ルース・フィネガン「隠れた音楽家たち イングランドの町の音楽作り」法政大学出版局 湯川新訳
本書は、(略)地元の文脈でamateurの音楽家に実践されている草の根の音楽作りに焦点をあてる。
――1 地元音楽の存在とその研究「舞台上の一人について、舞台外で汗を流す二人の人がいなくてはならない」
――7 音楽劇の世界「演奏の機会を切実に求めているから無料同然でも演奏する」
――10 ロックとポップの世界大半のアマチュアの音楽的イベントの観客は、実演者や観客の他の成員や当該のイベントを運営する組織と何らかの縁故関係があるために参列することになった人々で構成されていた。
――12 実演とその諸条件1980年代のミルトン・ケインズにおいて、常時再生された主題は「慈善」だった。
――20 資源、報酬、支援
【どんな本?】
イングランドのニュータウン、ミルトン・ケインズ。1960年代に開発が始まり、四万人の人口が1985年には12万人に膨れ上がった。
著者は口承文芸の研究者であり、シエラレオネやフィジー諸島でのフィールドワークの経験がある。またミルトン・ケインズに住み、地元の合唱団に加わっている。
有名な音楽家の研究は多いが、地元で演奏を続けるセミプロやアマチュア音楽家たちを、育成・社会的地位・経済活動・支援/統率組織・人数・演奏機会・聴衆など、多面にわたり総合的に調べた研究は少ない。
そこで、著者は自らが住むミルトン・ケインズをフィールドとし、人類学・社会学的な手法で、セミプロやアマチュア音楽家を中心に、その聴衆や支援組織などを調べ、イギリスにおける音楽活動の土台を支える社会構造を掘り起こしてゆく。
調査は1980年から1984年。ジャンルはクラシック,ブラスバンド,オペラ,ジャズ,カントリー&ウェスタン(以降C&Wと略す),フォーク,ロック/ポップと多岐にわたる。切り口も活動周期や収支からバンドの寿命や総数と、具体例から統計的な数字まで多様な視点で、町の音楽家たちを調べ上げた。
イギリスにおける豊かな音楽の土壌を、あまり注目されないアマチュア音楽家たちの姿を通して描く、人類学・社会学の研究報告書…でありながら、音楽好きには「あるある」に満ちた、実はとっても楽しい本。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Hidden Musicians : Music-Making in an English Town, by Ruth Finnegan, 1989, 2007。日本語版は2011年11月4日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約537頁に加え、訳者あとがき9頁。9ポイント47字×19行×537頁=約479,541字、400字詰め原稿用紙で約1,199枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。
文章はかなり硬い。一般向けというより、学術論文だと思っていい。ただし、内容は意外とわかりやすく、社会学や人類学の専門知識は要らない。また、音楽についても、譜面が読めなくても大丈夫。敢えて言えば、合奏や合唱の楽しさを知っていると、更に楽しめる。文化祭や宴会の余興やカラオケでもいいから、人前で歌ったり演奏したりして、楽しいと感じた経験があればなおよし。
たまにモリスダンス(→Youtube)やケイリ(→Youtube)など馴染みのない言葉が出てくるが、21世紀の今ならネットで調べればすぐわかる。
といっても、この本の場合、活躍するのは Wikipedia より Youtube。つまり日本人には馴染みのない音楽や楽器や踊りの名前が出てくるが、動画を見ればスグに雰囲気が掴める。お陰で動画に見入っちゃって、なかなか読み進まなかったりするw
また「フォーク」や「クラブ」の意味が、日本語とは微妙に違うが、文中で充分に説明があるので、あまり気にしなくてもいい。
【構成は?】
序言によるとキチンとした論文の構成を取っているそうだが、気になる所だけを拾い読みしても意外と楽しめる。
- 2007年版序言/序言/謝辞/略語一覧
- Ⅰ 序論
- 1 地元音楽の存在とその研究
- 2 音楽家の「アマチュア」と「プロフェッショナル」
- 3 ミルトン・ケインズとその音楽
- Ⅱ ミルトン・ケインズにおける音楽世界
- 4 地元レベルにおけるクラシック音楽の世界
- 5 ブラスバンドの世界
- 6 フォーク音楽の世界
- 7 音楽劇の世界
- 8 ジャズの世界
- 9 カントリー・アンド・ウェスタンの世界
- 10 ロックとポップの世界
- Ⅲ 対照と比較
- 11 音楽の学習
- 12 実演とその諸条件
- 13 作曲、創造性、実演
- 14 複数の音楽世界
- Ⅳ 地元音楽の組織と仕事
- 15 家庭と学校の音楽
- 16 教会の音楽
- 17 クラブとパブの音楽
- 18 音楽グループの組織と運営
シャーウッド合唱協会の事例 - 19 現役の群小バンドとそれらの組織
- 20 資源、報酬、支援
- Ⅴ 地元音楽の意義
- 21 都市生活の小道
- 22 音楽、社会、人類
- 補遺 方法と提示にかんするノート
- 訳者あとがき/参考文献/索引
【感想は?】
そう、本来はお堅い学術本である。が、音楽が好きなら、誰でも楽しめる本でもあるのだ。
