クルツィオ・マラパルテ「クーデターの技術」中公選書 手塚和彰・鈴木純訳
私の課題は、いかにして現代の国家権力を奪取し、またいかにしてそれを防衛するかについて述べることにある。
――初版序軍人が言う「自由主義」というものには警戒しなければならない。
――第5章 ボナパルト 初めての現代的クーデター
【どんな本?】
クーデター。強引に政権を奪い取ること。この本では、敢えてその倫理や道徳は問わない。「どうすれば成功するか」「どう防げばよいか」に焦点を絞り、あくまでも技術論として話を進めてゆく。
著者がお手本とするのは、ロシアの十月革命(→Wikipedia)である。ただし注目するのはレーニンの戦略ではない。トロツキーの戦術だ。トロツキーはこう語ったという。
「反乱を起こすためには、有利な状況など必要ない。反乱は、状況とは無関係に起こす事が可能なのだから」
――第1章 ボリシェヴィキ・クーデターとトロツキーの戦術
戦略は要らない、必要なのは戦術だけ、そういう意味だ。そして、その戦術は、どんな国のどんな政府にも使える、と。
この本では、ロシアの十月革命,ナポレオンのブリュメールのクーデター,ムッソリーニのローマ進軍などを例として、それぞれの経過と手段を解説し、その巧拙を語ってゆく。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間。ロシアでは革命が起き、欧州各国ではコミュニストが根を広げ、イタリアやドイツではファシストが台頭し、機械化と情報化が進む欧州が嵐の予感に怯えていた時代に書かれた、現代向けクーデターの手引書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Technique du Coup d'État, Curzio Malaparte, 1931。日本語版の出版経緯は後述。私が読んだのは2015年3月10日初版発行の中公選書版。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約308頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント43字×17行×308頁=約225,148字、400字詰め原稿用紙で約563枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。
さすがに文章はやや硬い。読みこなすのにも、けっこう前提知識が要る。当時の欧州の知識人向けに書いているらしく、古代ローマのカティリナ(→Wikipedia)やプルターク(→Wikipedia)などが出てくる。とはいえ、重要な人物は訳注で説明しているのがありがたい。
扱っている事例は以下。本書中でも事件の概要を軽く説明しているが、だいたいの流れを予め知っていると、頭に入りやすいだろう。
- ロシアの十月革命(→Wikipedia)
- レーニン没後のトロツキー(→Wikipedia)とスターリン(→Wikipedia)の権力抗争
- 1920年ポーランド・ソビエト戦争(→Wikipedia)およびユゼフ・ピウスツキ(→Wikipedia)
- 1920年ドイツのカップ一揆(→Wikipedia)
- 1799年ナポレオンのブリュメールのクーデター(→Wikipedia)
- 1923年スペインのプリモ・デ・リヴェラ(→Wikipedia)のクーデター
- 1922年イタリアのムッソリーニのローマ進軍(→Wikipedia)
日本での出版経緯:
- 1932年に改造社より木下半治訳「近世クーデター史論」として出版。当時の状況により伏字だらけ。
- 1971年にイザラ書房より矢野秀訳で出版。ただし矢野秀はペンネームで、正体は手塚和彰&鈴木純。
- 2015年に中公選書より出版。イザラ書房版を全面改訂。
【構成は?】
大仰なゴタクが嫌いな人は、解題や序を飛ばして第1章から読んでもいいだろう。
- 解題 『クーデターの技術』その意義について
