アルフレッド・W・クロスビー「数量化革命 ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生」紀伊国屋書店 小沢千重子訳
スコラ学者が考案した諸々のシステムの中で、おそらく最も革命的で有用だったのは、書物の内容を小分けにして示す目次というシステムだろう。
――第3章 「数量化」の加速計測という行為は物事を数字によって表現することであり、数字を処理するという行為は数学にほかならない。
――第6章 数学もちろん、黙読した者はほかにもいたが――ユリウス・カエサルはこの技を使って恋文をひそかに読み、聖アウグスティヌスはパウロ書簡を声を出さずに読んだ――当時はぶつぶつ呟きながら書き、声高らかに朗読するのが普通だった。
――第7章 視覚化するということ実際、ルネサンス期の画家たちは時として、目と対象の間に垂直にガラス板を置き、その上に直接対象を写しとっていた。
――第9章 絵画ウイリアム・トムソン、ケルヴィン卿(1891年)「自分が話していることを計測し、それを数字で表現できるのであれば、それについて何かを理解しているといえる。だが、自分で話していることを計測できなかったり、数字で表現できないような場合は、それを申し分なく十分に理解しているとは言えない」
――第3部 エピローグ
【どんな本?】
現在の世界は、ヨーロッパ、それも西ヨーロッパの文化が覇権を握っている。なぜ西欧がこれほどまでに成功したのだろうか。なぜ中国やアラブではなかったのだろうか。
この理由を、著者はマンタリテ、精神構造やものの考え方にある、とする。13世紀から16世紀にかけて、西欧では、それまでとは異なった世界観や発想法が生まれ育ち、現代人の精神構造を形づくる基礎が生まれてきた。これらの世界観や発想法が基となり、様々な技術・技法や制度が出現したのだ、と。
暦・地図・音楽・絵画・簿記など個々の分野につていて、それぞれの起源と変遷をたどり、この時代に導入された技法・手法を解説し、その奥にある精神性の変化を探る、一般向けの歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Measure of Reality : Quantification and Western Society 1250-1600, by Alfred W. Crosby, 1997。日本語版は2003年11月1日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約296頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント43字×18行×296頁=約229,104字、400字詰め原稿用紙で約573枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、西欧史に詳しいと更に楽しめるだろう。
【構成は?】
第1章~第3章までは、素直に頭から読んだ方がいい。それ以降は、面白そうな部分をつまみ食いしてもいいだろう。
- まえがき
- 第1部 数量化という革命 汎測量術(パントメトリー)の誕生
- 第1章 数量化するということ
- 第2章 「敬うべきモデル」 旧来の世界像
- 第3章 「数量化」の加速
- 第4章 時間 機械時計と暦
- 第5章 空間 地図・海図と天文学
- 第6章 数学
- 第2部 視覚化 革命の十分条件
- 第7章 視覚化するということ
- 第8章 音楽
- 第9章 絵画
- 第10章 簿記
- 第3部 エピローグ
- 第11章 「新しいモデル」
- 訳者あとがき/註/人名索引
【感想は?】
今も昔も、人間には変わらない所がある。そして、時代と共に変わる所もある。
この本は、変わった部分にスポットを当てた本だ。私たちが当たり前だと思っている事柄が、実は最近になって取り入れられた事だと知るのは、ちょっとしたショックでもある。
例えば時間の捉え方。「秋の夜長」なんて言葉があるが、現代人にはちとピンとこない。こないのも当たり前なのだ。現代人にとって、昼も夜も1時間は1時間である。流れる時間の幅そのものは変わらない。が、これは、時間を測る時計なんてシロモノがあるからできる芸当で、昔はそんなモノはない。
じゃどうするかというと。まず一日を昼と夜に分ける。そして昼と夜それぞれを更に12分割する。その結果、夏は昼が長く、冬は夜が長くなる。いわゆる不定時法だ。これは昔の日本も同じだね。いずれにせよ、同じ「1時間」でも、季節によって長さが違ったわけ。
これが、機械式の時計の出現によって、1時間の長さが固定されてしまう。凄まじい変化だが、西洋はこの変化を積極的に受け入れてゆく。当時の時計は巨大で値も張ったが、多くの都市が住民から税を取ってでも時計塔を作ってゆく。
対して日本も機械式の時計はあったんだが、不定時報法に合わせたカラクリだったとか。こういう、新技術に社会を合わせるか、社会に技術を合わせるかの違いは、今でも残ってるんだよなあ。そう思いませんか、事務系の情報システムの開発・保守を担当してる人。Excel方眼紙なんて奇矯なのもあるし。
書法も大きく変わった。今は単語を空白で区切るが、昔は「読みやすさなどおかまいなしに、自分に都合のよいところ」に空白を入れていた。段落も句読点もなし。古文書を読むってのは、大変な仕事なんだなあ、と思うと同時に、今の小うるさい作文作法の歴史の浅さを思い知ったり。
書き方だけでなく、読み方も変わってくる。昔は声に出して読むのが普通で、そのため「修道院などの写字室や図書室は静謐な場というにはほど遠く、騒々しいほどだった」。今でも文章を読む時に脳内で声が聞こえる人が多いとか。いいなあ。そういう人は、あっふんな作品をより楽しめて←をい
実はこの黙読、当時はかなり危険な技術だって指摘が鋭い。だって、図書室であっふんな本を音読したら、すぐにバレちゃうし。
絵画の世界では、遠近法が革命を起こす。それまでは重要性に応じて登場人物の大きさが決まったのに対し、遠くの人は小さく近い人は大きく描くようになる。このサイズの調整に、数学が深く関わっているのが面白い。適切な大きさを決めるのに、数学が必要になるのだ。
とはいえ、計算はなかなか難しい。そこで補助線を引いちまえ、と考える人も出てくるのが楽しい所。床をタイル張りにすれば、タイルの格子が遠近法の補助線になる。おかげで…
洗礼者ヨハネを荒野の中でタイルの舗床に立たせたり、ベツレヘムの馬小屋にタイル張りの床を描いている。
なんて、しょうもない奴まで出てくる始末。わはは。
そして、とどめがルカ・パチョーリ(→Wikipedia)による複式簿記だ。それまでの帳簿はかなりフリーダムで、たとえば…
14世紀には収入を帳簿の前の方に、支出を後ろの方に記帳するのが通例だったので、これらの項目を比較するのは容易ではなかった。
と、まさしく覚え書き程度の機能しかなかったのだ。だがら、今の自分がどれぐらいの財産や負債があるかハッキリわからない。ばかりか、決算って発想もないから、今年どれぐらい儲かったもかもわからない。これに共同出資の事業なんてのが絡んだら、稼ぎをどう分配すりゃいいのか、見当もつかない。
ってな混乱状況を、複式簿記が変えてゆく。お陰で商人は事業の様子が見えるようになった。たぶん、これが株式会社の礎になったんだろうなあ。もっとも、お陰で今は事業税や法人税なんてのが出来ちゃったけど。
などと、ヒトが現実をどう見るかってのが、ダイナミックに変わってきた事がわかるのが楽しいし、数秘術なんて形で、昔の考え方が今でも生き残ってるのも面白い。
SF者としても、たかだか千年ほどでヒトの世界観がこれだけ変わるんだから、今後も大きく変わるんだろうなあ、なんて考えるのもワクワクする。ちと歯ごたえはあるが、それだけの味わいもある本だった。
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