デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 6
オスマン帝国の窮状は連合国軍の想像を超えていた。ブルガリアが崩壊したため、オーストリアとドイツへの陸路が断たれ、補給だけでなく希望も失われた。国内でも、オスマン帝国軍からの100万人にのぼる脱走者が狼藉の限りを尽くしていた。
――第39章 トロイアの浜を望んでヨルダンがかつてパレスチナの一部だったことは、今日ではほとんど忘れられている。
――第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル
デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 5 から続く。
【グレート・ゲームのはじまり】
世界大戦が終結に向かい始めると、それぞれの国は戦後に向けて動き始める。イギリスの考えは、こうだ。地中海からインドへつながる陸の回廊が欲しい。ところが…
ロイド=ジョージ「トルコ帝国は、東方における我が国の大いなる財産――インド、ビルマ、マラヤ、ボルネオ、ホンコン、および、オーストラリアとニュージーランド両自治領――に至る陸路と海路をふさいでいる」
――第33章 バルフォア宣言への道
そのオスマン帝国が潰れそうだ。フランスはシリア(現レバノンを含む)を欲しがっているから、くれてやろう。南下を目論むロシアの防波堤にもなるし。我々はパレスチナ・メソポタミア・ペルシア・アフガニスタンをいただこう。
いい気なもんだが、肝心のトルコについて、どれぐらい知っていたか、というと。トルコじゃ革命が起きて大騒ぎだってのに…
連合国首脳は、(略)ムスタファ・ケマルについて、ほとんど知識を持ち合わせなかった。イギリス外務省もイギリス情報部も、ケマルが親スルタンなのか反スルタンなのかを首相に報告することさえできない有様だった。
――第42章 講和会議という非現実世界
と、情けないありさま。名高いMI6も、不慣れな場所じゃ役に立たないんだね。ばかりか、自らが関わったアラブの反乱についても…
パレスチナおよびシリア方面作戦に参加したファイサルのアラブ人部隊は、約3500人で構成されていたが、ロイド=ジョージの手元には、戦時中のいずれかの時点でファイサル、またはフサインに仕えた、あるいは同盟したアラブ人が約10万人にのぼる、という公式声明が届いていた。
――第39章 トロイアの浜を望んで
と、とんでもない勘違いをしている有様。そもそも現地の人々に対しては…
アレンビー将軍は、アラブ人とフランス人の間で戦争が勃発するかもしれない、と警告した。ウィルソン大統領は(略)中東に調査団を派遣して住民の意思を確認しようと提案し、ロイド=ジョージとクレマンソーの虚を突いた。(略)
欧米でいう「世論」というものが、中東には存在しないと信じていたからだった。
――第41章 裏切り
と、ハナから無視、どころか、考える必要があるとすら思っていなかった様子。ウッドロー・ウィルソンの姿勢は、今のアメリカからはとうてい考えられない。ベトナムやイラクやアフガニスタンでも、こういう考え方を持っていればなあ。
【戦争末期の混乱】
なんにせよ、インドにつながる陸の回廊を夢見たイギリスだが、現実はどうにも様子が違う。ロシアはソヴィエトとなり、例えば中央アジアでは…
こうして、トルキスタンの平原で(略)混乱のうちに戦闘が始まった。(略)連合関係が入れ替わり、いまやイギリスとトルコが組んで、ロシア、ドイツと戦っていた。
――第38章 袂を分かつ
と、敵味方が入れ替わって大混戦。まさしく欧州情勢は複雑怪奇だ。
【先立つもの】
なんとか終戦には漕ぎつけたものの、事態は思わしくない。膨れ上がった戦費でイギリス経済は苦境にあえぐ。そこでチャーチルは大ナタを振るう。大胆な軍縮を断行し、将兵を復員させた。これは中東も同じで…
1922年9月の時点で、チャーチルは中東にかかわる(略)年間経費を4500万ポンドから1100ポンドに縮小したのである。
――第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル
