ブライアン・フェイガン「古代文明と気候大変動 人類の運命を変えた二万年史」河出書房新社 東郷えりか訳
われわれの祖先は過去7,8万年のあいだに、少なくとも九回の長い氷期をくぐり抜けてきた
――はじめにこうした技術革新も、過小評価されているある単純な発明がなければ、価値のないものになっただろう。それは今日もまだ使用されているもの――針と糸である。
――第2章 氷河時代末期のオーケストラ 18000年~15500年前「クローヴィス人は世代ごとにおそらく一頭のマンモスを仕留め、それから残りの生涯をその話をしながら過ごしたのだろう」
――第3章 処女大陸 15000年~13000年前それもこれもすべて、とどのつまりは、アガシー湖の湖岸が崩れたからなのである。
――第5章 1000年におよぶ干ばつ 紀元前11000年~前10000年前8000年には、近くの山間にあった定住地ガンジ・ダレで、住民が家畜化したヤギの群れを飼っていた。その事実が判明しているのは、骨の中にオスは成獣に近い個体が多数あり、一方、メスはほとんどが年をとっていたからだ。
――第6章 大洪水 紀元前10000年~前4000年エジプトのクフ王と後継者たちがナイル川沿いのギザにピラミッドを建設していた前2550年ごろまで、砂漠には多数の淡水湖があり、いくつかはかなり広大なものだった。マリ北部にはクロコダイルとカバが生息していた。現在、この地域の降雨量は年間5mmしかない。
――士の争い/アッカド帝国第8章 砂漠の賜物 紀元前6000年~前3100年19世紀にはENSO(→Wikipedia)と干ばつによって生じた飢え、および飢饉に関連した感染症から、少なくとも2000万人が死亡した。
――エピローグ 西暦1200年~現代
【どんな本?】
人類はアフリカで生まれ、世界中に散らばり、アメリカ大陸まで渡っていった。その時期とルートについては幾つかの説がある。中でも最も有力なのが、15000年以降に、今のベーリング海峡を歩いて渡った、とする説だ。
当然ながら、この説が成り立つには、ベーリング海峡が陸地でなければならない。たかだか一万年かそこらで、海峡が干上がったり沈んだりと、地形は大きく変わった事になる。もちろん、それらは気候の大変動も連動している。
気候の変化は、人類を地球全体へと拡散させた。狩猟採集から遊牧や農耕へと人類の暮らしの形を変え、メソポタミア・古代エジプト・マヤなど幾つもの文明を興しては滅ぼした。そこには、どんな気候要因が働いたのか。人々の暮らしは、どう変わったのか。それは、なぜわかるのか。
アメリカの考古学者が、二万年ものスケールで、人類の歴史と気候の関係を全地球規模の視野で明らかにし、ダイナミックに脈動する地球の気候を伝える、衝撃的な一般向けの科学・歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Long Summer : How Climate Changed Civilization, by Brian Fagan, 2004。日本語版は2005年6月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約336頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×19行×336頁=約293,664字、400字詰め原稿用紙で約735枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらいの文字数。なお、今は河出文庫から文庫版が出ている。
文章は比較的にこなれている。内容は多岐にわたり、できればスマートフォンかパソコンの助けを借りながら読むといい。というのも、世界中の地名や歴史上の出来事が頻繁に出てくるためだ。地名は Google Map で調べたくなるし、歴史上の出来事は年表で確かめたくなる。
出てくる出来事は東地中海の話が多い。ただ、読んでいくと、それらは「地球の気候」という点で全世界に影響を及ぼしている事が次第にわかってくる。とすると、我々としては、つい「その頃、中国では」とか「日本では」とか考えちゃうよね。
【構成は?】
原則として時系列順に進むので、できれば素直に頭から読む方がいい。
- はじめに/著者注
- 第1章 もろくて弱い世界に踏み入れて
古代都市ウルの悲劇/ミシシッピ川の洪水との闘い - 第1部 ポンプとベルトコンベヤー
- 第2章 氷河時代末期のオーケストラ 18000年~15500年前
狩猟集団/氷河時代のステップ・ツンドラ/クロマニョン人が生き延びた理由/世界の気候はつねに変化した/はてしなくつづくステップ・ツンドラ/シベリア北東部へ/ひたすら前進する狩猟採集民 - 第3章 処女大陸 15000年~13000年前
最初のアメリカ人/「クローヴィス尖頭器」が語ること/アメリカ大陸定住へのシナリオ/シベリア北東部より/ベーリング陸橋の東側/氷河の後退/無氷回廊はなかった/南下をつづけて/大温暖化による新たな機会と危機 - 第4章 大温暖化時代のヨーロッパ 15000年前~13000年前
