デーヴ・グロスマン,ローレン・W・クリステンセン「[戦争]の心理学 人間における戦闘のメカニズム」二見書房 安原和見訳 3
送り込まれる兵士のうち、100人に10人は足手まといです。80人は標的になっているだけです。9人はまともな兵士で、戦争をするのはこの9人です。残りのひとりですが、これは戦士です。このひとりがほかの者を連れて帰ってくるのです。
――第十四章 盾を帯びた現代の勇士2002年、アンソニー・ハリスらマサチューセッツ大学およびハーヴァード大学の研究チームが、<殺人事件研究>誌に画期的な研究論文を発表した。それによると、1970年以来の医療技術の進歩が、殺人事件のおよそ3/4を阻止しているという。
――第十六章 戦闘の進化と国内の暴力犯罪私は司法省司法統計部のデータを見せた。このデータによれば、第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム、湾岸戦争の帰還兵は、同じ年齢性別の非帰還兵よりも投獄される割合が低い。
――第十六章 戦闘の進化と国内の暴力犯罪
デーヴ・グロスマン,ローレン・W・クリステンセン「[戦争]の心理学 人間における戦闘のメカニズム」二見書房 安原和見訳 2 から続く。
【戦いの直後】
戦っている最中、ヒトは興奮してケダモノになる。その後、どう変わるんだろうか?
自分は生きているという大きな喜びがわきあがってくる。
――第十三章 殺す決断
そう、まず嬉しくなるのだ。それは生き延びたからだが、これを殺しの快感と勘違いする者もいる。彼らはソレを求め再び戦場へ戻ろうとする。「戦場の掟」で描かれた傭兵たちの一部は、その典型だろう。
その後、落ち着いてくると、「人が死んでるのに喜んでる俺は変だ」と考える人もいる。そして、自分を責めてしまう。これも、ありがちな現象である。前の記事にも書いたが、「暴力的な状況というストレスにさらされると、そこで起きたことは自分のせいだと思い込みやすい」のだ。
太平洋で戦った帝国陸海軍の将兵も、生きて帰った事で、亡くなった戦友への罪悪感を抱える人が多い。これも、そういう事なんだろう。
【デブリーフィング】
繰り返すが、戦闘中のヒトは興奮してケダモノになっている。だから、記憶も怪しい。そこで著者のお薦めは、「危機的事件後報告会」だ。
その場に居合わせた者が集まり、事件を再構成するのである。特に軍の場合は、各将兵の言い分が異なっている場合が多い。みんな自分のせいだと思って、「あの時俺がこうしてれば…」みたいな気持ちを抱えてたりする。
が、そんな記憶の多くは、思い違いの可能性が高い。興奮している時の記憶はアテにならない。自責の念のあまり、記憶をねつ造していた例が、本書では何回も出てくる。そういった自責の念や記憶の捏造が、よくある現象だと参加者に教えるのも大切な事だ。そして…
心的外傷の後遺症にまだ苦しんでいるときに、自分は正常だと感じるためには、その症状を病気だと思ってはいけないということだ。外的な脅威に対する正常な反応だと思わなくてはならないのである。
――第十九章 PTSD
そう、異常なのは本人ではない。彼が放り込まれた状況が異常なのだ。彼の反応は、異常な状況に対する適切な反応なのだ。たとえそれがクソを漏らす事であっても。
日本にも戦友会があるが、その目的の一つが、これなのかな、と思ったり。抱えた傷みを癒す適切な手段を、本能的に見つけたんじゃないか、と考えてしまう。
ちなみに、戦闘を経た直後に、あっちの方がお盛んになるのも、よくある話だとか。中世の戦争じゃ軍に娼婦がついて回ったのは、そういう事なんだろう。
【周囲にできること】
とはいえ、報告会だのアドバイスだのは、現場に居合わせた人やプロでなきゃ難しい。では、家族や友人が戦いの後遺症で苦しんでいる場合、何ができるんだろう?