チャーチルって、なんとなく好戦的な人だと思ってたけど、こういう面もあるんだなあ。それはいいが、中東の経費を削ったって事は、駐屯する将兵も減らしたって事だ。チャーチルはこれを新設した空軍による機動力で補おうと考えていた。
戦車といい空軍といい、技術的な面でもチャーチルは先見の明があったんだなあ。海軍の艦艇も動力を石炭から石油に変えてるし。
まあ、それはいいけど、空軍の効果については、今の米軍が身に染みて分かっているように、相手によりけりで。ベトナムやアフガニスタンのように、ゲリラ的な戦い方の相手に対しては、やっぱり限界があって、結局は陸上兵力が必要になるんだよなあ。
【点と線】
そんなわけで、イギリスの支配的な地域では、反乱が相次いでしまう。
エジプトでは、閣僚経験者のサアード・ザグルール(→Wikipedia)を代表とする代表団が、エジプトの独立を求めてイギリスと話し合おうとするが、イギリスは彼を逮捕・追放する。その結果、イギリスじゃ反英機運が盛り上がり、デモからストライキ、そしてイギリス軍人への襲撃へと発展してしまう。
(サアード・)ザグルールという一地方政治家を相手にしていたつもりが、気づいてみれば、全土に信奉者が広がっていた――これにはイギリスも驚いたが、当人はもっと驚いたかもしれない。
――第44章 エジプト 1918~1919年春
ザグルール、法曹界の人で武闘派じゃなかったみたいだし、驚いただろうなあ。
アラビア半島だと、イギリスの政策はよくわからない。ここではアラブの反乱を指揮するヒジャーズの王フサインと、後にサウジアラビア王国を創るサウードがにらみ合ってるんだが…
フサインに言わせれば、イブン・サウードの攻撃から自領を防衛するために、イギリスからの援助金のうち毎月一万二千ポンドを支出しなければならない。そのイブン・サウード自身、月に五千ポンドを援助として受け取っているのに、である。
――第46章 アラビア半島 1919年春
戦ってる双方に、イギリスが金を渡してるわけ。たぶんインドとカイロの方針の不整合なんだろうが、間抜けな話だ。仮に軍事介入しようにも…
イギリス海軍がアラビア半島の海岸線を砲撃するとしたら、どんな目標が考えられるか、という問いに、湾岸担当の当局者は、砲撃する価値のあるものは存在しない、と答えている。
――第46章 アラビア半島 1919年春
と、欧州の戦場での常識が通用しない土地なのだ。地図を見ればわかるように、アラビア半島なんて大半が不毛の砂漠だし。
トランス・ヨルダン(現ヨルダン)では、フサインの次男でファイサルの兄、アブドゥッラーを国王に祭り上げる。そのトランス・ヨルダンの状況は…
ここ(トランス・ヨルダン)の住民は、等質の政治単位を形成してはいない。定住者とベドウィンは、鋭く一線を画している。(略)両者が共通の国家のために、単一の政府を形成するとは、とうてい期待できない。
――第49章 パレスチナ東部(トランスヨルダン) 1920年
と、そもそも国としての一体感を欠いている。「知恵の七柱」でも、なんか覇気に欠ける人物に描かれているアブドゥッラー、この本でもロレンスは…
「アブドゥッラーに要する経費は陸軍一個大隊にかかる経費を下回っている。我々がいかなる解決を目指すにせよ、人気がすこぶる高くもなく、あまりに有能でもないかぎり、現体制は我が国の利益を少しも損なうことはない」
――第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル
と、「傀儡にはちょうどいいよね」みたいな評だ。でも結果を見ると、中東戦争を除けばヨルダンは湾岸諸国同様に西側ベッタリな上に、比較的に政情も安定してるんで、いいい選択だったかも。
と同時に、傀儡政権の指導者に求められる資質がよくわかる文章だ。有能で人気があっちゃ困るんです、宗主国としては。イラクの王に仕立て上げたファイサルみたく、なまじ覇気があると、困った注文をつけはじめるし。
【おわりに】
無駄に長くなったけど、次の記事で終わります、たぶん。
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