佐原徹哉「国際社会と現代史 ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化」有志舎
本書はボスニア内戦の残虐行為を分析したものである。
――ボスニア内戦と民族浄化 はじめに1980年代に入るとインフレは異常なペースでエスカレートし、1987年には遂に三桁を超え、1989年には四桁に達し、この年の年末には2600%にまでなった。
――Ⅲ 冷戦からグローバリゼーションへ問題の本質は、民族主義者が権力を握ったことではない。選挙そのものが連邦の憲法秩序から外れた形で行われたため、法の支配が崩壊した点こそが重要であった。そして、法の支配の崩壊により、恣意的な力の行使の余地が際限なく広がっていった。
――Ⅳ ユーゴ解体 「グローバリゼーション」の戦争「ユーゴスラヴィアの戦争は、数年前にひとりの罪もないセルビア人の農夫の尻の穴から始まった」
――Ⅴ 内戦勃発ボスニア内戦は、異なる価値観を持つ民族集団同士の「殺し合い」ではなく、同じ価値観と行動規範を持つ「市民」が混乱状態のなかで、互いのなかに他者を見出そうとした現象であった。
――Ⅵ 民族浄化ジェノサイドは特定の集団の選択的抹殺であり、その対象を自覚することも集団への帰属意識を生み出すからである。
――Ⅶ ジェノサイド民兵たちが自由に活動できた理由の一つは、独自の資金源を持っていたことにある。アルカンやシェシェリの部隊はセルビア共和国政府から資金援助を受けていたとみられるが、多くの民兵は略奪を資金源としていた。
――Ⅷ ボスニア内戦のメカニズムヴィシェグラードのセルビア人権力は、ルキッチ一味の残虐行為を黙認しただけでなく、積極的に利用していたふしすらある。
――Ⅷ ボスニア内戦のメカニズム
【どんな本?】
東欧崩壊に続くユーゴスラヴィア解体に伴い、スロベニアやクロアチアなど元ユーゴ内の共和国が独立を果たす。その中でも注目を集めたのがボスニアの内戦であり、NATOが介入しながらも、1992年から1995年まで戦いは続き、人々が殺し合うショッキングで凄惨なニュースが続々と流れた。
クロアチア人・セルビア人・ボスニア人の三者が入り乱れ、誰が被害者で誰が加害者か分からぬまま、NATOなどの国際社会は軍事介入に踏み切った。
しかし、本当の悪は誰なのか。なぜ市民同士が殺し合う泥沼状態に陥ったのか。そのような形で殺し合いへとエスカレートしていったのか。そして、マスコミが取り上げた「民族浄化」とか、いかなるもので、「ジェノサイド」とは何が違うのか。
本書では、中世からユーゴスラアヴィアの歴史を解き起こし、第一次世界大戦・第二次世界大戦・冷戦そして東欧崩壊へと続く歴史の流れの中で、クロアチア人・セルビア人・ボスニア人それぞれが民族意識を形づくる過程を丹念に追い、それが暴力的な対立へと変わってゆく様子を描きだす。
内戦が起きるしくみのモデル・ケースとして、それが虐殺へと変わってゆくプロセスの分析として、そして人が形づくる社会の危うさの警告として。
重く憂鬱な記述が多いながら、内戦発生のメカニズムの分析として示唆の多い現代史の研究書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2008年3月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約407頁。9ポイント46字×18行×407頁=約336,996字、400字詰め原稿用紙で約843枚。文庫本なら厚めの一冊か薄めの上下巻の分量。
文章は専門書らしくやや堅い。が、様々な勢力が複雑に絡み合っているわりに、意外と分かり易い。バルカン半島の歴史を全く知らない私だが、歴史的な事情や社会的な産業・権力構造を初心者向けに丁寧に説明しているので、頭に入りやすい構成になっている。
ただし、ヘルチェゴビナなどの地名が、どの辺なのかを地図などで示してくれるとありがたかった。「ググレカス」と言われれば、それまでなんだが。
【構成は?】
歴史的経緯から順々に説き起こしているので、素直に頭から読もう。
- ボスニア内戦と民族浄化 はじめに
- Ⅰ ボスニア内戦の歴史的背景
- 一 ボスニアにおける民族意識の出現
- 二 ユーゴスラヴ統一主義の実験
- Ⅱ 虐殺の記憶
- 一 第二次世界戦争と民族的暴力の爆発
- 二 ウスタシャによるジェノサイド
- 三 パルチザン運動の勝利
- 四 「パンドラの箱」の封印
- Ⅲ 冷戦からグローバリゼーションへ
- 一 ユーゴスラヴィア社会主義連邦の存立要件
- 二 民族問題の構図
- 三 クロアチアの「マスポク」
- 四 繁栄の頂点としての1970年代
- 五 連邦解体のメカニズム
- 六 スロボタン・ミロシェヴィチとセルビア民族主義
- 七 ボスニア政界の混迷
- Ⅳ ユーゴ解体 「グローバリゼーション」の戦争
- 一 複数政党選挙と法と秩序の崩壊
- 二 ボスニアにおけるシステムの崩壊
- 三 連邦諸制度の解体
- 四 クロアチア戦争とユーゴ解体
- Ⅴ 内戦勃発
- 一 ジェノサイドの政治利用
- 二 内戦の準備
- 三 内戦前夜
- 四 戦争勃発
- 五 内戦の概要
- Ⅵ 民族浄化
- 一 内戦とジェノサイド言説
- 二 セルビア人の残虐行為
- 三 クロアチア人の残虐行為