個人個人としてまた社会全体として、帰還兵に差し出すことのできる重要な贈り物は三つある。それは「理解、肯定、支援」である。
――第二十二章 帰還兵にかける言葉、生き残った者にかける言葉
マズいのは、興味本位でしつこく尋ねたり、精神科医気取りで分析する事だ。あまり言いたかないが、私はこういう無神経な真似をやらかした経験がある。今から思えば、とんでもなく失礼な事をやらかしたもんだ。
言っていいのは、「あなたが無事でとてもうれしい」とか「心配したよ、無事でよかった」ぐらいだとか。そういう声をかけられるのは家族や恋人や親友ぐらいで、あまり親しくない人に対しては難しい。とりあえず、素人としては、黙って聞くぐらいしかなさそうだなあ。
この辺は「戦争ストレスと神経症」や「心的外傷と回復」が参考になるかも。
【その他】
他にも興味深いエピソードはたくさん載っている。例えば…
それまでおとなしかった容疑者が、手錠の音を耳にしたとたんに激しい感情的な反応を見せることがある。
――第三章 交感神経系と副交感神経系
なんて話。手錠で大人しくなるのかと思ったが、反対なのだ。警官の方は暴漢を捕まえてホッとし、アドレナリンの波がひいて脱力しているが、暴漢の方は手錠でアドレナリンが吹き出しケダモノに変わる。警官は最後まで気を抜いちゃいけないのだ。残心ってのは、この事なのかも…と思ったら。
銃弾によって心臓が止まることはあるが、そのあとでも五秒から七秒は命があるそうだ。
――第十二章 銃弾を食らっても戦いつづける
やはりそうだったか。戦場から命がけで持ち帰った教訓なんだなあ。
やはり面白いのが、フットボール選手の話。彼らは学業の試験で不利なのだ。
彼らは、試合に臨む際、心拍数が増えるよう叩きこまれている。その方がパワーが出るからだ。これが試験では裏目に出る。試合は「ここ一番の勝負」だ。それは学業の試験も同じだ。だから、彼らは試験開始のベルと共に、心臓が張り切りだす。
すると不器用になって字が巧く書けなくなり、視野が狭くなって長い文章が理解できなくなり、落ち着いて考える事もできなくなる。かくして試験の結果は…。
スポーツだと、打撃の神様こと川上哲治の「ボールが止まって見えた」って話は、まんざらホラじゃないらしい。時間がゆっくり進む現象を、「銃撃戦に巻き込まれた警察官の65%が経験している」。加えて「ものが異常に鮮明に見える」現象もあるとか。
と思って WIkipedia を見たら、「ボールが止まって見えた」と話したのは川上哲治じゃなかった。
最近は悪質なあおり運転が話題になっている。あれ、高価な車だと被害にあいにくいようだ。連中は相手を見て仕掛けるらしい。これば暴力犯罪でも同じで、暴力犯の「圧倒的多数が、被害者は意識的に選択する」。「覇気のない歩きかた、受動的な態度、注意力散漫」な者を狙う。
また、こんな話もある。著者の一人クリステンセンは、ネオナチによる数十の暴力事件を調べた。が、「ひとりで人を襲ったという事件はただの一件もなかった」。クリステンセン曰く「ひとりじゃなんにもできないんだ」。やっぱりね。
【その他】
などと、興味深いネタが山盛りで入っている。野次馬根性で読むもよし、苦しむ人を楽にするため真面目に読んでもいい。軍ヲタ向けの本だが、読み方によって幾らでも応用が効く。ヲタクに独占させるには惜しい労作にして名著。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:軍事/外交」カテゴリの記事
- マーチイン・ファン・クレフェルト「戦争の変遷」原書房 石津朋之監訳(2024.10.04)
- イアン・カーショー「ナチ・ドイツの終焉 1944-45」白水社 宮下嶺夫訳,小原淳解説(2024.08.19)
- ジョン・キーガン「戦略の歴史 抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで」心交社 遠藤利国訳(2024.07.07)
- ジョン・キーガン「戦争と人間の歴史 人間はなぜ戦争をするのか?」刀水書房 井上堯裕訳(2024.06.13)
コメント