が説得力の基礎をなす。だが、この本では、何の役にも立たないモノを主役に据える。
この本が扱うのは、ファッション・音楽・香辛料・幻影・ゲーム・娯楽施設などだ。いずれも、現代では重要な産業を成している。が、無くなった所で文明が崩壊するわけじゃない。それでも、この本を読むと、こういった「遊び」こそが文明の発展の原動力なんじゃないかと思えてくる。
上にあげた6つのテーマのうち、たいていの人なら一つぐらいは興味を惹くものがあるだろう。そこから読み始めてもいい。
私が最も惹かれたのは、第2章の音楽だ。ヒトの音楽にかける執念は、パイプオルガンを見ればわかる(→「パイプオルガン 歴史とメカニズム」)。あのとんでもなく精密で大規模なメカニズムを、心地よい音を響かせるためだけに作ったのだ。この音を求める欲求は洞窟に暮らしていた頃からのものらしい。
旧石器時代の洞窟遺跡で発掘された骨笛のなかには、音を出せるぐらい無傷のものもあり、多くの場合、骨にあけられている指孔は、現在、完全四度および完全五度と呼ばれている音程を出す間隔になっていることを、研究者は発見している(略)。
――第2章 ひとりでに鳴る楽器 音楽
音楽理論なんざ欠片もなく、狩りと採取で暮らしていた頃から、ヒトは「心地よいメロディー」を求めたのだ。幸い骨だからモノが今も残っているが、皮は残らない、考古学者によると、皮で作る太鼓は10万年以上の歴史があり、「音楽の技術は狩猟や体温調節のための技術とおなじぐらい古い」。樋口晶之のドラム(→Youtube)で血が騒ぐのは、そのためか。
時は流れ9世紀。バグダッドのハイテク・エンジニア兄弟、バーヌ・ムーサは自動オルガンを作る。笛の穴を、指で塞ぐのではなく、シャフトで塞ぐ。シャフトはカムで上下する。カムというより太い円筒で、理屈はオルゴールに似ている。
この発明の凄い所は、円筒を取り換えれば別の曲を奏でられること。つまり「プログラム可能だったのだ」。ハードウェアとソフトウェアが分かれたのだ。一種の万能機械といえよう。バーヌ・ムーサは得意絶頂だったろうなあ。ところが、この偉大なる発明は…
800年にわたって、人間はプログラム可能性という変幻自在の手段を手にしていながら、その期間、その手段をもっぱら心地よい音波のパターンを空中に発生させるために利用していたのだ。
――第2章 ひとりでに鳴る楽器 音楽
と、音楽とからくり人形だけにしか使われなかった。これを変えたのがジョセフ・マリー・ジャカール、産業革命のきっかけとなったパンチカード式の自動織機である。このパンチカードはチャールズ・パペッジの解析機関へと引き継がれ、やがて現代のコンピューターへと発展してゆく。
この章では、成功した発明だけでなく、消えていった発明も扱っている。中でも是非復活してほしいのが、ダフネ・オラム(→Wikipedia)が発明した楽器、オラミクス・マシン。発想が素晴らしい。オシロスコープは波形を画像にする。なら画像を波形、すなわち音にできるんじゃね?
残念ながら当時のテクノロジーじゃ使い勝手が悪い上に、世間も電子音楽を受け入れる土壌が育ってなかった。でも現代なら、彼女が考えたインタフェースはシンセサイザーやDTMで実現できるだろうし、かなり面白いモノになると思う。
終章では、なぜ遊びがイノベーションに重要かを解き明かしてゆく。遊びは気持ちをリラックスさせて想像力を刺激し、珍奇なアイデアを受け入れる心の余裕を広げるのだ。確かにギスギスした雰囲気だと面白い発想は出てこないしねえ。
この記事では明るい話だけを取り上げたが、本書では胡椒や木綿が引き起こした惨劇もキチンと描いている。またクロード・シャノンの意外な人物像など、ドラマとして面白いネタも多い。ファッションが、音楽が、映画が、ゲームが好きな人に加え、エンジニアにもお薦めできる一冊。
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