ロレッタ・ナポリオーニ「人質の経済学」文藝春秋 村井章子訳
2004年イラクで誘拐された欧米人は200万ドルの身代金で解放された。しかし今日ではシリアの誘拐で1000万ドル以上を払うこともある。本書は、誘拐によりいかにジハーディスト組織が成立し、伸長していったかを描く
――はじめに 誘拐がジハーディスト組織を育てた「2011年9月に(イタリア)外務省から連絡があり、いましばらく待ってほしい、なにしろ19件の誘拐事件を抱えているので、と言われたそうです」
――第1章 すべての始まり9.11愛国者法「虎に餌をやってしまったら、虎は餌欲しさにひんぱんにキャンプに来るようになる」
――第2章 誘拐は金になる船の乗っ取りと乗組員の拿捕にコストがかかるのは、海賊の側も同じである。だから、交渉が長引くほど利益は減る。
――第4章 海賊に投資する人々マネーロンダリングが手軽にできる最高の場所は、ペルシャ湾岸である。たとえばベルギー船ポンペイ号が2012年4月18日に乗っ取られると、ベルギー当局は、海賊の交渉人からドバイの銀行の口座と暗証番号を指定された。
――第5章 密入国斡旋へ誘拐が頻発する地域は主に二つに分けられる。一つは国家が破綻している地域、もうひとつは並外れた高度成長を遂げている地域、たとえば中国だ。
――第7章 ある誘拐交渉人の独白身代金を払う国の中で、自分で交渉して自分で払うと言い張ることで悪名高いのは、イタリア、ドイツ、フランス、スペインなどだ。(略)これまでのところ最も多額の身代金を払っているのは、イタリアである。
――第8章 身代金の決定メカニズム
【どんな本?】
2004年、イラクで三人の日本人が誘拐され、大騒ぎとなった。2014年にも、シリアでイスラム国を名乗る組織に二人の日本人が誘拐され、殺された。
かつてのソマリアのように、シリアやアフリカ北部では、誘拐が人質ビジネスとして産業化している。その背景には、どんな事情があるのか。どんな者たちが誘拐ビジネスに携わり、どんな手口を使うのか。彼らを抑え込む方法はあるのか。そして、人質になるのはどんな人たちで、何が彼らの生死を分けるのか。
テロ組織を研究する気鋭のジャーナリストが、人質となった人々や解放の交渉に当たった専門家に取材し、またアフリカのAQIM・ソマリアの海賊・シリアの反政府組織などの人質ビジネスで稼ぐ組織の内情を暴いた、衝撃のルポルタージュ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Merchants of Men : How Jihadists and ISIS Turned Kidnapping and Refugee Trafficking into a Multi-Billion Dollar Business, by Loretta Napoleoni, 2016。日本語版は2016年12月30日第一刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約261頁に加え、池上彰の解説「トランプ後の世界に必読の一冊」5頁。9ポイント42字×20行×261頁=約219,240字、400字詰め原稿用紙で約549枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分ぐらい。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。ただしアメリカ人向けに書いているためか、出てくる人質の多くはアメリカで話題になった人が多い。一応、日本の今井紀明・高遠菜穂子・郡山総一郎・安田純平・後藤健二・湯川遥菜も少し出てくる。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているが、かなり工夫した構成になっているので、素直に頭から読むといい。
- はじめに 誘拐がジハーディスト組織を育てた
- 序章 スウェーデンの偽イラク人
- 第1章 すべての始まり9.11愛国者法
- 第2章 誘拐は金になる
- 第3章 人間密輸へ
- 第4章 海賊に投資する人々
- 第5章 密入国斡旋へ
- 第6章 反政府組織という幻想
- 第7章 ある誘拐交渉人の独白
- 第8章 身代金の決定メカニズム
- 第9章 助けたければ早く交渉しろ
- 第10章 イスラム国での危険な自分探し
- 第11章 人質は本当にヒーローなのか?
