デイヴィッド・イーグルマン「意識は傍観者である 脳の知られざる営み」早川書房 太田直子訳
盲点は小さいと思ってはいけない。とても大きいのだ。夜空に浮かぶ月の直径を想像してほしい。盲点にはその月が17個入る。
――第2章 五感の証言 経験とは本当はどんなふうなのか周囲に対する意識は、感覚入力が予想に反する場合にのみ生じるのだ。
――第2章 五感の証言 経験とは本当はどんなふうなのか現実は脳によって受動的に記録されるのではなく、脳によって能動的に構築される。
――第4章 考えられる考えの種類心はパターンを探す。
――第5章 脳はライバルからなるチーム秘密について知られている重要なことは、それを守ることが脳にとって不健全だということである。
――第5章 脳はライバルからなるチームすべての大人には正しい選択をする同じ能力があると考えたがる人が多い。すてきな考えだが、まちがっている。
――第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか私たちは情報がないところに黒い大きな穴を感じているわけではない――そうではなく、何かが欠けていることに気づかないのだ。
――第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか
【どんな本?】
平等な民主主義社会は、幾つかの仮定に基づいて築かれている。その一つは、私たちには自由意志がある、というものだ。自分の判断で信仰し、自分の判断で仕事を選び、自分の判断で伴侶と結ばれ、自分の判断で住む所を決める。
現実には親の宗派を受け継ぐことが多いし、誰もがプロ野球選手になれるわけでもない。いろいろなシガラミもあるにせよ、タテマエとしてはそういう事になっている。
だが、私たちが何かを行動に移すとき、そこにどれだけ自由意志なるモノが働いているのか。そもそも、自由意志なんてモノは、本当にあるのか。
神経科学者の著者が、古の哲学者の思想から最新科学までのデータを駆使し、ヒトの脳が持つ奇妙な性質と、それが生み出す「意識」の不思議な性質について、身近な商品から奇想天外な逸話を交えて語る、一般向けの科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Incognito : THe Secret Lives of the BRain, by David Eagleman, 2011。日本語版は2012年4月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約289頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×17行×289頁=約221,085字、400字詰め原稿用紙で約553枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。なお、今はハヤカワ文庫NFから文庫版が出ている。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただしアメリカ人向けに書かれているので、「クリスマス・クラブ」などの見慣れない言葉が出てくる。が、心配いらない。たいてい、わかりやすい説明がついている。
【構成は?】
- 第1章 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない
ものすごい魔法/王座を退くことのメリット/広大な内面世界を最初にかいま見た人々/私、私自身、そして氷山
- 第2章 五感の証言 経験とは本当はどんなふうなのか
経験の分解/目を開く/どうして岩が位置を変えずに上昇するのか?/見ることを学ぶ/脳で見る/内からの活動/どれぐらい遠い過去に生きているのか?
- 第3章 脳と心の隙間に注意
車線変更/ヒヨコ雌雄鑑別師と対空監視員の謎/目が差別主義者だと知る方法/どんなにあなたを愛しているか、Jを数えてみましょう/意識の水面下にある脳をくすぐる/虫の知らせ/ウィンブルドンで勝ったロボット/迅速かつ効率的な脳のマントラ 課題を回路に焼き付けろ
- 第4章 考えられる考えの種類
環世界 薄片上の世界/進化する脳のマントラ 本当に優れたプログラムはDNAにまで焼きつけろ/美しさ 誰の目にも明らかに永遠に愛されるためにある/不倫の遺伝子?
- 第5章 脳はライバルからなるチーム
本物のメル・ギブソンさん、起立してください/ぼくは大きくて、ぼくの中には大勢がいる/心の民主制/二大政党制 理性と感情/命の損得勘定/なぜ悪魔は今の名声とひきかえに、あとで魂を手に入れられるのか?/現在と未来のオデュッセウス/たくさんの心/たゆまぬ再考案/多党制の強靭性/連合を維持する 脳の民主国における反乱/多をもって一を成す/いったいなぜ私たちにはいしきがあるのか?/大勢/C3POはどこ?
