山本雄二「ブルマーの謎 <女子の身体>と戦後日本」青弓社
本書の目的は、なぜ、どのようにして学校に取り入れられたのかわからない、なのに、存続だけはされ、もはやどうして継続しているのか誰にもわからないといった現象を取り上げ、その全体像を詳細に検討することで、学校を舞台とした民主化と戦前的信条の交錯とねじれの諸相と、学校的力学を支えるエネルギーの源泉を明らかにすることである。
――はじめに要するに、東京大会以前のオリンピックはほとんどの日本人にとっては見るものではなく、聞くものだった。
――第6章 密着型ブルマー受容の文化的素地時々に不満の声や批判が寄せられながらも、学校はなぜ三十年もの間ブルマーに固執し続けてきたのか、またどうしてそのようなことが可能だったのか…
――第8章 ブルマーの時代
【どんな本?】
かつては多くの学校で制式に採用されながらも、1990年代に急速に消えていった、女子の体操着ブルマー。必ずしも女子児童・生徒には好評でなかったにも関わらず、いつから、なぜ、どのように普及し、そして廃れていったのか。
この謎を追う著者は、戦後のスポーツ政策や体育教育、体操服のメーカー、日本の服飾の近代史、そして学校教育の精神史へと迫ってゆく。
ブルマーを糸口に覗き見る、もう一つの戦後日本教育史。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2016年12月8日第1刷。私が読んだのは2017年1月27日の第3刷。話題を呼んだ本です。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約189頁に加え、あとがき3頁。9ポイント44字×18行×189頁=約149,688字、400字詰め原稿用紙で約375枚。文庫本なら薄い一冊分。
文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。あ、もちろん、アレな期待はするだけ無駄です。
【構成は?】
原則として前の章を受けて後の章が続く形なので、なるべく頭から読もう。
- はじめに
- 第1章 ブルマーの謎と来歴
- 1 ブルマーの謎
- 2 ブルマーの日本への導入と変容
- 第2章 密着型ブルマーの普及と風説
- 1 密着型ブルマーの普及速度
- 2 普及と消滅に関する諸説とその検討
- 第3章 中体連とブルマー
- 1 暗中模索
- 2 推薦と協力金
- 3 中学校体育連盟
- 第4章 全国中体連の設立と変貌
- 1 都道府県中体連の設立
- 2 文部省のやり方
- 3 スポーツ大日本派
- 4 敗戦後の期待と落胆
- 5 全国中体連の誕生
- 6 オリンピックの東京開催決定
- 7 すべてはオリンピックのために
- 8 東京大会の屈辱
- 第5章 密着型ブルマーの普及過程
- 1 奇策
- 2 営業努力と信頼関係
- 第6章 密着型ブルマー受容の文化的素地
- 1 女子身体観の変容
- 2 スカートの下のブルマー
- 第7章 密着型ブルマーの消滅過程
- 1 性的シンボルとしてのブルマー
- 2 セクハラ概念の浸透
- 3 代替物の発見
- 第8章 ブルマーの時代
- 1 三十年間への疑問
- 2 シンガポール日本人学校のブルマー強制問題再考
- 3 純潔教育の心得
- 4 「女子学生亡国論」の心情
- 5 道徳としてのブルマー
- 参考文献一覧/あとがき
【感想は?】
繰り返すが、アレな期待はするだけ無駄です。ガックシw
まず「第1章 ブルマーの謎と来歴」で主になるのは、ブルマーだけに留まらず、明治維新以降の日本の女の体育。これが和装から洋装へと移る、日本の服飾史とも大きく関わってくる。
このテーマは「第6章 密着型ブルマー受容の文化的素地」でも再び蘇ってくる。改めて考えれば当たり前なんだが、服飾は精神性や主義主張とも重要な関係があるのだ。特に体育、それも女の体育ともなれば、ジェンダー問題とも強く繋がっている事を思い知らされる。
が、とりあえず、それは置いて。本の構成で前半~中盤のハイライトとなるのが、ブルマーが学校に普及していく過程。俗説では、東京オリンピックのソ連バレーボール・チームが契機と言われている。ソ連選手のカッコよさに憧れた女の子のリクエストが実現した、というもの。
が、しかし。今だって学校は生徒の要望なんざ滅多に受け入れない。50年前ともなればなおさらだ。どうも怪しい。
ってんで、著者は敗戦後のGHQのお達しにまで遡り、図書館に籠って資料を漁り、日本を飛び回って取材し、果てはシンガポールにまで出かけてゆく。ここで、二つの興味深い事情が見えてくる。
一つは学校用資材の市場が持つ特異な性質と、その市場でしのぎを削る産業界の人間模様。いったん食い込めば安定した業界かと思ったが、意外とそうでもない実情が浮き上がってきたり。でも結局、商売って、人なんだなあ。
もう一つは、敗戦を機に入ってきた米国流民主主義と、それに逆らおうとするスポーツ関係者、それも特に思想・政治的な動き。これは終盤でも大きなテーマとなってくる。
ここでもやっぱり、GHQが大きな変革を迫ってくる。直接に関わるのは、情報・教育方面を担当した、CIE(Civil Information and Education Bureau,民間情報教育局)。文部省はこの意を受け、スポーツにおいても革命的な方針を打ち出す。
極論すれば「勝ち負けにこだわるのはやめて、誰もが楽しめるようにしろ、それを通じて民主主義を体で覚えさせろ」である。この時に出した文部省の指針は、今でも充分に通用すると思う。
- 日本人は、物事を取り扱うのに、「勘」とか「骨(こつ)」とか(略)主観的・直感的な力にたより、客観的・合理的な方法を発展させることを怠った。
- たまたま、(略)恵まれた天才的な人間が、優れた技術をもつことができても、それを、規則だった方法の訓練によって、多くの人びとに学ばせたり(略)することが、できなかった。
- 権威や伝統に盲従して、これを批判する態度にとぼしく、感情に支配せられて、理性をはたらかせることが少なく、目や耳にふれぬ無形のものを尊敬して、物事を実証的にたしかめることが不得手であり…
戦後生まれが中心となった今でも、この指摘がそのまんま当てはまっちゃう気がするんだが、あなたどう思いますか。
そういえば「祖父たちの零戦」でも、奥義「左ひねり込み」は、腕に覚えのある操縦士が、それぞれに生み出したとかで、帝国海軍が組織的に教えたりはしなかったんだよなあ。また、「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下」でも、帝国海軍の戦闘機乗りの育成制度の欠陥を指摘してて…
が、しかし。GHQが引き揚げ復興が進むにつれ、世の風潮は変わってきて、勝ち負けにこだわる発想も首をもたげてくる。これにハズミをつけたのがオリンピックで…
と、スポーツと精神史なんて話も絡んできて、話は意外な方面へとつなっがってゆく。
このあたりは、スポーツの持つ二つの側面、すなわち普通の人が休日などに楽しむスポーツと、一流選手を更に鍛え上げるスポーツと、どっちに重きを置くか、みたいな事も考えちゃったり。あと、声だけはデカいけど金は出さないオッサンたちとか。
一見、イロモノじみたタイトルだけど、実は「サッカーと独裁者」同様に、スポーツと政治・思想との深い関係にまで踏み込んだ、真面目で重い内容の、でも文章はこなれていてスラスラ読める、お得な本だった。
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