マーチン・ファン・クレフェルト「戦争文化論 上・下」原書房 石津朋之監訳 2
作家にとって実体験は作品を書く上で大変貴重なものだと言われている。その一方で、歴史家にはよくあることだが、作家に戦争体験があるかどうかということと、読者に戦争がどんなものかわからせる能力との間に直接的なつながりがないことは、驚くべき事実である。
――第10章 文学と戦争世論とは、大砲の餌食となる雑兵を提供しなければならない人々の意見という意味である。
――第11章 芸術と戦争2001年、アメリカ合衆国で交通事故により死亡した人の数は、9.11アメリカ同時多発テロ事件の犠牲者の15倍だった。
――第16章 ヒトはどこへ向かうのか?彼ら(=第二次世界大戦を研究した歴史家たち)の結論は、責任者である上級司令官を除いて、指揮官の性格は勝敗には大して関係なかったということである。軍公認のさまざまな公刊戦争史の結論も同じである。
――第16章 ヒトはどこへ向かうのか?軍は何のために存在しているのかという本質を忘れ、「軍を飾る」ことを優先させると、その国の存在は危うくなる。
――第18章 魂のない機械何はさておき、男たちが戦争文化を作った重要な理由には、女性に自分たちの武威を強く印象付けたいということもあった。
――第20章 フェミニズム
マーチン・ファン・クレフェルト「戦争文化論 上・下」原書房 石津朋之監訳 1 から続く。
【諸君 私は戦争が好きだ】
「ヒトは損得勘定で戦争するんじゃない、好きでやってる」。そういうおぞましい現実を読者に突きつけるのが、この本だ。
実際、戦争は強い印象を残す。学校で学んだ歴史でも、覚えているのはほとんど戦争ばかりだ。平和な時代は記憶に残らないし、映画やドラマにもなりにくい。これは学者も同じらしく…
世界ではじめて歴史書が著されたときから、戦争はつねに大きな割合を占め、しばしばその中心となっている。
――第9章 歴史と戦争19世紀ドイツの歴史学者ハインリヒ・フォン・トライチュケ(→Wikipedia)
「平和な時期があると歴史書に空白のページができてしまう」
――第9章 歴史と戦争
なんて事を言ってる。
そしてヒトは戦争を文化へと育ててきた。上巻では、平時における戦争文化、戦争の始まり・戦闘中・終戦に見られる文化、戦後の戦争文化を語る。下巻では、まず第二次世界大戦以降の戦争文化を、そして戦争文化を失ったケースを考察する。
これらを博覧強記な著者が、古今東西の例をひいて裏付けしてゆく。
特に上巻に出てくる具体例は、一般の人にとっては退屈だろうが、軍ヲタにとってはなかなか美味しい素材だったり。なんか不自然に日本の例が多いような気がするが、これは読者サービスなんだろうか。まるで日本人がどうしようもない戦闘民族みたいじゃないかw
【そして現在】
主に歴史上の記述が多い上巻に対し、下巻では現在の話が多い。それだけ生臭くもあり、生々しくもあり。
大きな趨勢としては、大国間の衝突が減った反面、国家の体をなしていない組織との戦いが増えた。大国間の衝突が減った理由が、これまたみもふたもない。
核兵器の拡散が、大国間における大規模戦争がほぼなくなった理由、おそらく唯一の理由であることは間違いない。
――第15章 常識が通用しない
お互い核の恐怖で手を出せなくなった、というわけ。確かにそういう部分はあるんだが、これがいつまでも続くって保証はないんだよなあ。
対して内戦や紛争など、国家ではない組織が関わる戦争が増えた理由も…
我々が目にしているものは、新しい形の混乱が生じているということではなく、昔もあった混乱への回帰である。
――第15章 常識が通用しない
と、ここでもクレフェルト教授は容赦ない。実際、今のシリアの混乱も、「知恵の七柱」あたりを読むと、あの辺は昔からそうだったんだね、と納得しちゃったり。
【各国の事情】
では戦争文化がなければどうなるか。ここで怖いのは「第17章 野蛮な集団」。例として挙げているのがユーゴスラヴィア内戦だ。これについては「ボスニア内戦」の迫力が凄い。つまりはチンピラや山賊の跳梁跋扈だ。
続く「第18章 魂のない機械」では、ドイツ連邦国防軍の事情が、日本の自衛隊とカブって、何かと複雑な気分になる。軍は必要だけど、悪役であるナチス時代を思い出させるモノやコトはマズい。ってんで、旗や記章のデザインに苦労してたり。
その後の「第19章 気概をなくした男たち」では、ユダヤ人の例を挙げてるんだが、ここはどうにも説得力がない。というのも、イスラエル独立以降のイスラエル国防軍の実績を見れば、彼らが無類の戦士集団としか思えないし。
ちなみにイスラエルの核についてもムニャムニャしてるが、結論としては「皆さんのご想像通り」らしい。
【物言い】
ただし、一つ文句を言いたい所が。
「第16章 ヒトはどこへ向かうのか?」で、1945年以降に出版された戦争の記録として、三つを挙げている。第一は各国軍による公刊戦争史や歴史家による通史。次に兵站・諜報・経済など、戦闘以外の分野を絡めたもの。そして第三が、前線の兵に焦点をあてたもの。
この第三について、「1990年代後半まで待たなければならなかった」としてアントニー・ビーヴァーの「スターリングラード」と「ベルリン陥落」を挙げている。
これに文句を言いたい。ジャーナリストの著作を無視しないでくれ、と。コーネリアス・ライアンの「史上最大の作戦」,ジョン・トーランドの「バルジ大作戦」,そしてラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエールの「パリは燃えているか?」「おおエルサレム!」。
1950年代末~1970年代の出版物だが、前線の兵や戦場にいた市民の目を通し、戦争の実態を立体的に再現しようとする力作だ。トーランド以外は歴史家じゃないが、一級品の資料だろう。
【最後に】
とか文句を言っちゃいるが、歯に衣着せぬ論説は恐ろしくもあり、痛快でもあり。一見、戦争を賛美しているかのように思えるかもしれないが、決してそれほど単純な本じゃない。
戦争を厭い平和を守りたいと思う人ほど、この本を読む価値がある。この本が正しければ、民主主義は戦争を防げない。ヒトが戦争を好むのなら、民意で動く民主主義国家こそ危ないのだ。
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