- 第12章 メディアを黙らせろ
- 第13章 助かる人質、助からない人質
- 第14章 あるシリア難民の告白
- 第15章 難民というビジネスチャンス
- 終章 欧州崩壊のパラドクス
- 謝辞/用語集/ソースノート
- 解説 トランプ後の世界に必読の一冊 池上彰
【感想は?】
「はじめに」で一気に引き込まれた。読ませる工夫が巧い。お話はこうだ。
きっかけは2001年のアメリカの愛国者法。米政府は金融機関に命じる。「すべてのドル取引は政府に届けろ」。違法な取引を規制するのが目的だ。
困ったのはコロンビアの麻薬組織。そこでイタリアのマフィアと手を結び、コカインの欧州市場を開拓し、ユーロ決済の道を作る。この辺は「コカイン ゼロゼロゼロ」にも出てきた。
ブツは南米ベネズエラを介し、いったん西アフリカのギニアビサウに運ぶ。ここからサハラを超え地中海へ向かうルートは、昔からタバコなどの密輸業者が使っていた。
このルートを仕切るのが、反政府組織のAQIM(→Wikipedia)。「ボコ・ハラム イスラーム国を超えた[史上最悪]のテロ組織」にも名前が出てきた組織だ。同じルートで欧米の観光客を攫い、政府から金を脅し取れば、いい稼ぎになる。
「2011年までの間に、AQIMは身代金だけで1憶6500ドルをかせいだという」というから、美味しい商売だ。ドライバーやガイドも抱き込み、ちゃんと地元の者にも利益を還元する。おお、巧い商売…と思ったが、落とし穴もあった。
誘拐の多発で、歴史遺産を誇る砂漠の都市ティンブクトゥの観光産業は息の根を止められた。(略)誘拐による資金調達には、このビジネスがさかんになると人質の供給が突然止まってしまうという致命的な欠点がある。
――第3章 人間密輸へ
そこで新たな商売として始めたのが、アフリカからEUへの難民輸送。
「ヨーロッパに流入した難民の90%は、犯罪組織に頼ってやって来る」
――第15章 難民というビジネスチャンス
これまた輸送先のEU内にも手先が潜り込んでいる上に、受け入れる側でも「難民ビジネス」が成立しちゃってるから手に負えない。
難民に家と食事を提供すれば、一晩当たり31~75ドルがノルウェー政府から支払われるのである。
――第15章 難民というビジネスチャンス
日本の貧困ビジネスみたいなモンだ。
そんなAQIMに学んだのがイラクやシリアの反政府組織。もともとアサド政権も、国民相手に人質商売をしてた。
いまではアサド体制の主要な資金源の一つが身代金であったことがわかっている。
――第6章 反政府組織という幻想
小金持ちに因縁をつけてブタ箱にブチ込み、金を巻き上げていた。これに倣ってか、反政府側は外国人を攫い一攫千金を狙う。カモはジャーナリストや人道活動家だ。トルコの難民キャンプにも、手先が潜り込んでいる。そこで「特ダネがある」などとジャーナリストに持ち掛け、組織に引き渡すのだ。
そこで引っかかるのは、特ダネで一発当てて名を挙げようとするジャーナリストの卵。ネットの普及でメディア商売は競争が激しくなり、大手の懐は寂しくなる。おまけに記者の保険料と警備費用は上がる一方。そこで安上がりなフリーランサーに頼るんだが…
フリーランサーがとるリスクは、彼らが得る報酬と比べると、ばかばかしく大きすぎるように見える。大手メディアでさえ、記事一本に200ドル程度しか払わない。
――第12章 メディアを黙らせろ
と、安く買いたたかれる。切ないなあ。
誘拐する側も楽じゃない。人質だってメシを喰う。取引が長引けば、食わす費用も半端じゃない。
「誰も、女の人質は欲しがらない。(略)施設や待遇の面でも、男の人質のほうがよほど扱いやすい。とりわけ、男と女を両方拘束するのは実に厄介だ」
――第9章 助けたければ早く交渉しろ
不慣れなチンピラがガイジンを攫っても、費用が嵩むだけで、交渉相手を見つける事すら難しい。でも世の中、捨てる神あれば拾う神あり。シリアじゃちゃんと人質市場が成立しているのだ。小組織は大組織に人質を売り飛ばし、小遣いを稼ぐ。相手国との交渉は大組織が受け持ち、ゴッソリ稼ぐ。
人質の消息が掴めない理由の一つは、これか。じゃ、ビジネスに長けた大組織なら、大切な商品である人質の身は安全か、というと、そうでもなくて…
彼ら(イスラム国)は一度に一つの国と交渉する方式をとっており、最初に解放交渉が行われたのはスペイン人の人質だった。そしてスペインを、というよりもすべての国を震え上がらせるために、いちばん価値の低い人質を処刑した。
――第13章 助かる人質、助からない人質
みせしめや、政治的な目的のために、ワザと人質を始末する場合もあるから、油断はできない。著者によれば、後藤氏は最初は金目的だったのが、安倍首相の中東訪問を機に殺すことに決まったとか。肝心の後藤氏は、戦場に慣れたプロとして注意深く行動していたそうだ。
人質を取られた各国市民の反応も様々で、日本の反応の特異さもキッチリ書いてある。イタリアみたく人質を英雄視するのはなんか違うと思うが、日本のようにヒステリックに叩くのも、なんだかなあ。
という板挟みは著者も同じで、結論としては「妙案は何もない」。
とまれ、地元の人々を抱き込み地場産業に仕立て上げてしまう犯罪組織の内幕や、政府がつける人質の値段、ジャーナリストの現状など、ホットな話題にはこと欠かず、読み始めたら止まらない、エキサイティングな一冊だった。
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