温暖化のもたらした変化/様変わりする環境のなかで/臨機応変なクロマニョン人/弓の発明 - 第5章 1000年におよぶ干ばつ 紀元前11000年~前10000年
ケバラ人/どんぐりがもたらした影響/アブ・フレイラ/アガシー湖/農耕の始まり/移動生活の終わり
- 第2章 氷河時代末期のオーケストラ 18000年~15500年前
- 第2部 何世紀もつづく夏
- 第6章 大洪水 紀元前10000年~前4000年
定住と祖先への信仰/チャタルホユックの巨大な塚/ミニ氷河時代/エクウセイノス湖の大氾濫/移住/狩猟民と農耕民の思わぬ交流/共同体の発展/生活様式の変遷 - 第7章 干ばつと都市 紀元前6200年~前1900年
メソポタミアの調査/ウバイド人/干ばつとの闘い/シュメールの都市国家/都市同士の争い/アッカド帝国 - 第8章 砂漠の賜物 紀元前6000年~前3100年
サハラ砂漠/熱帯収束帯/ナイル川/サハラの牛とオーロックス/先王朝時代
- 第6章 大洪水 紀元前10000年~前4000年
- 第3部 幸運と不運の境目
- 第9章 大気と海洋の間のダンス 紀元前2200年~前1200年
干ばつによって崩れたファラオの無謬性/レヴァント南部の社会崩壊/ウルブルンの沈没船/ミュケナイとヒッタイトと滅ぼしたもの/干ばつが侵略を生んだ/人類は新たに脆弱さをさらけだす - 第10章 ケルト人とローマ人 紀元前1200年~前900年
ヨーロッパの気候の境界線/地中海北部地方の農民たち/火山と気候の変化/牧畜民の生活/太陽と気候の変化/農耕と戦争/ケルト人との交流/移動しつづける移行帯/世界各地の大干ばつ/運命は神の掌中 - 第11章 大干ばつ 西暦1年~1200年
南カリフォルニアでの調査/チュマシュ族/チュマシュ族の知恵/アンセストラル・プエブロ - 第12章 壮大な遺跡 西暦1年~1200年
マヤ文明の繁栄/マヤ文明を滅ぼしたもの/新しい証拠/プレ・インカの都市、ティワナク
- 第9章 大気と海洋の間のダンス 紀元前2200年~前1200年
- エピローグ 西暦1200年~現代
- 謝辞/訳者あとがき/原注
【感想は?】
SFだと、やがて太陽系を飛び出す人類は、他の恒星系の惑星上に植民地を築くことになっている。
あれは間違いだ。他の恒星系に進出するほど賢ければ、地表なんかに定住地を作らない。小さな観測基地や、鉱山の周囲に町ぐらいは作るだろう。でも、商業や政治の中心となる大都市は作らない。
なんたって、地表はヤバい。たかだか一万年かそこらで、ベーリング海峡が干上がったり沈んだりする。「一万年?悠長だねえ」と、前半では思えるかもしれない。でも、終盤の第三部になると、数百年どころか数十年のオーダーで、大都市が興り滅びてゆく様を、この本は見せつけてくれる。
基本的なテーマは、最初の「はじめに」と「第1章 もろくて弱い世界に踏み入れて」に出てくる。気候変動のスケールと、集落のスケールの関係だ。
生存できるか否かは、往々にして規模の問題となる。(略)小規模の災害にたいする万全の対策として興隆した都市は、より大きな災害にはますます脆弱になっていたのだ。
――第1章 もろくて弱い世界に踏み入れて
ちょっと想像して欲しい。数年の間、日本列島に日照りが続いたら、どうなるだろうか?
縄文時代なら、大きな問題にはならない。今、住んでいる場所を捨て、他の所に移ればいい。小さな川や池は干上がるだろうが、利根川や琵琶湖の近くなら、なんとかやっていけるだろう。だが、人々が一つの所に定住し、人口も増えた現在では、大変な災害になる。
人口が少ない頃は、治水も難しい。ちょっとした日照りや洪水で、すぐに耕地は駄目になる。その反面、新田を開墾する余地は充分にあるので、新しい土地に移って開墾すれば、いくらでもやり直せる。
現代の東京の河川は、岸をコンクリートで固め、また河川敷を広くとった上で堤防を築いているので、滅多に洪水で浸水することはない。が、ひとたび堤防が切れたら、いったいどうなる事やら。多くのデータセンターが停電しFGOも止まり阿鼻叫喚の←違うだろ
つまりだ。昔は集落が小さかった。そのため治水もロクにできず、ちょっとした日照りや洪水でも村や町が消えた。だが、人々は他の土地に移り住めば、いくらでもやり直しがきいた。それだけ土地は余っていたし、人と土地の関係も薄かった。
だが大都市となると、話は違ってくる。運河や貯水池や堤防を築き、多少の日照りや洪水には耐えられるようになった。だが、予測を超えた干ばつや大洪水に襲われると、どうしようもない。増えた人口を養う蓄えは尽き、かといって周辺には大量の移民を受け入れる余地がない。
大都市は小さな災害には耐えられるけど、大きな災害が来たら立ち直れない。
本書は、そこまでしか書いていない。「都市化が進んだ現代って、ヤバくね?」とは、書いていない。が、少しでも想像力があれば、そういう恐怖がジワジワと湧き上がってくる。
この本が描くのは、幾つもの文明の勃興と滅亡だ。パターンはだいたい決まっている。気候のいい時に文明と都市が栄え、人口も増える。周囲の耕作に適さない土地も、開墾や灌漑で耕地に変え、更に人口が増える。だがやがて気候が変わり…
