デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 2
サー・マーク・サイクス「オスマン帝国の消滅は、我がイギリス帝国が消滅に向かう第一歩に違いない」
――第7章 オスマン帝国政府の策略
デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 1 から続く。
【どんな本?】
今なお戦火が絶えない中東。その火種はいつ撒かれたのか。
ボストン大学で歴史学教授を勤める著者が、新しく掘り起こされた資料を元に、第一次世界大戦と、それに続くオスマン帝国の崩壊、そしてヨーロッパの列強が中東に抱く野望を軸に、主要な人物の思惑にまで踏み込み、多くの通説を覆す実態を明らかにする、衝撃の歴史絵巻。
【疲弊したオスマントルコ】
前の記事では、列強に食い荒らされるオスマン帝国の悲惨な内情を紹介した。
それだけに国内には不満が渦巻き、やがてCUP(青年トルコ人)によるクーデターが勃発、政権掌握へと至る。
当時のオスマン帝国は広い。現在のトルコ・シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエル・イラク・サウジアラビアに及ぶ。加えてエジプト・スーダン・イエメンも、名目上は支配下にある。実質的にはイギリスが仕切ってるけど。
今のシリア内戦でもわかるように、これだけ広い地域だと、住む人も様々だ。アラブ、アルメニア、シーア派、マロン教徒、ユダヤ…。しかし、CUPは…
いったん権力の座を占めると、CUP(青年トルコ人)は前言を翻してそのナショナリズムの暗い側面を露呈し、トルコ語を母語とするムスリムがほかの住民グループに対し絶対の優位に立つことを主張したのだった。
――第4章 青年トルコ人運動、懸命に同盟者を求める
国粋主義というより、民族主義だね。しかも、帝国の版図でトルコ語を話すムスリムは4割程度。最大勢力ではあっても、支配的とまではいかない。こういったあたりも、中東の火種になってる気がするんだが。
【二隻の戦艦】
などと、この本の特徴の一つは、オスマン帝国&イギリス両国の内情に多くの記述を割いている点だろう。それも、主な人物の思惑にまで踏み込むことで、通説とか大きく異なったドラマが展開する。
最初にそれを痛感したのが、トルコ参戦のきっかけとなる、イギリスによるスルタン・オスマン一世号&レシャディエ号の接収。「八月の砲声」では、こんな風にドラマが進む。
トルコ「イギリスの旦那、チャカ二丁(戦艦二隻)都合つかんか?」
イギリス「よござんす」
――第一次世界大戦勃発――
トルコ「ぼちぼち渡してくれんかのう」
イギリス「いや非常事態なんでウチが頂きますわ」
トルコ「ナメとんのかワレ!」
ドイツ「トルコの親分さん、ワシらと組めば戦艦二隻にテッポダマ(乗組員)つけますわ」
トルコ「よし乗った!」
まず、違うのが、トルコの戦艦をイギリスがガメるくだり。本書によれば、これは当時の海相チャーチルの先走った個人プレイだとか。造船所や警備当局に戦艦の足止めを命じ、実質的に確保した後に、内閣の承認を取っている。
トルコの側も、「八月の砲声」ではパクられてから怒った事になっているが、少し違う。当時のトルコの陸相エンヴェル・パシャは、イギリスがパクるだろうと読んでいた。そこにドイツからアプローチが来る。ドイツには時間がない。地中海じゃ二隻の戦艦が英国海軍に追われ、イスタンブールに匿って欲しい。
そこで取引である。トルコはドイツに対し、見返りに列強との不平等条約の撤廃、および勝利の際の領土の分け前を求める。イギリスに戦艦二隻をパクられたのを隠し、ドイツ艦と艦隊を組もうと持ち掛ける。
エンヴィルとタラートは、内密のうちにフォン・ヴァンゲンハイム大使にスルタン・オスマン一世号を提供すると申し出ていたのである。
――第6章 チャーチル、トルコの戦艦二隻を接収
ばかりか、追い詰められたドイツの弱みにつけ込み、ドイツ戦艦二隻は乗組員込みでトルコに譲らせ、支払ってもいない八千万マルクの領収書を受け取り、かつ戦費として二百万トルコ・ポンドの金塊までせしめている。金を配るしか能のない我が国から見ると、羨ましい限りの外交手腕だ。
もっとも、そんな凄腕のエンヴェル・パシャも、前線の指揮官までは思い通りに動かせなかった。トルコは「攻撃を受けたので仕方なく反撃した」形にしたかったんだが…
ドイツ戦艦ゲーペン号&ブレスラウ号を中心とした黒海艦隊司令官を務めるドイツ人ゾーホン提督、ロシア沿岸に砲弾の雨を降らせ、強引にトルコを戦争に引きずり込んでしまう。
先のチャーチルの先走りもそうだし、好戦的な個人の行動で国家が戦争に深入りせざるを得なくなる例って、案外と多いんじゃなかろか。戦争って、火をつけるのは個人でも出来るけど、消すには多くの人が協力しなきゃいけない、そういう困った性質のシロモノなのかも。
などの騒動の原因を作ったチャーチル、イギリス世論は拍手喝采なんだが、深く懸念する人もいて、それが冒頭の引用。
【おわりに】
って、ここまで書いて、まだ第Ⅰ部だけ。果たしてちゃんと最後まで紹介できるんだろうか?と不安を抱えつつ、次の記事に続く。
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