浅田次郎「壬生義士伝 上・下」文春文庫
なしてわしは、こんたなところに来てしまったんだべかな。
――上巻p22それが、武士ってやつさ。本音と建前がいつもちがう、侍って化物だよ。俺たちはみんな、武士道にたたられていたんだ。
――上巻p84偉えひとたぢがみな、足軽に死ね死ねとせっつぐのは、おのれが死にたぐねがらではなのすか。
――上巻p226「お突きは死太刀ですからね」
――上巻p306「生来が鬼の心を持つ人間よりも、いざとなって心を鬼にできる人間のほうがよほど恐ろしい」
――上巻p434軍隊じゃあたしかに、死に方は教えてくれるがね。生き方ってのを教えちゃくれません、
――下巻p236「腹など切るな。拙者とともに死ね」
――下巻p334
【どんな本?】
直木賞も受賞した人気作家・浅田次郎による時代小説。
慶応四年旧暦一月七日、鳥羽伏見の戦いの直後。大阪の盛岡南部藩の蔵屋敷に、一人の新選組隊士が傷だらけで飛び込んできた。吉村貫一郎、二駄二人扶持の足軽ながら、妻子をおいて南部藩を脱藩した男。
故郷では文武ともに秀で、周りの者からも慕われる心根の穏やかな男だった。その吉村は、なぜ禁を犯して藩を抜け、壬生狼と恐れられる新選組に身を投じたのか。人斬りに奔走する日々を、どのように送ったのか。
武士の世が終わりを告げる幕末を舞台に、異色の新選組隊士に焦点を当て、吉村を取り巻く者の証言で乱世を生きた男の生涯を綴る時代小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
初出は週刊文春1998年9月3日号~2000年3月30日号。2000年4月に文藝春秋から単行本を刊行。私が読んだのは2002年9月10日発行の文春文庫版。上下巻で本文約459頁+441頁=900頁に加え、久世光彦の解説「そして、入相の鐘は鳴る」9頁。9.5ポイント37字×17行×(459頁+441頁)=約566,100字、400字詰め原稿用紙で約1,416枚。上中下の三巻でもいい大長編。
実は少し読みにくい所がある。というのも、主人公である吉村寛一郎の独白の所だ。思いっきりキツい南部訛りで、最初はちと戸惑う。
ここ、思い切って声に出して読むか、またはお気に入りの役者に脳内で読んでもらおう。声(というより抑揚)がつくと、なんとなく意味が掴めるようになる。おまけに読み進めていくと、南部訛りだからこその味が出てきます。
幕末が舞台の作品なので、中学で学んだ程度の歴史の知識はあった方がいい。が、重要な事柄は作品中で説明があるので、知らなくても作品を楽しむには問題ない。敢えて言えば近藤勇と土方歳三の名を知っているぐらいで大丈夫。
【感想は?】
私の脳内で理性と感情が大げんかしている。
感情は叫ぶ。「泣け、男たちの生きざまに泣け」。理性は告げる。「ヤバいぞ、この本はヤバい。放り出せ、せめて距離を置け」。
それでも上巻は、また理性が優勢だった。何より語り手は戦友でもある新選組の生き残りが多い。最も苦しい時期を共に過ごした仲とはいえ、吉村の生い立ちは知らない。だからか、剣の使い手としての話が多く、心情に寄り添ってはいない。
とまれ、上巻の終盤で斎藤一が出てくるあたりは、語り手である斎藤の人物像が実に楽しい。いやどう見てもヒネクレ切った殺人鬼なんだけど、それだけにマッドな理屈がポンポン出てきて、なんか筋が通ってるような気がしてくるのが怖いやら愉快やら。
悪役としては最高のキャストだよなあ。それも部下を使う幹部じゃなくて、自らが前線に出て戦う戦士。邪魔する奴は味方でも容赦なく踏みつぶし、ひたすら戦いと殺戮を楽しむ、そんなタイプ。
上巻では他でも新選組の語り手が多いだけあって、他の隊士の人物像も新選組のファンには気になる所だろう。近藤勇と土方歳三は、まあ無難な所。問題は非業の天才剣士と言われる沖田総司。映画やドラマじゃ清潔感の漂う二枚目俳優の役どころで、私は草刈正雄の印象が強いんだが、こうきたかw
かの龍馬暗殺も独特の説を唱えていて、歴史ミステリ好きに一石を投じている。
とかは、あくまで副菜。下巻では、いよいよ主菜の味が色濃くなってゆく。とはいえ、これも幾つものテーマが隠し味として効いていて、「主題はコレ」と言いにくいのが、この作品の美味しい所。
本書では主役の吉村貫一郎を、文武ともに優れ人格も秀で、朴訥ながらも妻子を深く愛し、苦境にも努力を惜しまぬ典型的な南部人としている。ただし身分は足軽で、当時の制度では充分にその力を活かせない。寛一郎と、藩の重鎮である大野次郎右衛門を対比させ、身分制度の融通の利かなさを読者に突きつけてゆく。
とか書くと大野次郎右衛門が無能な悪役みたいだし、冒頭の展開はモロにそういう雰囲気なんだけど、それほどわかりやすく単純な仕掛けじゃないのが巧い。
もう一つが、登場人物たちの掲げる哲学というか生き様というか。
なにせ新選組だ。今でこそヒーロー扱いだけど、壬生狼なんて言葉もある。今でいうアルカイダや自称イスラム国とかに似た印象を持つ人も多かったようだ。隊士も軽い身分の者が多く、それだけに「やっと活躍の場を与えられた」とばかりに突っ走りがちな空気が、この作品からも伝わってくる。
単に暴れるのが好きってだけのチンピラも紛れ込んでいただろうが、理想を持つ者もいた。ただ、その理想ってのが、美しくはあっても、実はどこにも存在しない幻想だってのが切ない。彼らの語る士道も忠義も、徳川が世を仕切り武士が官僚と化してから生まれた物で、武士が戦士だった戦国時代までの哲学じゃない。
つまりは幻想に酔って暴れまわってるだけだ。にも関わらず、この作品の中での彼らの生きざまは、私の感情を揺さぶりまくる。終盤では五稜郭での戦いも描かれるんだが、ここに来ると暴れまくる感情が理性の鎖を引きちぎる寸前だ。
この作品は、あくまでも佐幕派の視点で描いている。圧倒的な兵力を誇る官軍に対し、少数精鋭で抗う佐幕派って構図だ。とまれ、立てこもる側も勝敗は見えている。なら、なぜ戦うのか。理性は愚かな戦いだと告げるんだが、著者の筆力は感情に「これでいいのだ、もっと暴れろ」と大音量のアンセムで煽り続けるのだ。
そんな理性にも、かすかな応援を送ってくれるのが、この作品の複雑なところ。というのも、周囲の者が語る吉村貫一郎の姿と、本人の独白が、見事に食い違っているのだ。
加えて、維新政府の視点で語られることの多い幕末、特に戊辰戦争の顛末を、奥羽越列藩同盟の立場で見せてくれるのも楽しい。単に戦争の帰趨だけでなく、そこに至るまでの藩の歴史から語り起こすあたりも、重みを増している。
「これは小説なのだ、作り話なのだ」と必死に自らに言い聞かせないと、魂までも持っていかれそうになって、小説の持つ力の恐ろしさをつくづく感じさせる、そういう作品だった。若くて血気盛んな人には読ませたくない。
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