デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 1
私たちが現在、ニュース報道を通じて知っている中東は、元をただせば第一次世界大戦の戦中戦後に、連合国が下した一連の決定が生み出したものだ。私はこの一冊の本の中で、連合国がいかにして、またなにゆえにそうした決定を下したのか――それをもたらしたのはいかなる期待と懸念、愛と憎しみ、失策と誤解があってのことだったのか――その経緯について語ることにする。
――序文
【どんな本?】
1914年6月28日、サラエボの銃声から始まった第一次世界大戦は、ヨーロッパ全体を覆う。その頃、中東に君臨するオスマントルコ帝国は、度々の敗戦・列強による権益の蚕食・進まぬ社会基盤の整備や殖産興業・重い負債による財政破綻・政府の弱体化そして内紛と、瀕死の状態にあった。
当初は傍観の姿勢にあったトルコだが、イギリスに発注していた戦艦二隻を没収されるに至り、ついに戦乱の渦へ投げ込まれる。だが、この機に乗じようと、様々な者たちが蠢動を始めた。
アフガニスタンを舞台にグレート・ゲームを繰り広げるイギリスとロシア、シリアを狙うフランス、同盟国を求めるドイツ、歴史的な因縁を抱えるギリシアやバルカン諸国、オスマン帝国からの独立を望むエジプト、王国を夢見るメッカの盟主フサイン・イブン・アリー、その隙を窺うアブドゥルアズィーズ・イブン・サウード、イスラエル建国を切望するシオニスト…
現在の中東の騒乱の源泉を第一次世界大戦に求め、特にウィンストン・チャーチルに焦点を当てながら、関連する諸国・諸勢力の思惑と駆け引き、そして勘ちがいと誤算を日の元に晒す、歴史学者による迫力のノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は A Peace to End All Peace : The Fall of the Ottoman Empire and the Creation of the Middle East, by David Fromkin, 1989。日本語版は2004年8月31日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約405頁+449頁=約854頁に加え、平野勇夫による訳者あとがき10頁。9ポイント46字×20行×(405頁+449頁)=約785,680字、400字詰め原稿用紙で約1965枚、文庫本なら四巻分の大容量。
分厚いハードカバーの上下巻と、一見威圧的な雰囲気だが、意外と文章は読みやすい。内容もあまり難しくないし、たいした前提知識も要らないが、当時の国境については、多少は知っている方がいい。
例えば、この本でのインドは、現代のインドに加え、バングラデシュとパキスタンを含む。また主な舞台となるトルコは、現在のトルコに加え、シリア・レバノン・ヨルダン・イラク・イスラエル・パレスチナ・サウジアラビアなど湾岸諸国を含み、名目上はイエメンとエジプトとスーダンもオスマン帝国の傘下にある。もっとも、オスマン帝国の版図は、上巻の巻頭に地図があるので、それを見ればスグにわかるけど。
また、各勢力の駆け引きは、それぞれの個人の立場や思惑も絡んで、スパイ物のように込み入って複雑な様子になるんだが、落ち着いて読めばだいたい構図が見えてくる。推理小説を読むつもりで、じっくり読もう。
【構成は?】
ほぼ時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。
- 上巻
- 関連地図/本書に登場する主な人物/謝辞/序文
- 第Ⅰ部 歴史の十字路に立って
- 第1章 古きヨーロッパ最後の日々
- 第2章 アジアにおける覇権争いの遺産
- 第3章 第一次世界大戦前の中東
- 第4章 青年トルコ人運動、懸命に同盟者を求める
- 第5章 大戦前夜のウィンストン・チャーチル
- 第6章 チャーチル、トルコの戦艦二隻を接収
- 第7章 オスマン帝国政府の策略
- 第Ⅱ部 ホレイシオ・キッチナー元帥、将来に備える
- 第8章 キッチナー、陣頭に立つ
- 第9章 キッチナーの腹心たち
- 第10章 キッチナー、イスラームの抱き込みを画策
- 第11章 インド政府の抗議
- 第12章 メッカの総督フサイン、板挟みの苦境に
- 第Ⅲ部 中東の泥沼にはまり込んだイギリス
- 第13章 トルコ軍、立て続けの大敗
- 第14章 キッチナー、イギリスのトルコ侵攻を承認
- 第15章 ダーダネルズ海峡の勝利を目前にして
- 第16章 トルコの海峡地帯横取りを狙うロシア
- 第17章 中東におけるイギリスの目標設定
- 第18章 運命を分けたダーダネルズ海峡の攻防
- 第19章 将軍たちの思惑
- 第20章 政治家たちの策謀
