鈴木静夫「物語 フィリピンの歴史 『盗まれた楽園』と抵抗の500年」中公新書
…フィリピンの歴史を、ラス・カサス的な曇りのない目で捉えなおしてみることにしよう。植民地主義者や帝国主義者の観点からではなく、何より原住民の立場で、彼らの追い込まれた境遇や息遣いに迫ることである。
――はじめに…1898年6月12日、アギナルドによってフィリピンの独立が宣言された。
――7章 アメリカのフィリピン占領ダグラス(・マッカーサー)は独立までに1万1千人の正規軍と、40万人の予備軍を作る計画を立案した。仮想敵国は当然日本であり、もし戦争となれば、最終的にはゲリラ戦をも想定した。
――8章 「友愛的同化」の虚と実フク団との対立のさなか、フィリピンは1946年7月4日、アメリカ合衆国から独立した。
――12章 戦後の反政府活動フィリピンの地主階級や金持ちは、多くの場合私兵を持つか、外部からの侵略に備えてガードマンを置くのが常である。
――13章 ニノイ・アキノとフィリピン政治86年にエッドサで打倒されるまでに、マルコスは実に360憶ドルの対外債務をつくりだし、国家財政を麻痺させた。
――14章 マルコス政治と“ピープル・パワー”(人民の力)革命農地改革は、戒厳令で非常大権を握ったマルコス大統領ですら、ほとんど実効をあげることができなかった。
――14章 マルコス政治と“ピープル・パワー”(人民の力)革命
【どんな本?】
最近はドゥテルテ大統領の大胆かつユニークな政策が話題を呼んでいるフィリピン。巧みに英語を操る人が多いと同時に、南欧風の人名や地名も目立ち、カトリックが支配的ながらムスリムもいる。第二次世界大戦では激烈な戦場となり、戦後は独立したものの経済的な発展ではやや遅れをとっている。
そんなフィリピンは、どのような歴史を辿ったのか。スペインと、その後のアメリカの支配はどのようなもので、いかにしてそこから独立を勝ち取ったのか。そして独立後の歩みはいかなるものか。
文献だけに留まらず、現地フィリピンや旧宗主国であるアメリカにも足を運んで取材し、政府要人から反政府運動の活動家や宗教指導者などの声も集めて書き上げた、一般向けのフィリピンの歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
1997年6月25日発行。新書版で縦一段組み、本文約300頁。9ポイント43字×17行×300頁=約219,300字、400字詰め原稿用紙で約549枚。文庫本でも普通の厚さの一冊分。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。特に「そのころ日本は」的な記述が入っているのが有り難い。ただ、耳慣れない略語や人名がよく出てくるので、できれば索引か用語集が欲しかった。
【構成は?】
ほぼ時系列で進むので、素直に頭から読もう。
- はじめに
- 1章 フィリピンの歴史を遡上する
- 1 自由な天地で
「ラグナ銅板碑文」の世界/中国人との海上交易 - 2 アジア世界を求めて
大航海時代の幕開け/マゼラン船団の出発/西と東 最初の出会い/マゼラン、ラブラブとの戦闘で敗北 - コラム フィリピン人の名前と国名/世界一周、一番乗りの男エンリケ・デ・マラッカ
- 2章 盗まれた楽園
- 1 スペイン政府派遣の遠征隊
レガスピ遠征隊、セブにとりつく/セブ―パナイ―マニラ - 2 エンコミエンダ制の整備
植民地の拠点・マニラ - 3 もう一つの「海のシルクロード」
フィリピン経済を破壊したガレオン貿易 - コラム スペインを悩ませた倭寇と秀吉
- 3章 カトリック宣教と原住民
- 1 「改宗は簡単。押し付ければ信じる」
- 2 修道会のフィリピン支配
- 3 原住民の三重苦 貢税・奴隷化・強制労働
- コラム モロ戦争の歴史1
- 4章 全民族の抵抗運動へ
- 1 原住民キリスト教徒の抗議 ダゴホイ事件 1744-1829
- 2 対英協力で反スペイン闘争 ディエゴ・シランの反乱
- 3 祈りによる抗議 アポリナリオ・デ・ラ・クルスの兄弟会
- 4 巡回権問題と人種対立
- 5 在俗司教のフィリピン化
- 6 抵抗のもう一つの起爆剤 ゴンブルサ事件
イスキエルドの着任 - コラム モロ戦争の歴史2
- 5章 中国系メスティーソの勃興と抵抗
- 1 パリアン(生糸市場)から全国の流通を支配
- 2 初期プロパガンダ運動と「フィリピン人意識」
- 3 プロパガンダ運動の発展
- 4 フリーメーソンからの支援