この気候の変わり方が、制御はおろか予想すら難しい。1783年のアイスランドのラーキ火山の噴火は、ヨーロッパばかりか日本にも天明の飢饉をもたらした。前11000年のシリアのアブ・フレイラの干ばつは、もっとややこしい。
北アメリカ大陸中央、五大湖の西、カナダとアメリカの国境近く。当時はアガシー湖があった。その北にはローレンタイド氷床が広がっていた。
地球が温かくなり氷床が解け始め、アガシー湖に解けた水が流れ込む。湖は広がり五大湖へと注ぎこみ、果てはラブラドル海(カナダとグリーンランドの間,→Wikipedia)へと向かう。これは北上していた暖流のメキシコ湾流を止め、ヨーロッパの気温を下げ、東地中海に干ばつをもたらす。
北アメリカの湖が、シリアに干ばつを引き起こしたのだ。ここまで複雑なメカニズムは、予測のしようもない。まあ遠い未来なら、量子コンピュータの莫大な演算量でどうにかなるかもしれんが…
前一万年前から前四千年までは地球の軌道パラーメーターが変化したおかげで、夏の気温が上がり、降雨量も増えたことがわかる。こうした変化によって、北半球は以前よりも7%から8%は多く、太陽放射にさらされるようになった。
――第7章 干ばつと都市 紀元前6200年~前1900年
とかになると、もうお手上げだ。なんたって原因は地球の軌道なんだから。地表というのは、意外と気候の変動が激しいのだ。こんな所に大都市を築くなんて頭がイカれている。せめて太平洋上に移動可能な洋上都市を…
すんません。妄想が暴走しました。
そんな風に、気候の変化が人類を西に東に南に北にと拡散させ、都市を興しては滅ぼしていく過程を、じっくりと描いたのがこの本だ。もちろん、単に過程を描くだけではなく、それをどうやって調べ裏付けたかも、面白い話がいっぱいだ。
わかりやすい所では木材の年輪や遺跡から出た遺物があり、また地底・海底のコアからの同位元素比率の測定や黒曜石の微量元素など、先端科学を駆使した手法も出てくる。甲虫や花粉、スズメやネズミの骨など、生物の遺物を元にした推定も意外性に溢れている。
地理的に地中海近辺とアメリカ大陸に偏っていて、東南アジアと中国がほとんど出てこないのは寂しいが、スケールは微量元素から太陽黒点までと融通無碍で、それに翻弄される人類の姿は逞しくもあり切なくもあり。特にSF者にはツボを刺激され妄想が止まらない困った本だった。
【関連記事】
- 2016.08.10 ブライアン・フェイガン「人類と家畜の世界史」河出書房新社 東郷えりか訳
- 2012.08.29 ブライアン・フェイガン「水と人類の1万年史」河出書房新社 東郷えりか訳
- 2014.04.03 アザー・ガット「文明と戦争 上・下」中央公論新社 石津朋之・永末聡・山本文史監訳 歴史と戦争研究会訳
- 2017.07.02 森勇一「ムシの考古学」雄山閣
- 2013.10.07 リチャード・フォーティ「地球46億年全史」草思社 渡辺政隆・野中香方子訳
- 2011.05.09 ドゥーガル・ディクソン「アフターマン 人類滅亡後の地球を支配する動物世界」ダイヤモンド社 今泉吉典訳
- 書評一覧:歴史/地理
- 書評一覧:科学/技術
| 固定リンク
« アナスタシア・マークス・デ・サルセド「戦争がつくった現代の食卓 軍と加工食品の知られざる関係」白揚社 田沢恭子訳 | トップページ | クリストファー・プリースト「隣接界」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通・幹瑤子訳 »
「書評:科学/技術」カテゴリの記事
- 藤井一至「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」光文社新書(2024.10.23)
- ダニエル・E・リーバーマン「運動の神話 上・下」早川書房 中里京子訳(2024.10.20)
- アリク・カーシェンバウム「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」柏書房 穴水由紀子訳(2024.09.19)
- ライアン・ノース「科学でかなえる世界征服」早川書房 吉田三知代訳(2024.09.08)
- ニック・エンフィールド「会話の科学 あなたはなぜ『え?』と言ってしまうのか」文芸春秋 夏目大訳(2024.09.03)
「書評:歴史/地理」カテゴリの記事
- アンドルー・ペティグリー「印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活」白水社 桑木野幸司訳(2024.10.15)
- ジョン・マン「グーテンベルクの時代 印刷術が変えた世界」原書房 田村勝省訳(2024.10.09)
- クリストファー・デ・ハメル「中世の写本ができるまで」白水社 加藤麿珠枝監修 立石光子訳(2024.09.27)
- クラウディア・ブリンカー・フォン・デア・ハイデ「写本の文化誌 ヨーロッパ中世の文学とメディア」白水社 一条麻美子訳(2024.09.30)
- メアリー・ウェルズリー「中世の写本の隠れた作り手たち ヘンリー八世から女世捨て人まで」白水社 田野崎アンドレーア嵐監訳 和爾桃子訳(2024.09.26)
コメント