ニール・スティーヴンスン「7人のイヴ Ⅱ」新☆ハヤカワSFシリーズ 日暮雅通訳
「ここには法律がない。権利もなければ憲法もない。法律制度も警察も存在してないわ」
――p75「たとえば、誰かひとりが嘔吐した場合は、死ぬのはぼくらの半数になるだろうから、このミッションを遂行できる可能性がある。もし誰も嘔吐していないのなら、誰も死なない。少なくとも数週間という期間ではね」
――p193
【どんな本?】
アメリカの人気SF作家ニール・スティーヴンスンによる、近未来パニック長編三部作の第二幕。
突然、月が砕けた。やがて月の破片は隕石として地球に落ちるだろう。気候は激変し、地上は数千年の単位で誰も住めなくなる。残された時間は二年程度。
人類は国際的な協力体制を敷き、種としての人類を残そうとする。地上400kmを周回する国際宇宙ステーションを中心としたコロニーを造り、そこに千五百人の若者を送り出すのだ。
人類は突貫作業で大量のロケットを打ち上げ、人々と物資を送り届ける。そしてついに地球滅亡の日がきた。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Seveneves, by Neal Stephenson, 2015。日本語版は2018年7月20日発行。新書版で縦二段組み本文約402頁9ポイント24字×17行×2段×402頁=328,032字、400字詰め原稿用紙で約821枚。文庫本なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの長さ。
文章はこなれていて読みやすい。ただし中身はとっても濃いSFなので、覚悟して挑もう。アイデアの多くは、地球周回軌道上の物体の動きについてなので、そういうのが好きな人向け。
【感想は?】
ロケットマニア大喜び。
この巻、何が面白いといって、展開するトラブルのほとんどが、軌道力学すなわちデルタVに起因してるってのがたまんない。
科学重視のSFって点では、グレッグ・イーガンに近い。ただ、イーガンは、最新物理学のネタを駆使するために、読みこなすには相対性理論や量子力学に通じている必要がある。が、この作品のこの巻では、ニュートン力学で充分に収まるのが有り難い。
軌道力学ったって、基本は単純だ。慣性の法則、作用反作用の法則、そして万有引力の法則だけ。動いている物をほおっておくとそのまま動き続ける。何かを前に押せば、押した物には後ろ向きの力が加わる。モノとモノは引き合う、そんだけである。
人工衛星が空に浮かんでいられるのは、主に二つの理由だ。まず、人工衛星はやたら速く動く。これが生み出す遠心力が、地球の重力と釣り合い打ち消し合うので、一見無重力に見える。また、地上と違い空気抵抗がないので、一度獲得した速度を失わないで済む。
いずれにせよ、しっかりした支えがない状態で浮かんでいるため、軌道上の二つの物がドッキングする際には、私たちの直感と全く違う機動が必要になる。
そう、「軌道上のドッキング」を、思いっきり詳しく掘り下げたのが、この作品の美味しい所。ただドッキングったって、大きく分けて二つの種類がある。嫌なドッキングと、嬉しいドッキングだ。
嫌なドッキングは、衝突だ。これも二つあって、隕石やデブリとの衝突と、宇宙船同士の衝突。
なにせ月が砕け、そこらじゅうに破片が漂ってる状態だ。漂ってるとは言っても、軌道上じゃすべてのモノの速度が桁違いで、秒速数千メートルの世界だ。パチンコ玉程度の小石でも、そこらの対物ライフル並みの破壊力を持っている。
これが戦車なら頑丈な装甲で覆うんだが、宇宙に重い物を持ち上げるのは、やたら費用が掛かる。だから、主人公たちが住む<イズィ>や<アークレット>はペラペラの紙装甲だ。ひたすら避けるしかない。
ここで第二の嫌なドッキングその二、宇宙船同士の衝突が絡んでくる。
人類に余裕があれば、充分な大きさの宇宙ステーションを造れただろう。でも、そんな余裕はなかった。じゃどうするかというと、デカいペットボトルみたいな形の居住区画<アークレット>を、たくさん打ち上げた。
お陰で、何百ものアークレットが数珠つなぎになって、同じ軌道を漂っている。それぞれ数kmぐらい離れちゃいるが、なにせ軌道上だ。速度は秒速千km単位である。ちょっと触れただけでも一気に大事故となりかねない。
ってんで、うじゃうじゃと破片が漂っている中を、元国際宇宙ステーション<イズィ>と<アークレット>の群れが、いかに生きのびるか。
加えて、中盤以降では、嬉しいドッキングの話も出てくる。上手くいけば嬉しいドッキングだが、やっぱりニュートン力学に縛られる。軽いゴルフボールなら遠くに飛ばすのは簡単だが、重いボウリングのボールは難しい。重い物を動かすには、相応の力が要る。
いずれも私たちが中学校の理科で学ぶ物理学の基礎だ。それが著者の手にかかると、手に汗握るスリリングなドラマに変わるのが見事。
他のネタとして、軽い物は脆く重い物は強いとか、水が氷ると氷になるとか、気体は暖まると膨らむとか、ごく当たり前の理科のネタでグイグイと話を盛り上げてゆく。まさにサイエンス・フィクションの王道ド真ん中を剛腕の力技で突っ走る、マニア大喜びの剛速球型本格SF小説だ。
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