- 第21章 消え失せた灯台の光
- 第22章 「アラブ局」の創設
- 第23章 マクマホン書簡をめぐる怪
- 第24章 戦後中東の領土分割をめぐる連合国の軋轢
- 第25章 ティグリス川で勝利を収めたトルコ軍
- 第Ⅳ部 後方攪乱
- 第26章 敵戦線の背後で
- 第27章 キッチナー卿、北海に没す
- 第28章 空回りしたフサインの反乱
- 第Ⅴ部 最悪の事態に陥った連合国
- 第29章 連合国で相次ぐ政権交代
- 第30章 帝政ロシアの崩壊
- 関連略年表/原注
- 下巻
- 本書に登場する主な人物
- 第Ⅵ部 新世界と約束の地
- 第31章 アメリカ、参戦へ
- 第32章 ロイド=ジョージのシオニズム
- 第33章 バルフォア宣言への道
- 第34章 約束の地
- 第Ⅶ部 中東への侵攻
- 第35章 クリスマスはエルサレムで
- 第36章 ダマスカスへの道
- 第37章 シリアをめぐる戦い
- 第Ⅷ部 勝利の利得
- 第38章 袂を分かつ
- 第39章 トロイアの浜を望んで
- 第Ⅸ部 引き潮のとき
- 第40章 時間との競争
- 第41章 裏切り
- 第42章 講和会議という非現実世界
- 第Ⅹ部 アジアの暗雲
- 第43章 揉め事の始まり 1919~1921年
- 第44章 エジプト 1918~1919年春
- 第45章 アフガニスタン 1919年春
- 第46章 アラビア半島 1919年春
- 第47章 トルコ 1920年1月
- 第48章 シリアとレバノン 1920年春から夏
- 第49章 パレスチナ東部(トランスヨルダン) 1920年
- 第50章 パレスチナ(アラブ人とユダヤ人) 1920年
- 第51章 メソポタミア(イラク) 1920年
- 第52章 ペルシア(イラン) 1920年
- 第Ⅺ部 ロシア、ふたたび中東に目を向ける
- 第53章 敵の正体を暴く
- 第54章 ソヴィエトの脅威に怯えて
- 第55章 モスクワの目標
- 第56章 エンヴィル、ブハラに死す
- 第Ⅻ部 1922年の中東の解決
- 第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル
- 第58章 チャーチルとパレスチナ問題
- 第59章 ばらける連合
- 第60章 ギリシアの悲劇
- 第61章 中東問題の解決
- 訳者あとがき/関連略年表/原注/参考文献/索引
【感想は?】
まだ上巻の半分ぐらいしか読んでないのだが、やたらと面白い。
何が面白いといって、狐と狸の化かし合いと言うか、権謀術数を駆使した各国の駆け引きが、実に生々しく書かれているのがいい。
今のところ、最も細かく描かれているのはイギリスで、次いでオスマン帝国、そして最後にツケを回される役のドイツ。それぞれに国家としての立場だけでなく、主要な役割を果たす人物にまで踏み込み、各員の国の中での立場や、国際関係への主義主張まで、生き生きと描かれている。
これらを通じ、「八月の砲声」や「知恵の七柱」で刷り込まれた思い込みが、心地よく次々と覆されてゆく。
まずは、当時のオスマン帝国の内情が切ない。
タテマエ上はスルタンの絶対王政だが、事実上は各地の長老や首長が仕切っている。もともと四分五裂状態だったんだね、あの辺りは。徴税すら、「政府が直接徴税していた税金は全体のわずか5%」で、残りの95%は「政府から徴税権を買い取った取り立て請負人が徴税していた」。
産業化しようにも通信・交通機関がない。整えようにも元手がない。投資したがる海外資本はあるが、同時に独占も企てている。ちょっと想像してみよう。JRやKDDや日本郵便や東京電力がロシア資本だったら、と。
あの頃の鉄道が、どう凄いのかというと。それまではラクダ・ウマ・ロバのキャラバンで、一日の行程は「25~35km」。対して鉄道、速度は10倍以上、コストは1/10。勝負にならない。これはやがてメッカの盟主フサイン・イブン・アリーにも深く関わってくる。ロレンスが鉄道を敵視したのも、そのためか。
何より厳しいのは財政。10憶ドルを越す外債が不渡りとなり、1881年に徴税管理権を英仏蘭独墺伊に明け渡す。これで「帝国の歳入のほぼ1/4」を失う。しかし失った財源の中に酒税があるのは、いいんだろうか? まあ今でもトルコは比較的に大らかみたいだけどw
他にも裁判権や治外法権などもあって、国が他国に食い散らかされるとはどういう事か、痛いほどよく伝わってくる。日本史の教科書には、黒船到来による開国で不平等条約に悩んだと学んだが、その実情はピンとこなかった。が、この本の冒頭だけでも、その恐ろしさが実感できた。
なんてのはホンの手始めで、面白くなるのはこれから。
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