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2018年7月12日 (木)

マイケル・S・ガザニガ「脳のなかの倫理 脳倫理学序説」紀伊国屋書店 梶山あゆみ訳

私は脳神経倫理学をこう定義したい――病気、正常、死、生活習慣、生活哲学といった、人々の健康や幸福にかかわる問題を、土台となる脳メカニズムについての知識に基づいて考察する分野である、と。
  ――はじめに

胚をどの時点から人とみなすべきか
  ――1章 胚はいつから人になるのか

音楽家の体性感覚野を見ると、特定の指に対応する領域が大きくなっていて、どの指の領域が大きくなるかは楽器の種類によって異なる。
  ――4章 脳を鍛える

どうやら脳では、何かの課題をはじめて行うときにはたくさんの脳細胞(ニューロン)が使われるのに、技能が身につくにつれて、関与するニューロンの数がしだいに少なくなっていくらしい。
  ――4章 脳を鍛える

リタリンという薬は、多動症の子供の学業成績をよくするだけでなく、正常な子供に対しても同じ効果を発揮する。多動症でもそうでなくても、リタリンを飲めばSAT(大学進学適性試験)の点数が100点以上アップすると言われている。
  ――5章 脳を薬で賢くする

「ハリーがやったのではありません。ハリーの脳がやったのです。ハリーに行為の責任はありません」
  ――6章 私の脳がやらせたのだ

科学者と伝道者を比べた研究によると、新しいデータを突きつけられたとき、自分の考えをなかなか改められないのは科学者のほうだとの興味深い研究結果もある。
  ――9章 信じたがる脳

「三つの考え方はそれぞれ異なる脳領域を重視しているとみなせそうだ。カント(功利主義)は前頭葉。ミル(義務論)は、前頭前野と、大脳辺縁系と、感覚野。アリストテレス(徳倫理)はすべてを適切に連携させながら働かせる」
  ――10章 人類共通の倫理に向けて

人間は状況に対して自動的に反応している。脳が反応を生み出しているのだ。その反応を感じたとき、私たちは自分が絶対の真実に従って反応していると信じるに至る。
  ――10章 人類共通の倫理に向けて

【どんな本?】

 ES細胞の研究はどこまで許されるべきか。老いて認知症となった人の安楽死を認めてよいのか。自らの子の遺伝子改造はどうか。アスリートのドーピングが悪なら、試験前にコーヒーで脳にカツを入れるのはいいのか。P・K・ディックの小説「マイノリティ・レポート」のように、犯罪傾向の強い者の監視は許されるのか。記憶はどこまで信用できるのか。信念や信仰心はどこから来るのか。

 2001年から米国の「大統領生命倫理評議会」のメンバーとなった神経科学者が、fMRIやPETなどの技術が明らかにしたヒトの脳の性質を踏まえ、科学と倫理が交わる領域に生まれる様々な問題を取り上げて吟味する、一般向けの科学と倫理の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Ethical Brain, by Michael S. Gazzaniga, 2005。日本語版は2006年2月2日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約229頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント44字×17行×2299頁=約171,292字、400字詰め原稿用紙で約429枚。文庫本なら少し薄めの一冊分ぐらいの文字数。

 文章は比較的にこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。「前頭葉」や「灰白質」など脳の部位や要素の名前が出てくるが、具体的な場所や形は気にしなくていい。本気で脳神経学者になるつもりなら話は別だが、興味本位で読む分には、「脳にはそういう名前の場所がある」ぐらいに思っていれば、充分に楽しめる。

【構成は?】

 各章のつながりは穏やかなので、気になった所だけを拾い読みしても楽しめるだろう。

  • 謝辞/はじめに
  • 第1部 脳神経科学からみた生命倫理
    • 1章 胚はいつから人になるのか
    • 2章 老いゆく脳
  • 第2部 脳の強化
    • 3章 よりよい脳は遺伝から
    • 4章 脳を鍛える
    • 5章 脳を薬で賢くする
  • 第3部 自由意志、責任能力、司法
    • 6章 私の脳がやらせたのだ
    • 7章 反社会的な思想とプライバシーの権利
    • 8章 脳には正確な自伝が書けない
  • 第4部 道徳的な信念と人類共通の倫理
    • 9章 信じたがる脳
    • 10章 人類共通の倫理に向けて
  • 訳者あとがき/原注

【感想は?】

 つぎの言葉にピンときたらお薦め。

  • オリヴァー・サックス
  • V・S・ラマチャンドラン
  • デーヴ・グロスマン
  • ジョナサン・ハイト
  • ダニエル・C・デネット
  • ロバート・B・チャルディーニ
  • マイケル・サンデル
  • ミラーニューロン
  • ブレイン・マシン・インターフェース