- 6章 フィリピン革命
- 1 三人の戦士 リサール、ボニファシオ、アギナルド
「第三の社会」示したリサール/ボニファシオの歴史的直観の冴え - 2 「カティプナン」ついに蜂起
- 3 リサール処刑される
- 4 ボニファシオの処刑
- 5 ビアクナバト 和平か売国か
- 7章 アメリカのフィリピン占領
- 1 太平洋に進出した米帝国主義
太平洋の誘い/アメリカの“国盗り計画”/マニラ解放と米軍の背信 - 2 束の間のフィリピン独立
マロロス議会/フィリピン戦争の勃発 - コラム フィリピン独立教会創設
- 8章 「友愛的同化」の虚と実
- 1 マッキンリー米大統領の政策表明
- 2 タフトのフィリピン操縦術
- 3 米国への併合願った連邦党
- 4 宥和政策と「合法的独立運動」
- 5 フィリピン戦争は収束せず
- 6 独立法案とケソンの独裁
- 7 フィリピン社会の変質
- コラム モロ戦争の歴史3
- 9章 1930年代の民族主義の軌跡
- 1 農民意識の変化と社会主義運動
- 2 サクダル蜂起
ケソンの訪日 - 3 第7回コミンテルン大会とフィリピン共産党
- 4 反共から溶共へ 反ファシズム統一戦線の取り込み
- コラム ダバオ開発の光と影
- 10章 日本軍のフィリピン占領とエリートの“対日協力”
- 1 日本の南方作戦 フィリピン戦
日本軍のマニラ進軍/バタアン半島「死の行進」 - 2 エリートの選んだ“民族主義的”対日協力
バルガスを「大マニラ市」市長に任命/反米的な愛国者アキノ/ラウレル大統領の姿勢/レクト外相の愛国主義 - コラム 日本軍の“傭兵”ガナップ、マカピリ隊
- 11章 抗日人民軍(フク団)と米比軍ゲリラ
- 1 共産党は抗日軍編成を迫られる
- 2 フク団が発足
- 3 村落統一防衛隊が誕生
- 4 全土に産まれる各種のゲリラ組織
- 5 マッカーサーは「待機せよ!」と指令
- 12章 戦後の反政府活動
- 1 米軍がフク団に向ける「むきだしの敵意」
- 2 ロハスはフク団に接近
- 3 アメリカ合衆国から独立 第三共和政成立
タルクの「凱旋」 - 4 キリノ政権でマグサイサイは辣腕を発揮
天才記者ニノイとマグサイサイ大統領
- 13章 ニノイ・アキノとフィリピン政治
- 1 タルクの処遇をめぐり大統領と対立
- 2 政治に手を染める 町長から大統領補佐官まで
- 3 政治人間から農場経営者に、そして副知事に
- 4 知事昇格と「タルラクの包囲」
- 5 マルコス大統領の登場
- 6 上院に議席を占め、マルコスを攻撃
- 7 「独裁者、アメリカの走狗マルコス」
- 14章 マルコス政治と“ピープル・パワー”(人民の力)革命
- 1 ホセ・マリア・シソン 新しい民衆運動の興隆と背景
- 2 マルコスの農地改革 全土を改革対象地域に指定
- 3 ニノイ・アキノの暗殺 「フィリピン人のためなら死ぬ価値がある」
- 4 国民が無視しはじめたマルコスの存在と戒厳令
- 5 コラソン・アキノの大統領就任
- 6 包括的農地改革法と農民の怒り、失望
チノ・ローセスの叱正 - 7 アキノ大統領が痛感する「国語問題」
- おわりに
- フィリピンの歴史・略年表/参考文献
【感想は?】
人物を中心とした物語風の歴史はわかりやすい。その反面、著者の歴史観が強く出るので、「洗脳」されやすい。
その点、この本は、最初の「はじめに」で、著者の姿勢を明らかにしているのが有り難い。この記事の冒頭に引用したように、もともとフィリピンに住んでいた人たちの立場で歴史を見る、そういう歴史観だ。
よってスペイン人は侵略者として描かれ、次に来たアメリカも抑圧者となる。スペインやアメリカに対し、いかに抗って独立を手に入れたか、そんな流れとなる。
ただ、フィリピンにも様々な人がいるんだが、記述の大半はマニアがあるルソン島に割かれ、南部のミンダナオ島の話が少ないのは寂しい。とはいえ、それぞれの地方まで書いてたら五冊ぐらいになっちゃうだろうから、仕方がないか。
そういう姿勢ではあるんだが、スペイン襲来以前の歴史資料が乏しいのは辛い。高温多湿な気候が災いして、文書が残っていないのだ。1990年にルソン島で見つかったラグナ銅板碑文によると、十世紀には法に支配され活発な経済を営む社会があったらしい。
また982年の宋の史書「文献通考」にも「モ・イ国の商人たちが商品を持って広東沿岸を訪れた」とあり、1225年の「諸蕃志」にも、役人が貿易船の荷を調べる様子が出てくる。
