« スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」岩波現代文庫 三浦みどり訳 | トップページ | ジョン・パーリン「森と文明」晶文社 安田喜憲・鶴見精二訳 »

2018年12月 9日 (日)

G・ウィロー・ウィルソン「無限の書」東京創元社 鍛治靖子訳

「あれはおまえたちの物語ではない。われらの物語だ」
  ――p11

「ちがうわ。これはアルフよ。『千一日物語』」
  ――p60

「検閲官は御伽噺には、とりわけ昔話には興味がない。理解できないんだ。あいつら、ああいう話はみんな子供のものだと思ってる。『ナルニア国物語』がほんとうはどんな意味をもっているのか知ったら、きっと死んじまうだろうな」
  ――p98

「あの本に触れるものはたいてい、年老いて安らかな死を迎えることができないんだよ」
  ――p300

「見えざるものは見えざるものだ。だけど人は見えるものから逃れることはできない」
  ――p382

【どんな本?】

 アメリカ出身でボストン大学卒業後にイスラム教に改宗した異色の新鋭作家、G・ウィロー・ウィルソンの小説デビュー作。

 舞台はペルシャ湾沿いにある、オイルマネーで潤う専制国家。地元有力者の父親とインド人で第二夫人の母の間に生まれた23歳のアリフは、匿名サーバーを運営している。イスラム圏は検閲が厳しい。そこで、正体を隠したまま、ポルノでも革命の扇動でも、好き勝手なサイトを作れるサービスだ。

 恋焦がれるインティサルにフラれたアリフは、彼女の目からネット上のアリフを完全に見えなくするプログラムを作る。意外と上手くいったと思ったのも束の間、困った事態になった。凄腕の検閲官<ハンド>が、アリフのマシンに侵入した形跡がある。

 突然、インティサルから奇妙な本を託されたアリフは、検閲官に追われ、本に導かれるように奇妙な世界へ足を踏み入れ…

 アラブ圏の社会と文化を背景に、伝説の魔物たちと情報テクノロジーを折り込み、現代アラビアを舞台にしたファンタジイ。

 2013年世界幻想文学大賞の長編部門受賞。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017海外篇でも7位に食い込んだ。

ところで今気が付いたんだが「SFが読みたい!2018年版」ベストSF2017海外篇、巻頭の「発表!ベストSF2017 海外篇」は「わたしの本当のこどもたち」が6位で「無限の書」7位なのに、作品ガイドじゃ順位が逆になってる。どっちが正しいんだろう?

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Alif the Unseen, by G. Willow WIlson, 2012。日本語版は2017年2月28日初版。単行本ソフトカバー縦二段組み本文約386頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント22字×21行×2段×386頁=約356,664字、400字詰め原稿用紙で約892枚。文庫本なら厚い一冊か上下巻ぐらいの長さ。

 文章は比較的にこなれている。SFガジェットとしてはコンピュータとインターネットが中心だが、ハッキリ言って大半がハッタリなので分からなくても気にしなくていい。それより千一夜物語に出てくるような異界の者たちが活躍するので、ファンタジイの色が濃い。

【感想は?】

 色々な魅力があるけど、私が最も気に入ったのは、「ペルシャ湾岸の専制国家」の様子。

 例えば主人公アリフの立場。父は地元の有力者だが、彼の未来は明るくない。第二夫人の子ってのもあるが、それ以上に母がインド人ってのが辛い。母も地元の有力者なら、相応の地位を狙えただろう。でも、出自で人生が決まる土地だと、混血は大きなハンデになるらしい。

 そのアリフは、検閲の厳しい湾岸で、匿名サーバを運営している。ああいう所だから、当局の追及も厳しい。サーバを押さえれば、不良分子を一網打尽にできる。ってんで当局の目の敵にされてるんだが、連中の目をくらましてサービスを続けているあたりで、かなりデキる奴なのは見当がつく。

 コンピュータの世界は腕がモノを言う。血筋で人生が決まる現実世界とは、見事に対照的だ。ちなみにアリフは彼のハンドル名で、本名つまり現実世界の名前じゃない。彼が本名を嫌いハンドル名を好むのも、アリフの気持ちの表れだろう。

 アリフの母が南方のインド人なのを始め、国際色が豊かなのも、この社会の特徴。幼馴染のダイナちゃんはエジプト系で、町にはマレーやフィリピンやシーク教徒や北アフリカ人など、八方から人が集まっている。あの辺の流通は、こういう人たちが支えているんだね。

 こういう猥雑な世界に背を向け、コンピュータの世界に逃げ込むアリフだが、一冊の本を機に、現実世界がアリフの世界へと侵入してくる。そして、また別の世界も。

 などの世界の他に、脇役も魅力的な人が多い。

 なんといっても可愛いのが、アリフの幼馴染のダイナちゃん。12歳の時に面衣=ニカブを付けると宣言した。これ、出家と少し意味合いが似ていて、「私は敬虔なムスリムとして生きます」みたいな宣言らしい。出家と違い結婚はするけど、厳しい戒律を守ると誓った印だ。

 って、「来て見てシリア」のうろ覚えなんだけど。なんにせよ、この面衣が、終盤で重大な意味を持ってくる。そういう宣言でもあるのかあ。いいい子だなあ。

 やっぱり楽しいのが、ヴィクラムとアザレルの幽精=ジンの兄妹。そう、 『千一日物語』なんて名前で分かるように、そういう世界の者も出てくる。いずれも異界の者だけに何を考えているのかイマイチ掴めないあたりが、胡散臭いような頼りになるような、不思議なスパイスを利かせてくれる。

 ちなみに私の脳内じゃヴィクラムの声は石田彰が当ててました。

 はいいけど、アザレルちゃんの出番が少ないのは悔しい。まあ、あんまり目立つと、日本のライトノベルみたいなノリになっちゃうから、仕方がないかw でも私的にはアザレルちゃんこそ、この物語のメイン・ヒロインです、はい。

 そして意外な味を出してくるのが、アル・バシーラ大モスクの長老ビラル師。私たちから見えるイスラムの長老って、イランのハネメイをはじめとして、妙に過激な人ばかりが目立つ。お陰でかなり偏った印象を持っちゃうけど、ビラル師は全く違う。

 むしろ老いた禅僧に近い雰囲気で、台詞の一つ一つに枯れた知恵と経験が詰まっている様子がうかがえる。宗派も最近流行りのワハブ派じゃなく、長い伝統を感じさせる。いや具体的には知らないけど。スター・ウォーズだとヨーダかなあ。別に直接アリフを導くわけじゃないけど。

 もちろん、ダースベイダーに当たる<ハンド>の不気味さも充分。しかも暗黒面に堕ちた感まであって…

 と、近年のペルシャ湾岸の社会に、アラビア風ファンタジイを混ぜ、演技が達者なベテランの傍役が頼りなげな主役を支える、異色のファンタジイだった。やっぱり私はヴィクラムとアザレル…というか主にアザレルちゃんが好きだなあ。

【関連記事】

|

« スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」岩波現代文庫 三浦みどり訳 | トップページ | ジョン・パーリン「森と文明」晶文社 安田喜憲・鶴見精二訳 »

書評:SF:海外」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: G・ウィロー・ウィルソン「無限の書」東京創元社 鍛治靖子訳:

« スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」岩波現代文庫 三浦みどり訳 | トップページ | ジョン・パーリン「森と文明」晶文社 安田喜憲・鶴見精二訳 »