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2018年7月10日 (火)

菅浩江「五人姉妹」ハヤカワ文庫JA

「でも……みんな嘘」
  ――ホールド・ミー・タイト

「介護ロボットといいっても、介護をするほうじゃない。<中枢>は介護されるロボットを開発したんだ」
  ――KAIGOの夜

お祭りだ。秋祭りだ。五穀豊穣を寿いでみんなが幸せになる、華やかなお祭りだ。
  ――秋祭り

昔を今になすよしもがな
  ――賤の小田巻

【どんな本?】

 ソフトで口当たりの良い文章にのせ、今から少しだけ進んだ科学技術をガジェットとして使い、それが照らし出すヒトの心の屈折や鬱屈を容赦なく描き出す、菅浩江ならではの甘いながらも強烈な毒が詰まった短編集。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2003年版」のベストSF2002国内篇14位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2002年1月に早川書房より単行本刊行。2005年1月15日にハヤカワ文庫JAより文庫版発行。文庫本で縦一段組み、本文約339頁に加え、加納朋子の解説「祈りにも似て」8頁を収録。9ポイント39字×17行×339頁=約224,757字、400字詰め原稿用紙で約562枚。文庫本としては標準的な分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。いや実は所々に凝った先端技術のネタも混じってるんだけど、ほとんど気にならないように甘い衣に包んであるのが、この人の特徴。なので、別にわからなくても小説としては全く問題ないです。