何より、著者が調査を楽しんでる。あくまで真面目な研究書の体裁をとっているし、統計的な数字を出すあたりは地道な調査をしてる。が、地元の合唱団に加わり歌ってる人でもあり、根は音楽好きな人なのだ。
日頃は聴かないロックのバンドの調査でも、ライブはもちろん曲作りの現場にまで立ち合い、曲が出来上がる様子をつぶさに観察している。顔を合わせての取材でも、相手と距離を置こうとしちゃいるが、お堅く冷静で小難しそうな文章の奥から、著者・取材相手双方の、「あたしら、なんでこんなシンドいのに音楽を続けてんだろw」みたいな仲間意識が伝わってくるのだ。
特に「10 ロックとポップの世界」では、楽器を始めて数カ月みたいな高校生バンドにも取材してるんだが、「パンクスにお堅い教授様が何の用だろう」といぶかるバンドの面々の緊張も感じられて、ちょっと微笑ましかったり。
ロック好きな読者として気になるのが、クラシックからロックまで、様々な音楽ジャンル別に調べた、「Ⅱ ミルトン・ケインズにおける音楽世界」。
世間の印象だと、クラシックは中産階級以上の音楽で、ロックは労働階級みたいな思い込みがあるが、これについては「明確な階級・支配的パターンをまったく示さなかった」と一蹴してる。最も目立ったのは家庭環境で、親から子へ音楽好きが受け継がれるケースが多いそうな。
これは家に楽器があるとか、子供の楽器の練習(往々にして他人にとっちゃ騒音でしかない)を親が我慢するとか、そういう部分が多いらしい。
面白い事に、素人音楽の世界では、「年齢に関係なく音楽の側面では平等とする」倫理が支配的なのも楽しい所。例外はロック・ポップで、特に若いバンドは同年代の仲間を求めるとか。もっとも、同じロックでも40代のオッサンがいるバンドは若者大歓迎なんで、私の見解じゃ「年寄りほど年齢に拘らない」んじゃなかろか。
もう一つの例外はフォークで、彼らが愛する音楽とは対照的に「高度な教育を持つグループ」だったりする。ただし本人たちはそれを知って「彼ら自身が驚愕した」。ばかりでなく、他のジャンルとも接触が少なく、「ある地元の演奏者は、他にも地元の音楽が在ることはさっぱり知らなかった」。
そのくせ全国規模のフォーク愛好家のネットワークがあり、旅行に行っても旅先のクラブを知ってたりする。新曲も作るけど、民謡を求めてスコットランドまで旅する人もいたり。
やはり比較的に孤立してるのが、C&W。クラシック・ジャズ・フォーク・ロックいずれの音楽家も、地元のC&W活動の話を聞くと「ほとんどの場合虚を突かれたような反応をして」と、認知すらされていない。あんまりだw
全般的に楽団の寿命が長いのはクラシック系で、ロック系は短い。もっとも、これは私の考えなんだが、楽団の寿命は楽団の人数と関係があるような気がする。単純に、人数が多いほど続きやすいみたいだ。
学者らしい視点も光ってて、たとえば演奏会での「暗黙のうちに合意された慣行」なんて発想。
クラシックはわかりやすい。フォーマルな服装で、演奏中はお喋り禁止。もちろん、歩き回っちゃいけない。曲が終わったら拍手喝采すべし。ただし楽章の合間は不許可。
対して気楽なC&Wだが、実はちゃんとルールはあるのだ。あましフォーマルな格好は不許可だが、相応にお洒落すること。できればカウボーイやお尋ね者のコスプレが望ましい。ノッてきたら踊ろう。とにかく、楽し気に振る舞うのがルールらしい。
そういえばロックにもマナーはあるんだよなあ。例えばメタルは髪型に煩くて、坊主か長髪でないとダメ。リーゼントなんてグラハム・ボネットぐらいで、しかもすぐに叩き出されたし。
他にもジャンルを越えた共通点は色々あって、大半の楽団は赤字だ。たいてい、メンバーや支援者の献身的な努力で維持されてる。ただし、これに対する姿勢の違いが面白い。
クラシック系だと、芸術や奉仕など見栄えのいい理由が付くのに対し、ロック系はあくまでギャラが目的って姿勢を整えなきゃいけないらしい。もっとも、そのギャラは、食券だったりビールだったりするんだがw
いずれにせよ便利なのは慈善興業で、これだとチケット販売や会場確保などの面倒くさい仕事は興行主が担ってくれる上に、特にロック系だと稼げなくても慈善だから仕方がないって言い訳ができる。
この慈善の対象が色とりどりで、病院の機器購入・老人ホーム・身障児童用コンピュータ購入・教会の補修・サッカークラブなど地元密着型もあれば、英国心臓基金・聖ジョン救急機構部隊など全国規模、果てはエチオピア飢餓・東アフリカ緊急アピールなど国際的なものもある。
日本と比べやたら慈善興業が多いんだが、これは税制の違いなんだろうか? なんにせよ、こういうイベントが数多く開催されているのも、イギリスの音楽を豊かにしている理由だろう。
そしてもう一つ、全てのジャンルで完全に共通している点がある。それは、演奏者が音楽を単なる楽しみではなく、人生の欠かせない要素と感じている事だ。
調査は1980年~1984年。あれから、音楽を巡る環境は大きく変わった。インターネットが普及してメンバー募集や発表の機会は増え、シンセサイザーも発達して教会のオルガンの代わりも安くあげられる。DTMは「隠れた音楽家」を増やしただろう。だが、それでも生の演奏には独特の魅力がある。
堅苦しい文体の本だけど、内容は読んでてとっても楽しい。だからこそ、是非とも21世紀のフィールドワークを加え、隠れた音楽家たちが変わった事・変わらなかった事を伝える続編が欲しい。
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