- 四 ボスニア人の残虐行為
- 五 民族浄化の本質
- Ⅶ ジェノサイド
- 一 スレブレニツァ事件とジェノサイド
- 二 スレブレニツァのボスニア人とセルビア人
- 三 ジェノサイドの開始
- 四 虐殺
- Ⅷ ボスニア内戦のメカニズム
- 一 「殺し合う市民」と他者への恐怖
- 二 メジュゴーリエの小戦争
- 三 内戦と組織犯罪者
- 四 民兵と脱階級者たち
- 五 民兵と「普通の市民」たち
- 六 カオスの民族化
- あとがきにかえて
戦後のボスニアとジェノサイド言説 - 注記/索引
【感想は?】
恐ろしい本だ。何が怖いって、人々が殺し合いに向かう道筋が、とっても分かり易いのが怖い。
この本を読むと、ボスニアで内戦と虐殺が起きたのが必然と思えてくる。むしろ、ハンガリーやブルガリアなどの東欧諸国が内戦にならなかったのが奇蹟に感じてしまう。
ボスニア内戦はクロアチア人・セルビア人・ボスニア人の三つ巴の戦いになった。違いは民族というか宗教で、クロアチア人=カソリック,セルビア人=東方正教,ボスニア人=イスラムとなる。他にもロマとかがいるんだが、大雑把には宗教の違いだ。
第一次世界大戦ではクロアチアとムスリムがドイツ・オーストリア側、セルビア人が協商国につき、クロアチア&ムスリムがセルビア人を虐殺する。
第二次世界大戦ではドイツに占領され、ここでも虐殺が繰り返される。クロアチアの極右ウスタシャはドイツに協力してセルビア人を殺し、セルビアの抵抗組織チュトニクはクロアチア人&ムスリムを殺す。ただし最終的に権力を握ったのはチトー(→Wikipedia)を中心とした共産系パルチザン。
冷戦期は米ソの狭間でバランスを取りつつ、チトーの威光で民族間の対立を押さえ、ユーゴスラヴィア連邦の力が強く、共産主義色が色濃く出た社会を作ってゆく。
そんなわけで、もともと、歴史を掘れば互いの間に積もる恨みがあったんだが、チトーが力で抑えて共存を押し付けてたわけ。それでも戦後数十年もたてば世代も変わり、それなりに仲良くやってたんだ。
だがチトーの死後は、権力が移り始める。ベオグラードの連邦政府の力が弱まり、そのメンバーである共和国や自治州が力をつけてゆく。問題は、それぞれの共和国や自治州も共産主義的な社会だってこと。民間企業は自主管理企業で、企業の人事にも政府の意向が強く出る。
つまりは権力が政府に集中してて、政府のコネがありゃやりたい放題な体制なわけ。健康保険や育児手当も職場を通して配るんで、気に入らん奴はクビにすりゃ食い詰める。転職しようにも政府のお偉方に睨まれりゃ職はない。
この状態で中央集権から地方分権へと動いた結果、地域を牛耳るボスが力をつけて、軍事的にも共和国や自治州が独自に武装し始める。
それでも景気が良けりゃうまいこと回ってたんだが、1980年頃から景気が悪くなり、1987年のアグロコメルツ社の焦げ付きで大騒ぎになる。社の主人フィクレト・アブディチは事業銀行の企業長も兼ね、そこから多額の手形を引き出している。これが、どれだけデカい騒ぎかっつーと。
この年(1987年)の上半期だけでも輸出によって4400万ドルを稼いでおり、これはボスニア全体の輸出総額の75%に相当した。
日本のトヨタ以上の影響力だ。そのトヨタにしたって、社長はトヨタの都合で決まるんであって、愛知県が口出しする筋合いじゃない。が、ユーゴスラヴィアは政府が社長を決める体制なわけで、となりゃ誰が政権を握るかが市民の暮らしを大きく左右する。
ボスニアは三民族+αが混在してるが、各地域ごとに民族の濃淡がある。ここで、各地域ごとに、それぞれの人口の割合に応じて権力を分配しよう、そんな案が出たから、大変な事になった。
例えば。クロアチア人とセルビア人が拮抗している所で、クロアチア人が権力を握りたければ、どうすればいいか。簡単だ。セルビア人を殺しつくせばいい。そうすれば、クロアチア人が人口で多数を占め、権力も独占できる。
もともと歴史的に民族間の恨みが眠ってる所に、チトーの抑えが亡くなり、権力の餌がぶら下がった上に、民族主義者共が恐怖を煽る。「奴らは俺たちを殺したがっている、殺らなきゃ殺られるぞ」と。
これにアルカン(→Wikipedia)みたいなギャングのボスやミラン・ルキッチみたいなチンピラが、憂さ晴らしと荒稼ぎの機会とばかりに飛びつき、民兵を名乗って略奪・暴行・強姦そして虐殺とやりたい放題しまくった。政府や警察も、愚連隊を止めるどころか陰で手助けする始末。
当時の報道じゃセルビア人が悪役で、ボスニア人がヤラレ役だったが、そういうわかりやすい構図じゃなかったのだ。三民族共に、互いの領土を確保するため、相手を消したがってたわけ。
こういうパターンは、たぶんシリアや南スーダンでも似たようなモンなんじゃないかと思う。民族ごとに地方権力を分けようとすると、民族浄化を望む者が出てきて、ヤクザとツルんで無茶やらかすのだ。
これは「国家はなぜ衰退するのか」にあるように、権力が一か所に集中するのが原因の一つだろう。じゃ民間企業が強く政府が小さきゃいいかっつーと、それじゃ教育や福祉が覚束なくなるし、うーん。
加えて、民族主義者が台頭し人々の恐怖を煽るあたりは、現代の日本にも似たような風潮があるわけで、色々な意味で恐ろしい本だった。
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