司馬遼太郎「功名が辻 1~4」文春文庫
(千代、見ろ。そなたの馬だ)
――1巻 p313山内一豊が、多少とも英雄の名に値いするとすれば、すべて千代の作品であった。
――2巻 p49「われわれは、いつまでたっても内々は火の車だな」
「火の消えたようなことよりましでございましょう」
――2巻 p173「わしはこの一戦で山内家の家運をひらく。そのほうどもも、この戦さで家運をひらけ。わしがもし討死すれば、弟の子忠義(国松)を立てよ。そのほうどもが討死すればかならず子を立ててやる」
――3巻 p334「仕事はわかいころ、物を味わうのは老いてから」
――4巻 p143
【どんな本?】
主人公は、後に土佐藩主となる戦国大名の山内一豊と、その妻で優れた知恵を称えられる千代。
時は戦国の永禄十(11567)年、戦場での働き次第で出世か死が決まる時代。若き山内伊右衛門は「ぼろぼろ伊右衛門」の異名で呼ばれる。主君は織田信長、美濃を落とし頭角を現しつつある風雲児だ。伊右衛門はその近衛仕官ながらも、石高はたかだか五十石。だが、このたびめでたく縁談が決まった。
織田信長→豊臣秀吉→徳川家康と、権力の座が目まぐるしく入れ替わってゆく中を、若い夫婦が二人三脚で道を切り開き、身を立ててゆく姿を描く、娯楽歴史物語。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
1963年~1965年に新聞連載。1965年に文藝春秋新社より上下巻で単行本発行。1976年に文春文庫から文庫本が全4巻で刊行。私が読んだのは2005年2月10日第1刷の文春文庫の新装版。文庫本で縦一段組みの四巻、それぞれ本文約307頁+341頁+330頁+290頁=1,268頁に加え、あとがき(というよりエピローグ)15頁+永井路子の解説16頁。9ポイント39字×18行×(307頁+341頁+330頁+290頁)=約890,136字、400字詰め原稿用紙で約2,226枚。文庫本4巻は妥当なところ。
文章はやたらと読みやすい。ややお堅く古風な香りもあり頭よさげな雰囲気なのに、なんでこんなに読みやすいんだろう。私もこんな文章が書きたい。内容もわかりやすい。舞台は戦国~江戸初期と、今とは技術も社会も違う世界だが、うるさくない程度に説明が入っている。
敢えて言えば、当時の距離の単位を知っているといい。一間は約1.8m、一丁は約110m、一里は約4km。。それと、浅黄色など色の和名と、小袖などのファッション、そして軍ヲタなら地形が判る日本地図があると更によし。
【感想は?】
まず司馬遼太郎作品の特徴は、とにかく読みやすいこと。
なにせ昔の話、字面を見ると漢字は多いし、ルビもアチコチに入っている。それでも、版面を見ただけで、「なんかとっつきやすそう」と感じてしまう。
そこで改めてよく見ると、改行が多い。文が短いのだ。単に短いだけなら、私でも心がければ真似できそうな気がする。が、少し書いてみれば格の違いを思い知る。独特のリズムがあって、これに乗って読んでいくと、スルスルと物語の中に取り込まれてしまう。
加えて、この作品、特に序盤は、主な登場人物たちが若いせいもあり、勢いがある上に微笑ましく、笑える場面が多い。
山内伊右衛門の初登場時は、「ぼろぼろ伊右衛門」なんて呼ばれ少々情けない。この微妙な情けなさは終盤までずっとつきまとう。それが決定的になるのが、婚礼の夜の場面。伊右衛門、綺麗な嫁さんをもらってウキウキしつつも、多少の不安を抱えて迎えた夜の次第は…
いやあ、酷いw なまじ有名になったばかりに、こんな酷い話まで語られるとはw 化けて出てくるかもしれないw
他にも夫婦のお色気シーンは幾つかあるんだが、いずれも明るくユーモラスなのがなんとも。私はポルノは明るいのが好きなんだけど、ここまでギャグ・タッチだと、お色気もヘッタクレもないw お互いに歳をとって白髪が云々とかやりあってる所は、いかにも長く連れ添ったおしどり夫婦の風情がたっぷり。
やはり序盤は他の登場人物も若く、目線は遥か高みを望んでいる。若き主人の伊右衛門を盛り立てようと働く二人の郎党、祖父江新右衛門と五藤吉兵衛も、オッサンながら欲と愛情のまじりあう眼差しが、夫婦とはまた違う野郎どもの気兼ねのない世界が楽しい。
と同時に、こういった人物を動かす舞台設定の芸の細かさも、司馬遼太郎作品の欠かせない魅力。
SF者には意外と司馬遼太郎ファンが多い。というのも、「今、こことは違う世界」を見せてくれるからだ。作品名にあるように、この世界では功名こそが大事。この功名を巡り、登場人物たちが命を懸けた駆け引きを繰り広げてゆく。
序盤こそ天下が定まらず戦が多いため、彼らが名をあげる機会も転がっている。が、次第に世が定まるにつれ、伊右衛門を始め彼らのチャンスは減ってゆく。貴重な機会を活かすべく、同じ陣に属する者たちも、様々な思惑を抱え…
ニワカとはいえ軍ヲタのはしくれとしては、彼らの目線で戦場を見ることで、封建体制の軍が持つ統率の難しさが伝わってくるのが嬉しい。もっとも、そうやって功を上げ扶持が増えても、暮らしが楽になるわけじゃないって事情も、ちょっと切なかったり。
かと思えば、「信州武士は小部隊の巧妙さでは天下に名があった」なんて記述も、ニワカ軍ヲタには美味しいネタ。歴史に詳しい人には常識なんだろうなあ。これは信州の地形を思い浮かべればいかにもで、起伏の多い土地だから少人数でのゲリラ戦に長けるんだろうなあ、とか思ったり。
やはり地形の影響が強そうと感じるのが、終盤で土佐に移ってからの一領具足を巡るゴタゴタ。いずれも独立心旺盛で鼻っ柱の強い連中なんだけど、海沿いと山中の者の性格の違いが、これまた「いかにも」で。
そもそも土佐を描くのに鬼国とか酷い言われようだが、司馬遼太郎は他にも「竜馬がゆく」「戦雲の夢」「夏草の賦」と土佐ゆかりの作品を書いてるんで、実は土佐が気に入ってるのかも。
こいう風に人物を巧みに造ってしまう著者だけに、他の有名な武将も彼の著作で一般の印象が決まってしまう。それが最も強く出ているのが、秀吉と家康。
とにかく司馬遼太郎、秀吉が好きで家康が嫌いなのだ。明るく派手好き新しもの好きで商人肌の秀吉、地味で田舎者で保守的で陰険な家康と、見事に対照をなす形で書いている。今でも秀吉は人気があるけど、その幾分かは著者の影響だろう。
やはり通説を取り入れているのが、長篠の合戦の描写。かの有名な三弾撃ちですね。この物語の戦の規模としては関ヶ原が最も大きいんだけど、大きいだけに幾つもの戦場があって、個々の戦闘の印象は残りにくい。けど、長篠はほぼ一発で決まる戦いだけあって、心に映像が残りやすい。
にしても、ここまで武田勝頼を貶さんでもw
読みやすくリズムのある文体、ユーモラスな人間模様、史実に基づく小ネタで地盤を固めつつ、会話や架空の人物で物語を肉付けしてゆくドラマ作り。サービス満点で、とにかく楽しい読書を味わいたい人のための娯楽大作だ。
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