 「脳倫理学」と書くと何やら難しそうだが、取り上げるテーマは多くの人の興味をそそる。曰く…

  • ヒトの受精卵を使うES細胞の研究は、どこまで許されるべきか?
  • 認知症を患った者の尊厳死は許されていいのか?
  • 遺伝子改造で「賢い子」を作るのは?
  • アスリートの本番のドーピングは不許可だが、練習中のドーピングは?
  • ドーピングが不許可なら、賢くなる薬はどうなの?
  • 脳が原因で暴力的な者に、刑事責任を問えるのか?
  • fMRIなど脳医学の先端技術を、法廷に持ち込むべきか?
  • 記憶はどこまで信用できるのか?「のどまで出かかってるのに出てこない」のはなぜ?
  • 「信念」は、どうやって生まれる?
  • 道徳は生来のものか、学んで身に着けたのか。

 それぞれの問題につき、誰もが意見を持っている。だが、親しい人と話し合うのは難しい。営業さんにとって政治と宗教と野球の話がタブーであるように、この手の話はみんな頑固に自分の考えを曲げようとしない。だから、下手に話題にすると、人間関係まで壊しかねない。

 人間、いったん口に出した意見を変えるのは難しい。なんか意地になっちゃうし。その点、本はいい。書いてあることが気に入ればパクればいいし、気に入らなければ無視すればいい。本で考えが変わったら、読む前から知っていたような顔をしたってバレなきゃ大丈夫。

 なんかズルいと思うかもしれないが、ヒトの脳なんて実はかなりいい加減なシロモノなんだと、この本を読めばわかる。裁判にしたところで、目撃証言はあまりアテにならないと、統計と事例で証明してくれる。加えて記憶の正確さと、証言者の自信は、ほとんど関係ないなんて、ショッキングな事実も。

 ばかりか、ある程度、記憶は作れるのだ。

空想や作り話だとわかっている情報の場合も、「のちにそれを現実のものとして[被験者が]記憶する妨げにならない」ことが明らかになっている。それどころか、誤った情報を繰り返し提示するだけで、その情報が真実に間違いないものとして記憶される確率は高くなる。
  ――8章 脳には正確な自伝が書けない

 と、「嘘も百回言えば本当になる」は、あながち間違いでもないらしい事。これが積もれば偏見を助長する。ネットでデマが出回っている今、これは深刻な問題なのかも。

 こういう、技術と法廷の問題に関して、私はちょっと疑問を持った。

 というのも。fMRIで、ある程度は相手に対する好悪の感情を調べられるとか。アメリカじゃ弁護士は証人に対して使いたいらしい。O・J・シンプソン裁判など、人種差別が大きな問題となっているアメリカだ。これで証人の人種偏見の有無を調べ、被告に有利な証拠としたい。

 ただしこの技術、データの解釈が難しい。嫌な感情を抱いたのは分かるが、ソレが人種差別なのか、嫌いな奴に似ているからなのかは、わからない。そもそも技術の信頼性もアレだし。

 で、だ。

 この技術、判事の差別意識の有無を調べるため、判事に対して使いたいと言ったら、判事はどう答えるだろう? 裁判員に選ばれた時、あなたはこの技術による判定を、受けてもいいと答えますか?

 先に書いたように、V・S・ラマチャンドランやダニエル・C・デネットなど、似たようなテーマの本は多い。それだけに、どこかで読んだようなネタもよく見かける。ミラーニューロンが、その代表だろう。が、やはりあった、意外な盲点が。

 中でも恥ずかしいのが、これ。

認知症とは、認知機能の低下をもたらすさまざまな疾患や損傷に対する総称だ。認知症の原因としては、過度の飲酒、喫煙、慢性的ストレス、脳外傷、脳卒中のほか、ハンチントン舞踏病、パーキンソン病、アルツハイマー病などの脳疾患が考えられる。
  ――2章 老いゆく脳

 認知症って、一つの病気を示すのかと思ったら、全然違った。幾つもの病気の症状をまとめて認知症と呼ぶのか。全然知らなかった。いやあ、恥ずかしい。

 他にも「ドーピングが駄目なら、試験前にコーヒーで頭をシャッキリさせるのはいいのか?」とか、男女の出生比が偏ってる国の一覧(ちなみにアゼルバイジャン・アルメニア・グルジアが1:1.2)とか、表情を読むATMとか、小ネタは満載。

 私が特に興味を持ったのは音楽家の話で。ミュージシャンには左利きが異様に少ない。私が知っているのは、ジミ・ヘンドリクスとポール・マッカートニーと秋山澪(←をい)ぐらいだ。ところが意外な事に、「幼いうちに訓練を始めた音楽家は、非音楽家より手の器用さに左右差が少ない」とか。

 つまりは両手利きが多いのだ。そういえばリンゴ・スターも本来は左利きだって噂もあるなあ。左利き用の楽器は手に入りにくいんで、右利き用の楽器を使っているうちに馴染んじゃったってケースが多いんだろうか。

 まあいい。それぞれのテーマについて、著者なりの考えも書いている。が、あまり押しつけがましくはなく、逆に「あなたはどう思います?」と問いかける感じで、ブログのネタ帳としても便利かもしれない。

 原書の出版が2005年といささか古いが、ネタそのものの面白さは色あせていない。むしろ、この本では空想だったことの幾つかは、既に実現していて、更にエキサイティングになっている。自分に、正義に、そして科学に興味がある人にお薦め。

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