セス・S・ホロウィッツ「『音』と身体のふしぎな関係」柏書房 安部恵子訳
私がこの本を書こうと決めたのは、30年以上のあいだ、あらゆる種類の音に魅了されてきたからだ。(略)すなわち、音と聴覚が、どのようにして進化し、発達して、心の日常的な働きを形作ってきたか、というものだ。
――前書きと謝辞世界の物理的性質は、感覚器とニューロンのレベルでの心理状態とは別個のものだ。だから、それを説明するための新たな用語を必要とする――それを心理物理学という。
――第1章 始まりは爆音音は1日24時間私たちの警告システムとして働いている。聴覚システムは唯一、眠っているあいだでも信頼できる感覚システムだ。
――第5章 下側に存在するもの 時間、注意、情動第一に、ネガティブな感情価が含まれる音は、同じ振幅(音量)でも、より大きい音だとして知覚されがちだということ。
第二に、最も強い評価は、感情的にポジティブなものに分類された音と関連があること。
そして最後に、どの分類においても最も強い感情反応を引き起こした音は、人間の発した声ということだ。
――第5章 下側に存在するもの 時間、注意、情動説明に「時空間の」というような専門用語を使いだすととたんに、聴衆の九割を失うことになる。
――第6章 誰か、「音楽」を定義してください「最善のサウンドトラックは、それが存在していることに気づかれさえしないものだ」
――第7章 耳にこびりつく音ギャンブルに対する騒音の影響を調べる研究によって、興味深い統計的影響が示された。大音量の中では、ギャンブルをやりつけない人は掛け金が増える傾向があったが、深刻なギャンブル依存症が認められる人は、賭ける額が減る傾向があった。
――第8章 耳を通して脳をハックする上から自分に向かって落ちてくるものからは、警告として役に立つような音がすることはめったにない。その結果、何か上空から自分をめがけて落ちてきながら音を立てるものは何でも、とりわけ恐ろしく感じる。
――第9章 兵器と奇妙なもの脳は歌う。
――第11章 あなたに聞こえるものがあなたなのだ
【どんな本?】
耳は常に起きている。眠れば何も見えないし、嫌な匂いにも気づかない。だが、目覚まし時計はあなたを叩き起こす。音は、そして聴覚は、優れた警告システムなのだ。だからパトカーや救急車はうるさくサイレンを鳴らすし、火災報知機もやかましく鳴り響く。
そういった警告音は往々にして不愉快で、私たちをドキッとさせる。赤ん坊の泣き声や下手糞なピアノはイライラするし、黒板を爪でひっかく音は総毛が逆立つし、鳥のさえずりは心地よい気分になる。音は、ヒトの心を動かすのだ。
聴覚神経科学者として研究に勤しむ傍ら、バンド・ミュージシャンや音楽プロデューサーや音響エンジニアとして働いた著者が、音とソレが人の心と体に及ぼす影響について綴る、ユニークな一般向け科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Universal Sense : How Hearing Shapes Mind, by Seth S. Horowitz, 2012。日本語版は2015年5月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約310頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント46字×19行×310頁=約270,940字、400字詰め原稿用紙で約678枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。
文章はやや硬い。元の文章はイタズラ心あふれるユーモラスなものだと感じるのだが、訳文はそれを活かしきれていない。内容は特に難しくない。大抵の楽器の音は倍音を含む、ぐらいが判っていれば充分。
【構成は?】
各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。正直言って、最初の方は少しとっつきにくいので、特に映画が好きな人は「第7章 耳にこびりつく音」から読み始めてもいいだろう。
- 前書きと謝辞
- はじめに
- 第1章 始まりは爆音
- 第2章 空間や場所 セントラルパークを歩く
- 第3章 ローエンドタイプの聴覚を持つ動物たち 魚類とカエル
- 第4章 高周波音を聞く仲間
- 第5章 下側に存在するもの 時間、注意、情動
- 第6章 誰か、「音楽」を定義してください(そして、その定義について音楽家と心理学者、作曲家、神経科学者、それからアイポッドを聴いている人の同意をもらってください……)
- 第7章 耳にこびりつく音 サウンドトラック、「スタジオ視聴者」の笑い声、頭から離れないCMソング
- 第8章 耳を通して脳をハックする
- 第9章 兵器と奇妙なもの
- 第10章 未来の音
- 第11章 あなたに聞こえるものがあなたなのだ
- 参考文献/訳者あとがき/索引
【感想は?】
聴覚は不思議だ。「ウォーリーをさがせ」で赤白帽の眼鏡男を見つけるのは難しい。でも、ザワザワしたパーティーで自分の名前や馴染みの声は簡単に聞き分けられる。
裸足でステージに立つミュージシャンと聞くと、私は中島みゆきを思い浮かべるのだが、この本に出てくるのはデイム・エヴェリン・グレニー。パーカッショニスト(→Youtube)。この動画で、彼女はピアノと合奏している。なんと、彼女、「ほとんど耳が聞こえない」。なぜそれでピアノとタイミングが合うのだろう?