- 第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか
タワーの男が投げかけた疑問/脳が変わると、人が変わる 予想外の小児性愛、万引き、ギャンブル/来し方行く末/自由意志の問題と、答えが重要でない理由/非難からの生物学への転換/断層線 なぜ、非難に値するかと問うのはまちがいなのか/これからどうするか 脳に適した前向きな法制度/前部前頭葉トレーニング/人間は平等という神話/修正可能性にもとづく判決
- 第7章 君主制後の世界
権威失墜から民主制へ/汝自身を知れ/物理的パーツで構成されるとは、どういう意味であって、どういう意味ではないか/パスポートの色から創発特性まで - 付録/謝辞/訳者あとがき/図版クレジット/参考文献/原注
【感想は?】
オリヴァー・サックスやV・S・ラマチャンドランと似た傾向の本だ。
…って、わかる人には分かるけど、分からない人には全く通じない説明だな。つまりは、人の脳の不思議を語る本なのだ。
まず、脳を臓器の一つと考える。そういう前提で最近の科学で調べたら、幾つか分かってきた。そうしたら意外な事柄が見えて来たし、中には直感や倫理観に反するものもある。だから世の中の仕組みも少し調整したほうがいいよね。あ、でも、完全に分かったワケじゃないから、慎重に。
まあそんな感じなんだが、いきなりカマしてくるあたり、柔らかい口調の割に実は挑発的。
自分たちの回路を研究してまっさきに学ぶのは単純なことだ。すなわち、私たちがやること、考えること、そして感じることの大半は、私たちの意識の支配下にはない、ということである。
――第1章 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない
つまり、ヒトがやることの大半は、無意識にやっている、そういう事です。例えば、ヒトは歩くとき、どの筋肉をどう動かすのか、特に考えてない。歩くどころか、立つってだけでも沢山の感覚器や神経や筋肉を使ってるんだけど、普段は全く意識していない。しかも、説明しろったって、できない。
…重要なのは、特化して最適化された本能の回路は、スピードとエネルギー効率のメリットすべてをもたらすが、その代償として意識のアクセス範囲からはさらに遠ざかることだ。
――第4章 考えられる考えの種類
お陰で人工知能研究者やロボット工学者は散々苦労してきた。でも最近はディープ・ラーニングなんてのが出てきて、ヤマを一つ越えた感がある。が、あくまで一つ越えたってだけで、実はその向こうにも沢山の山脈が連なっているのだ。
なぜか。今のディープラーニングは、ネコの写真を分別できる。でも、なぜネコだと分かるのかは、説明できない。似たような例が、この本に載っている。ヒヨコの雌雄判別とバトル・オブ・ブリテン時の対空監視員(敵機と友軍機を識別する人)の育成だ。
いずれも、巧みに識別できる人がいる。でも、なぜわかるのかは、説明できない。そこで、まず師匠と弟子をペアにする。弟子の判断を師匠が見守り、「よし」「だめ」と判定する。何週間か続けると、正しく判断できるようになる。でも、師匠と同様に、なぜわかるのかは説明できない。
まるきしディープラーニングだ。この例だとアカデミックなようだが、たいていの人は似たような技能を身に着けている。水泳、自転車の運転、キャッチボール、料理の味付け。どれも出来る人は多いけど、巧く説明できる人は滅多にいない。天才が育成者に向かないってのは、そういう事なんだろう。
とか、脳には幾つかのクセがある。中には悪用されがちなクセもある。例えば真実性錯覚効果だ。「嘘も百回言えば本当になる」なんてネットで言われるが、その通りだ。繰り返し聞かされると、脳は本当だと思い込むのだ。
真実性錯覚効果は、同じ宗教的布告や政治的スローガンに繰り返し接触することが、人々にとって潜在的に危険であることを浮き彫りにする。
――第3章 脳と心の隙間に注意
困った性質のようだが、この性質を心得て巧みに操ろうとする人もいる。別に珍しいことじゃない。例えば貯金箱だ。手元にあると使っちゃうから、隔離する。自分の脳の性質を掴み、その裏をかくわけ。これをダイエットに応用した例も出てくる。効果あるだろうなあ。
深刻な所では、PTSDをハードウェア的に説明する部分がある。
…日常的な出来事の記憶は海馬(略)に統合されている(略)。しかし恐ろしい状況(略)に遭遇しているときは、偏桃体(略)も、独立した第二の記憶手順に沿って記憶を蓄える。偏桃体記憶は(略)消去されにくく、「フラッシュ」のように突然よみがえることがある…
――第5章 脳はライバルからなるチーム
この本じゃPTSDとは書いてないけど、まるきしPTSDの症状そのものじゃないか。
終盤では神経科学と犯罪、そして司法の問題へと発展し…
(性犯罪者の再犯可能性について)精神科医と仮釈放委員会メンバーの予測精度はコイン投げと同じだった。
――第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか
なんて怖いエピソードもあったり。日本の法務省も、ちゃんと統計を取ってるんだろうか? 仮に統計を取っていたとして、ソレに従うかどうかも、かなり疑問ではあるけど。
最初に書いたように、この手の本が好きな人にとっては、どっかで読んだようなエピソードが多い。ただ、語り口は親しみやすいし、分量も多くないので、入門用としては悪くないだろう。
【関連記事】
- 2018.7.12 マイケル・S・ガザニガ「脳のなかの倫理 脳倫理学序説」紀伊国屋書店 梶山あゆみ訳
- 2017.9.1 エイドリアン・レイン「暴力の解剖学 神経犯罪学への招待」紀伊国屋書店 高橋洋訳
- 2017.01.20 オリヴァー・サックス「妻を帽子とまちがえた男」ハヤカワ文庫NF 高見幸郎・金沢泰子訳
- 2016.04.03 ダン・ガードナー「リスクにあなたは騙される」ハヤカワ文庫NF 田淵健太訳 1
- 2016.03.04 V・S・ラマチャンドラン「脳の中の天使」角川書店 山下篤子訳
- 2015.12.09 アリス・W・フラハティ「書きたがる脳 言語と創造性の科学」ランダムハウス講談社 吉田利子訳
- 書評一覧:科学/技術
| 固定リンク
「書評:科学/技術」カテゴリの記事
- 村上柾勝「シェークスピアは誰ですか? 計量文献学の世界」文春新書(2025.11.07)
- 関根慶太郎監著 瀧澤美奈子著「読んで納得!図解で理解!『ものをはかる』しくみ」新星出版社(2025.10.21)
- ジョセフ・メイザー「数学記号の誕生」河出書房新社 松浦俊輔訳(2025.09.29)
- リー・アラン・ダガトキン+リュドミラ・トルート「キツネを飼いならす 知られざる生物学者と驚くべき家畜化実験の物語」青土社 高里ひろ訳(2025.08.31)
- トム・ジャクソン「冷蔵と人間の歴史 古代ペルシアの地下水路から、物流革命、エアコン、人体冷凍保存まで」築地書館 片岡夏実訳(2025.08.22)


コメント