日本も世界史に登場するのは魏志倭人伝だし、変な所で中国の存在感を感じてしまった。中国視点で世界史を書いたら、私が知っているのとは全く違う歴史になるだろうなあ。
本格的に世界史に登場するのは、16世紀のマゼラン到来から。この時、住民の多くはムスリムだったのが、結構アッサリとキリスト教に改宗している。当時のイスラム教はユルかったんだなあ。つかキリスト教徒より前にイスラム教がフィリピンに来てるじゃん。アラビア語文献の発掘が進めば、フィリピン史はまた違ってくるかも。
そのキリスト教の布教は侵略の尖兵だったと、よく言われる。その実態を細かく描いているのも、この本の嬉しいところ。悪名高いエンコミエンダ制(→Wikipedia)やガレオン船貿易で、商人ばかりか修道会も土地を食い荒らし荒稼ぎする。
「コラム スペインを悩ませた倭寇と秀吉」にあるように、当時は日本人もフィリピンにいて、秀吉はなんと
フィリピン侵攻をほのめかす手紙を送っている。宣教師が侵略の尖兵だと、なぜ当時の日本の権力者たちが気づいたか。フィリピン情勢がヒントになったのかも。
もちろん、フィリピンだって黙って支配に甘んじていたワケじゃなく…
(スペインへの)反乱は(16世紀から)19世紀末に向かって、一層激しさを増し、サイデによると「100回以上」、アゴンシリョによると「四、五年に一度の割」で起きている。
――4章 全民族の抵抗運動へ
と、盛んに反乱を起こしている。情勢が大きく変わったのは米西戦争(→Wikipedia)で、以降もなんとかスキを見ては独立を勝ち取ろうと様々な組織が国内で動き始める。
独立後の話では、なんといってもフェルディナンド・マルコス大統領の存在感が大きい。
強引な独裁者として悪評高いが、リンドン・ジョンソンと交渉しベトナム派兵の見返りに3800万ドルをせしめる手腕はたいしたもの。もっとも、派兵したのは医療関係者で、貰った金は自分でガメちゃったんだけど。せめて国民のためにカネを使っていればなあ。
そんなマルコスのライバル、ニノイ・アキノ(→Wikipedia)は、高潔な人格と卓越した能力を持ちながらも非業の死を遂げた英雄として描いている。ちょっと出来すぎな気もするが、これが現代フィリピン人の共通認識なんだろう。
出版が1997年だけに、コラソン・アキノの苦闘で終わっている。彼女の苦労は土地改革に加え、ケッタイな教育体系にも表れている。国語・社会・図工・体育はフィリピン語、英語・算数・理科は英語で教えているため、理数系は脱落者が多いとか。そりゃそうだよなあ。
カトリックが盛んで地主が私兵を雇うなど治安が悪く貧富の差が激しいあたりは、ブラジルやアルゼンチンなど南米の元南欧植民地とも似ているが、中国系商人やイスラムの影響もあるのは、やはり東南アジアならでは。著者の戦旗鮮やかな姿勢も相まって、物語としても楽しめる本だった。
【関連記事】
- 2018.9.21 小倉貞男「物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム」中公新書
- 2018.6.14 中野勝一「世界歴史叢書 パキスタン政治史 民主国家への苦難の道」明石書店
- 2018.1.2 笈川博一「物語 エルサレムの歴史 旧約聖書以前からパレスチナ和平まで」中公新書
- 2015.09.28 柿崎一郎「物語 タイの歴史 微笑みの国の真実」中公新書1913
- 2015.09.13 「新版 世界各国史 3 中国史」山川出版社 尾形勇・岸本美緒編
- 2015.06.18 ノーマン・デイヴィス「アイルズ 西の島の歴史」共同通信社 別宮貞徳訳 1
- 書評一覧:歴史/地理
| 固定リンク
「書評:歴史/地理」カテゴリの記事
- ダニエル・ヤーギン「新しい世界の資源地図 エネルギー・気候変動・国家の衝突」東洋経済新報社 黒輪篤嗣訳(2024.12.02)
- アンドルー・ペティグリー「印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活」白水社 桑木野幸司訳(2024.10.15)
- ジョン・マン「グーテンベルクの時代 印刷術が変えた世界」原書房 田村勝省訳(2024.10.09)
- クリストファー・デ・ハメル「中世の写本ができるまで」白水社 加藤麿珠枝監修 立石光子訳(2024.09.27)
- クラウディア・ブリンカー・フォン・デア・ハイデ「写本の文化誌 ヨーロッパ中世の文学とメディア」白水社 一条麻美子訳(2024.09.30)
コメント