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2018年2月20日 (火)

マーチン・ファン・クレフェルト「戦争文化論 上・下」原書房 石津朋之監訳 1

(第二次世界大戦の)ドイツ軍にとって連合国が要求する無条件降伏は新奇な話であり、ドイツ軍兵士の多くは銃殺されるのではないかと恐れた。だが、アメリカ軍にとってこれは(南北戦争のユリシーズ・)グラントの例に倣ったに過ぎない。
  ――第7章 戦争のルール

ほとんどの部族社会は、自分たちが土地を「所有している」とは考えていない。どちらかと言えば土地に自分たちが所有されていると考えている。
  ――第7章 戦争のルール

【どんな本?】

 カール・フォン・クラウゼヴィッツは戦争論(→Wikipedia)で主張した。「戦争は政治の延長だ」と。特定地域や資源の支配権などで、幾つかの国家間の交渉が話し合いで決着がつかない時に、軍事力即ち暴力によって強引に解決しようとするのが戦争の原因である、と。つまりは血も涙もない損得勘定だ。

 だが、歴史上の戦争の記述や現実の軍隊、そして私たちの暮らしの中にも、この理屈には合わない事柄がたくさんある。

 例えば、戦争物の物語では、戦士たちの壮麗な姿が描かれる。剣や鎧はピカピカに磨かれ、盾には華麗な装飾が施される。騎士が乗る馬すら、刺繍を施された被り物をしている。洋の東西を問わず、戦場に赴く戦士たちは華々しく着飾る。

 一般にプロが用いる道具は武骨で不愛想なものだ。自動車整備工が使うドライバーやスパナ、大工が使う鋸やカンナ、板前が使う包丁。きれいに磨かれてはいても、握りに余計な装飾はつけない。では、なぜ戦士たちは無駄に着飾るのだろうか? どうせ血や泥で汚れるのに。

 これが物語の中だけなら、お話を盛り上げる演出で片づけられるかもしれない。だが、21世紀の現代においても、奇妙な事柄は沢山ある。例えば北朝鮮の軍事パレードだ。

 行進する兵は、膝を曲げず足をピンと伸ばしている。見世物としては面白いが、彼らはサーカスじゃない。実際の戦闘で、あんなケッタイな歩き方をするわけじゃあるまい。では、何のために彼らは奇妙な歩き方をするのだろう?

 名著「補給戦」を著したイスラエルの歴史家マーチン・ファン・クレフェルトが、クラウゼヴィッツの戦争論に毅然と異を唱え、豊富な資料を元に戦争の原因や軍の性質と存在意義を考察し、現代における戦争や将来の展望を示す、21世紀の戦争論。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Culture of War, by Martin van Creveld, 2008。日本語版は2010年9月7日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文それぞれ約371頁+243頁=614頁に加え、監訳者の石津朋之による解説「人類は戦争に魅了されている? 戦争と文化」が豪華25頁。

 9.5ポイント43字×18行×(371頁+243頁)=475,236字、400字詰め原稿用紙で約1,189枚。文庫本なら厚めの上下巻か薄めの上中下巻ぐらいの大容量。

 「補給戦」に比べると、文章はかなりこなれている。が、相変わらず内容は高度だ。主に西洋を中心とした歴史上の有名な戦いに加え、旧約聖書や「イリアス」など古典文学の引用も多く、読みこなすには相当の教養を要求される。

【構成は?】

 原則として前の章を受けて後の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。先に書いたように、読みこなすには歴史と古典の素養が要るけど、わからない所は読み飛ばそう。というか、私は読み飛ばした。でも大丈夫。それでも著者の主張は充分に伝わってくる。

  •   上巻
  • 日本語版への序文
  • はじめに
  • 第一部 戦争に備える
    • 第1章 ウォーペイントからタイガースーツまで
    • 第2章 ブーメランから城塞まで
    • 第3章 軍人を養成する
    • 第4章 戦争のゲーム性
  • 第二部 戦争と戦闘において
    • 第5章 口火となる言葉(行動)
    • 第6章 戦闘の楽しみ
    • 第7章 戦争のルール
    • 第8章 戦争を終わらせる
  • 第三部 戦争を記念する
    • 第9章 歴史と戦争
    • 第10章 文学と戦争
    • 第11章 芸術と戦争
    • 第12章 戦争記念碑
  •   下巻
  • 第四部 戦争のない世界?
    • 第13章 平和だった時期はほとんどない
    • 第14章 大規模戦争の消滅
    • 第15章 常識が通用しない
    • 第16章 ヒトはどこへ向かうのか?
  • 第五部 戦争文化を持たぬ世界
    • 第17章 野蛮な集団
    • 第18章 魂のない機械
    • 第19章 気概をなくした男たち
    • 第20章 フェミニズム
  • 結び 大きなパラドックス
  • 謝辞
  • 解説 「人類は戦争に魅了されている? 戦争と文化」石津朋之
  • 原注/索引