- 1948年版 序 自由の擁護は≪引きあわぬ≫こと
- 初版序
- 第1章 ボリシェヴィキ・クーデターとトロツキーの戦術
- 第2章 失敗せるクーデターの歴史 トロツキーとスターリンの対立
- 第3章 1920年 ポーランドの体験
- 第4章 カップ・三月対マルクス
- 第5章 ボナパルト 初めての現代的クーデター
- 第6章 プリモ・デ・リヴェラとピウスツキ 宮廷人と社会主義将軍
- 第7章 ムッソリーニとファシスト・クーデター
- 第8章 女性・ヒトラー
- 1948年版への覚え書き
- 1948年版に付された著者マラパルテの経歴
- 訳注/訳者あとがき
【感想は?】
当時は幾つかの国で発禁になったそうだ。さもありなんw
書名に偽りはない。当時の状況を考えると、実にまっとうなクーデターの教科書である。今になって思いついたんだが、軍による都市制圧やテロの教本としても優れているなあ。
さすがに1931年の本なので、21世紀の今となっては、メソッドに多少の手直しが必要だ。が、この本が述べる基本原則が分かっていれば、アレンジは難しくない。攻める側も、守る側も。
あくまでもテクニックを語る本なので、倫理や政治思想は棚上げにしている。そういう意味で、つまりクーデター参謀として著者が最も高い評価を与えているのは、トロツキーだろう。次いでムッソリーニ。意外とヒトラーの評価は低い。
ただし、あくまでもクーデター者、つまり武力による権力奪取の手腕の評価だ。議会で多数派を占め合法的に権力を握るのは、クーデターじゃない。だからローマ進軍で権力を握ったムッソリーニの評価は高く、議会で多数派を占めたヒトラーの評価は低いのだ。改めて考えると無茶苦茶な理屈だなw
肝心のクーデターのテクニックは、さすがにヤバすぎてインターネットで公開する勇気は私にはない。まあ、こういう風に書籍として流通してるんだから、隠してもあまし意味はない気がするけど。言論の自由って素晴らしい。いやマジで、皮肉じゃなく。中央公論新社の度胸には敬服する。
逆に、クーデターを防ぐには、どうすればいいか。これには二つの例が出てくる。ちなみに…
政党は、ファシズムに対抗するうえでは、あまりにも無力な存在であった。それは、ファシズムの闘争手段(略)は、政治的手段と呼ばれているものとは、まったく異質のものであったからである。
――第7章 ムッソリーニとファシスト・クーデター
と、まっとうな手段じゃ防げない。効果的な防衛法の第一は、スターリンの手法だ。
スターリンとトロツキーとの抗争は、トロツキーによる権力奪取の試みと、それに対抗するスターリンとオールド・ボルシェヴィキによる国家防衛の歴史に他ならない。
――第2章 失敗せるクーデターの歴史 トロツキーとスターリンの対立
要は秘密警察を駆使する事。ヤバい奴を見張り、自分の手下を敵の組織に浸透させる。今でも北朝鮮やエジプトなどの抑圧的な国家が使う手口。ただ、今となっては、イラン革命(→Wikipedia)や東方崩壊や「アラブの春」などで、必ずしも防げるとは限らないと実証されてしまった。
もう一つの手段は、ムッソリーニの例で出てくる。ここで登場するのが、意外なアレ。
労働組合は、(略)政府をおびやかす危険から、自由主義国家を防衛することのできる唯一の対抗勢力となっていた…
――第7章 ムッソリーニとファシスト・クーデター
ここでは、当時のイタリアで、ファシストの台頭に対し、労働組合が頑強に抗った様子を描いている。ファシストが労働組合を目の敵にしたのも、一つの裏付けだろう。なぜ労働組合なのかは、トロツキーの手口をマスターすれば、自然と理解できます。
とすると、組合が弱い今世紀の日本は、ある意味クーデターに対し脆弱かも。地形を考えれば、ゼネストによる危機にツケ込んで隣国の陸軍が大兵力で攻め込んでくるなんて危険は少ない国だけに、これは困った状態だよなあ。
作家の著作なためか、なかなかヒネくれた文章も多い。だいたい冒頭からしてコレだし。