タネの一つは素足。足でステージの振動を拾い、マリンバの共鳴パイプの音波を下半身で捉え、または頭蓋骨の共鳴で音を「聴いて」いるとか。中島みゆきの裸足にも、もしかしたら同じ理由があるのかも。音というと耳ばかりに注目しがちだが、ヒトは体全体で音を聴いているのだ。
これは有難くもあるが、時として困った効果を及ぼす事もある。車を運転する人なら、長距離ドライブで眠気に襲われた経験もあるだろう。あれは睡眠不足だけが原因ではない。車は揺れる。整った道路だと、「低振幅で低周波数の偽ランダム振動」、つまり穏やかで小さな揺れが続く。
これがヒトの疲労感と眠気を引き起こすのだ。困った話だが、役に立つ時もある。泣き止まない赤ちゃんも、ドライブすると眠りついたりするのだ。この性質を利用して、著者は子供を寝付かせるCDを作ったのだが…
サウンド・エンジニアとしての著者の腕はなかなかのもので、某メタルバンドから、いかにもな依頼を受けている。曰く、「誰もが恐怖で金切り声をあげる」よう修正してくれ、と。著者の仕事は見事に当たり…
スタジオエンジニアが叫びながら部屋を飛び出して、私たちとは二度と一緒に働きたくないといった。
いったいどんな音だw ちなみに「『スラッシュ』というイギリスのメタルバンド」とあるが、G'N'R の Slash なのかスラッシュメタルなのか、または本当にスラッシュって名前のバンドなのか、少し調べたがわからなかった。メタルに詳しい人、教えてください。
なんいせよ、視覚によるサブリミナル効果は胡散臭いが、聴覚にうったえる手段はあるようだ。ただし本書に紹介されているのは、不愉快なものばかりだけど。そういえばキューバのアメリカ大使館に音響攻撃ってニュースがあったけど、実際はどうなんだろ?
軍事関係の話もチラホラ。昔のSFじゃギャオスをはじめ超音波は必殺兵器だったが、実際に作るとなると難しい。周波数の高い音はすぐに減衰するので、遠くまで届かないのだ。ただし役に立つ使い方もあって、尿路結石などを砕くのに使われている(→Wikipedia)。
逆に怖いのが低周波。どうも一部の幽霊の正体は、これかもしれない。ヒトの目の共鳴周波数は19ヘルツなので、同じ周波数の音が鳴り響くと、「視野の周辺部に色づいた光が見えたり、視野の中心に影のような灰色の領域が現れ」る。上手くアレンジすれば、遊園地のお化け屋敷で使えるかも。
とかもあるが、実は既に音響兵器はあった。第二次世界大戦でドイツ空軍が使ったスツーカだ。「[戦争]の心理学」に曰く、「戦闘ではより大きな音をたてたほうが勝つ」。音でビビらすだけでも、大きな効果があるのだ。どころか、鏑矢(→Wikipedia)もビビらせる効果があったとか。ホンマかいな?
など、後半は人間に関する話題が中心なので、とっつきやすいネタが多い。
対して前半は、熱気球で地上の音を拾うなど、音そのものの性質や、ウシガエルのラブコールの分析など、ちと人間から離れたネタが中心だ。中でもケッサクなのが、ニシンのコミュニケーション方法。優れた聴覚を持つが発声器官のないニシン。この矛盾は何かと思ったら…。そりゃ予想外だよなあ。
と、尻上がりに面白くなる本だった。ちと文章は硬いが、音楽が好きな人は第6章あたりから読み始めるといいかも。
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