【感想は?】

 クレフェルト教授、全方位に喧嘩売りまくり。

 なんたって、冒頭の「はじめに」から、この世界じゃ最も有名なクラウゼヴィッツ「戦争論」の引用から始まるんだが…

理論的に考えれば、戦争は目的を達成する一つの手段である。野蛮ではあるが、ある集団の利益を図ることを意図して、その集団と対立する人々を殺し、傷つけ、あるいは他の手段で無力化する合理的な活動である。

 うんうん、そんな事を言ってたよね、と思ったら、これに続くのが…

だが、この考えは見当違いもはなはだしい。

 と、天下のクラウゼヴィッツ御大に開始ゴング早々、右ストレートをブチ込むのだ。でも油断しちゃいけない。「おおスゲぇ、痛快だぜ」などと喜んでると、いきなり振り向いて軍人や軍ヲタにケリを放ってくる。

他の文化同様、戦争に関わる文化の大部分は「無用の」行為、飾り、あらゆる虚飾である。
  ――はじめに

 ヲタクは道楽でやってるんだから無用と言われても仕方がない、というか道楽なんて本来そういうものだが、国を守るため命を懸けている職業軍人まで虚飾と言い切る度胸はたいしたもの。

 とか書くと、ただの過激派みたいだが、なにせ博覧強記のクレフェルト教授だ。ある意味そこらの過激派よりよほど過激な事を言ってる本なんだが、その土台となる知識と教養の広さ、そこから生み出される思索の深さは、ニワカとはいえ軍ヲタの私が持つ違和感や矛盾を容赦なく突いてくる。

 私は戦争に反対だ。だが、戦争関係の本や映画や大好きだ。そういう矛盾を抱えているのは、私だけじゃない。例えば映画監督のスティーヴン・スピルバーグ。リベラルな彼だが、映画「プライベート・ライアン」では、彼の突き抜けた軍ヲタぶりを見せつけた。

 本や映画ばかりではない。ゲームだって、戦争物・戦闘物は花盛りだ。というか、バトルのないゲームの方が少ないだろう。では、ゲームとは何か。

遊ぶとき、我々は一つのゲームに没頭している。ゲームは何か他の目的のためではなくやりたいからやる活動、と定義されるかもしれない。
  ――第4章 戦争のゲーム性

 そう、ゲームは楽しいのだ。これがモニタの中に留まっていればともかく、現実世界にまで飛び出すと、更に楽しみが増すのはポケモンGOが証明している。まあポケモンなら平和なもので、稀に不届きな輩が自動車の運転中に遊んで事故を起こすぐらいで済んでいる。

 事故で亡くなっている人もいるのに不謹慎な、と思う人もいるだろうが、現実はもっとおぞましい。というのも、湾岸戦争やイラク戦争では、多くの人がテレビの画面に釘付けになった。夜空を飛び交う曳光弾の下では、数百・数千・数万の人々が命を失っているのに。

 なぜ私たちは、戦争の中継に夢中になってかじりつくのか。

 そして、先に書いたように、戦士たちは着飾る。往々にして、それは実用性を遥かに超え、どころか戦いの邪魔になるまで装飾は発達する。

伝説によると19世紀末、イギリス海軍の連中は砲を野蛮なものとみなしていた。発射すると戦艦の塗装にひびが入るからというのがその理由だった。
  ――第2章 ブーメランから城塞まで

 「俺の可愛い○○が傷つくから戦争を止めろ」と叫ぶのは、無責任な軍ヲタだけではないらしい。こういった装飾には、ハッタリの意味もある、と著者も語っている。確かにみすぼらしい格好をしていると、カッコいい者に気おされる部分は確かにある。が、それだけじゃない。

 こういった疑問に、著者は恐ろしい解を示す。

戦争は究極のゲームなのだ。
  ――第4章 戦争のゲーム性

 と。そしてゲームとは、「やりたいからやる活動」だ。私たちは戦争をしたいのだ。平野耕太の漫画「HELLSING」の少佐は、私たちの本音を語っているのだ。遠くで眺めているだけならともかく、実際に従軍したら違うだろうって? うんにゃ。

戦争はごめんだと口で言いながらも、「すごく楽しかった」、「戦争したい」と心から思っているもう一人の自分がいるのだ。
  ――第6章 戦闘の楽しみ

 そう語る従軍経験者も多い。私たちは、戦争が好き、どころではない、大好きなのだ。他の何にも代えがたいほどに。

 次の記事に続きます。

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