私はこの本を憎む。心の底からこの本を憎む。この本は名声、世間が名声と呼ぶくだらぬものを私に与えたが、同時にまた、この本こそ私のあらゆる不幸の原因だったのである。
――1948年版 序 自由の擁護は≪引きあわぬ≫こと
幾つかの国で発禁、どころかドイツじゃ焚書の憂き目にあったことに対しては…
『クーデターの技術』は、もえさかる薪の中に投げ込まれ、人種的または政治的理由で非合法化された多くの書物と一緒に灰になった。今日からみれば、この結末は、一介の作家が自分の著書に望みうる最高の結末である。
――1948年版 序 自由の擁護は≪引きあわぬ≫こと
なんて言ってるのは、作家の矜持だろう。他国の事情にも明るいためか、なかなか辛辣な事も言っている。
ポーランド人は、ポーランドの国民生活に生じた出来事が、他国の国民生活にも見出されるとは露ほどにも思っていない。(略)ポーランドの人々は、政府を含め、歴史から教訓を学びとろうとしていなかった。
――第3章 1920年 ポーランドの体験
これポーランドを現代日本に置き換えても成り立つから腹が立つ。
著者は新聞の編集にも携わっていたためか、当時の世界情勢解説としても面白い視点を与えてくれる。中でも私が面白いと思ったのが、ムッソリーニを扱った第7章と、ヒトラーを扱った第8章。
第7章で描かれる、ダンヌンツィオによるフィウメ占領(→コトバンク)が、ファシスト党内でのムッソリーニとの関係に与えた影響は、「おお、そういう事か!」と目を見開いた。また、第8章でのヒトラーと突撃隊の関係などは、ちょっと切ないものがあったり。ヒトラーに対しては辛辣で…
耽美主義への傾倒は独裁制を夢見る者の顕著な特徴である
――第8章 女性・ヒトラーほとんどすべての独裁者は、ある出来事について人を評価するとき、ある特徴的な判断基準を用いる。その判断基準とは嫉妬心である。
――第8章 女性・ヒトラー
特に後者については、独裁者に限らず、権力志向の強い人全般に当てはまる気がする。そう思いませんか、専門技能を持つ方々。
クーデター教本、またはクーデター防衛の古典としてだけじゃなく、占領政策またはレジスタンスのマニュアルとしても、テロ組織育成または大規模テロ直後の対応用や、パニック小説のネタ本としても使える、とっても便利で困った本だった。
【関連記事】
- 2014.03.13 チェ・ゲバラ「新訳 ゲリラ戦争 キューバ革命軍の戦略・戦術」中公文庫 甲斐美都里訳
- 2017.01.02 ブルース・ブエノ・デ・メスキータ&アラスター・スミス「独裁者のためのハンドブック」亜紀書房 四本健二&浅野宣之訳
- 2018.2.20 マーチン・ファン・クレフェルト「戦争文化論 上・下」原書房 石津朋之監訳 1
- 2017.10.25 デーヴ・グロスマン,ローレン・W・クリステンセン「[戦争]の心理学 人間における戦闘のメカニズム」二見書房 安原和見訳 1
- 2017.05.10 佐原徹哉「国際社会と現代史 ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化」有志舎
- 2016.10.30 アンヌ・モレリ「戦争プロパガンダ10の法則」草思社文庫 永田千奈訳
- 書評一覧:軍事/外交
| 固定リンク
「書評:軍事/外交」カテゴリの記事
- リチャード・J・サミュエルズ「特務 日本のインテリジェンス・コミュニティの歴史」日本経済新聞出版 小谷賢訳(2024.11.14)
- マーチイン・ファン・クレフェルト「戦争の変遷」原書房 石津朋之監訳(2024.10.04)
- イアン・カーショー「ナチ・ドイツの終焉 1944-45」白水社 宮下嶺夫訳,小原淳解説(2024.08.19)
- ジョン・キーガン「戦略の歴史 抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで」心交社 遠藤利国訳(2024.07.07)
- ジョン・キーガン「戦争と人間の歴史 人間はなぜ戦争をするのか?」刀水書房 井上堯裕訳(2024.06.13)
コメント