【収録作は?】

五人姉妹
 園川グループは、医療品も手掛ける。社長の一人娘の葉那子は、社の新製品である成長型の人工臓器を埋め込まれて育つ。もしもの時のために、生体臓器のバックアップとして、四人のクローンも育てられていた。父の死に伴い、葉那子は姉妹たちと初めて会い、会話を交わす。
 同じ遺伝子を受け継ぎながらも、個性豊かに育った園川葉那子・吉田美登里・小坂萌・海保美喜・国木田湖乃実の五人姉妹。それぞれに思惑と鬱屈、そして父への想いを抱えながら、何を語るのか。私は美登里さんが好きだなあ。
ホールド・ミー・タイト
 松田向陽美はアラサー。好きな仕事だが上司とは折り合いが悪い。職場では四人の部下がいる。電脳空間では、性別を偽ってホストのまねごとをしている。イケメンに化けて、女の子たちを楽しませるのだ。幸いにして評判はいい。
 逆パターンはよくある話で、出会い系でオッサンがサクラをやったり。お互い同性だとツボを心得ているんだけど、引きどころが難しいそうだなあ。それより私は水木さんみたくバーテンをやってみたい。だって粋で渋くてカッコいいし。ある意味、憧れの職業だよね、バーテン。
KAIGOの夜
 世界は<大患>から立ち直り始め、多少は余裕ができたのか、<中枢>は一年前に個性尊重令を出した。フリーライターのユウジに連れられ、ケンは取材へと向かう。<中枢>は介護「される」ロボットを開発したという。そのロボットの所有者に会いにゆく。
 敢えて手間暇かけて面倒をみるってのは、楽しみの一つかもしれない。「たまごっち」や「プリンセス・メーカー」など、育成ゲームはあるけど、看取りゲームってのはさすがに知らないなあ。敢えて言えば「俺の屍を越えてゆけ」が…いや、だいぶ違うか。育てゲームは先に希望が見えるけど、看取るのは行き止まりなだけに、本質が露わになるのかも。とは別に、オチはロジャー・ゼラズニイの傑作を思わせたり。
お代は見てのお帰り
 バート・カークランドは、十歳の息子アーサーを連れ、ラグランジュ3にある博物館惑星<アフロディーテ>を仕事で訪れた。今は大型企画として大道芸人フェスティバルが開催中。風船芸人,ジャグラー,ダンサー,マジシャンなどが芸を披露するが、アーサーは顔をしかめ…
 「またSFなんてくだらない物ばかり読んで!」と、親からお小言食らって育ったSF者には身に染みる出だし。が、そこにもう一ひねり入ってるあたりが、面白いところ。一時期は大道芸ってあまり見なくなったけど、最近は駅前で歌う若者を見かけるようになった。やっぱり生の歌ってワクワクするよね。
夜を駆けるドギー
 別に大きなトラブルを抱えてるわけじゃない。でも家でも学校でも、どうもシックリこない。目立たぬよう日々をやり過ごしている。ネットではコープス=死体と名乗り、腕利きのHANZと組んでサイトを立ち上げた。テーマはドギー、犬型のマシン・ペットだ。
 「逝ってよし」など、あの頃の2ちゃんの雰囲気を、こんな風に見せつけるのは酷いw コープスのイタさもあって、今となってはムズ痒くてのたうちまわりたくなるw どころか、このブログの昔の記事もなかなかアレなんだが、それを気にしたら負けだw
秋祭り
 巨大なドームに覆われ、土壌も気候も完全に制御された、大規模な農業プラント。作業の大半は機械化されているが、立地が辺鄙なため、後継者が足りない。募集に応じた林絵衣子と高津ムサシは、木田に案内されて見学を続ける。今日は年に一度の秋祭りだ。
 イマドキのスーパー・マーケットは、作物の旬が全くわからない。さすがにスイカや柿は季節によるけど、キャベツやタマネギはいつ行っても売ってるし。改めて考えると、昔の農業ってのは、凄まじく賭け金のデカいギャンブルだよなあ。なんたって一年の年収、どころか下手すっと命が賭かってるんだから。
賤の小田巻
 AIターミナル。老人用の終身保養施設。入所者は頭蓋手術を受け、常時AIにサポートされる。AIは老人たちに心地よい仮想現実を与え、代償として人格パターンを学ぶ。入江雅史の父親、入江燦太郎は大衆演劇の人気役者だったが、座を解散してAIターミナルへ入所した。最後の演目は「賤の小田巻」。
 老いて肌には皴がより、それでも舞台の上では女形として若い娘を演じ続けた燦太郎と、それに反発し芸の道を離れた雅史。ありもしない楽園を入所者に見せ、また訪問者には居もしない若い姿の入所者を見せるAIターミナル。存在しない娘を舞台に現出させる役者。そういえば、作家も、見てきたような嘘を吐く商売だなあ。でもって、読者は「もっと騙してくれ」とせがんでたり。
箱の中の猫
 ISS。国際宇宙ステーション。90分で地上400kmを周回する、宇宙開発の拠点。守村優佳の恋人は、そこにいる。十日に一度、普久原淳夫から通信が入る。遠距離恋愛とはいえ、方向が高さとなると、はるかに遠い。エリートでありながら、淳夫は優佳の仕事、保育士に敬意を払い…
 なんと Wikipedia には「宇宙に行った動物」なんて記事もある。みんな実験用で、さすがに猫はいない。やっぱり猫は実験に向かないよねえ。もちろんネタはシュレーディンガーの猫なんだけど、「箱を開ける」の解釈が見事。
子供の領分
 僕はマサシ。記憶喪失で、十歳ぐらい。山奥の孤児院にいる。訪問者は月に一度、ドレイファス医師が来るだけ。一緒に住んでいるのは五人。妊娠中のマリ先生、11歳で喘息持ちのアキヒコ、14歳でお姫様気取りのカナエ、8歳でガキ大将のコウジロウ、5歳でバレリーナに憧れるリィリィ。
 どっかで聞いた事のあるタイトルだと思ったら、ドビュッシーの曲だった(→Youtube)。リィリィはともかく、他の三人はなかなかに鼻持ちならないクソガキ揃い。が、読み終えて改めてそれぞれの性格を見ていくと、うーむ。マサシから見ると、そう見えるんだろうなあ。

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