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2017年4月 6日 (木)

デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ トリックで戦った男たち」柏書房 金原端人・杉田七重訳

1939年に勃発した戦争で、あらゆる人間が苦境に立たされることになったが、その中身は人それぞれであった。私の場合それは、まったく思いがけない、まさに風雲急を告げる任務であった――持てるかぎりの想像力と知識を注いで、マジックの力でヒトラーを倒せというのである。
  ――ジャスパー・マスケリン

「第一次世界大戦で、わたしは大切なことを学んだ。自分の命を危険にさらしたからって、それでその後の人生が好転することはない」
  ――ジェフリー・バーカス陸軍少佐

【どんな本?】

 1939年、第二次世界大戦中のイギリス。予備役将校入隊センターに意外な男がやってきた。ジャスパー・マスケリン、38歳。マジックで有名なマスケリン家の10代目で、それまでは舞台に立ち華麗なマジックで観客を幻惑し喝采を浴びていた。戸惑う新兵募集士官を、彼は説き口説く。

「あるはずのない大砲を出現させ、幻の船を海に浮かべて見せます。何もない戦場に突然一軍隊を出現させ、飛んでいる航空機を敵の目から隠すこともできます」

 場違いなエンタテナーを持て余した英国陸軍は、彼をエジプトに送った。乱雑と混沌の街カイロで、ジャスパーは軍のはみだし者を集め、マジック・ギャングを結成する。

 動物の擬態が専門の大学教授フランク・ノックス,陽気でユーモラスなマイケル・ヒル二等兵、腕のいい大工のネイルズことセオドア・グレアム、『パンチ』誌で活躍する漫画家ウィリアム・ロブソン,色彩に詳しい画家のフィリップ・タウンゼント、そして軍の裏も表も知り尽くしたジャック・フラー軍曹。

 おりしも北アフリカは砂漠の狐ことエルヴィン・ロンメルが快進撃を続け、イギリス軍は苦境に立たされていた。華麗で壮大なマジックを操るジャスパーは、知将ロンメルに挑むが…

 ユーモラスな語り口で一風変わった男たちの戦いを描く、ユニークな従軍記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The War Magician : the man who conjured victory in the desert, by David Fisher, 1983。日本語版は2011年10月15日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約553頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント44字×20行×553頁=約486,640字、400字詰め原稿用紙で約1,217枚。標準的な文庫本なら厚めの上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に前提知識は要らない。軍事物だが、素人でも充分に楽しめる。第二次世界大戦の欧州じゃドイツ&イタリアとフランス&イギリスが戦って、ロンメルはドイツの有名な軍人、ぐらいを知っていれば充分。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  主な登場人物/北アフリカ戦線 主な戦場
  • 1 入隊志願
  • 2 最初の任務
  • 3 カモフラージュ部隊、結成
  • 4 戦車をトラックに見せかけるわざ
  • 5 アレクサンドリア港を移動せよ
  • 6 ゴミの山から軍隊を作りだせ
  • 7 スエズ運河を消せ
  • 8 エジプト宮殿でのスパイ活動
  • 9 命がけのイリュージョン
  • 10 第24“ボール紙”旅団
  • 11 折りたためる潜水艦
  • 12 戦艦建造プロジェクト
  • 13 失意と絶望の日々
  • 14 砂漠での失敗
  • 15 刻々と変わる戦況のなかで
  • 16 史上最大の偽装工作
  • 17 司令官からのメッセージ
  • 18 ニセの戦車で奇襲をかけろ
  • エピローグ
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 愉快、痛快、奇想天外。

 「なんてお馬鹿な書名だ、嘘に決まってる」と思うかもしれない。でも、本当なのだ。マジック・ギャングは本当にスエズ運河を消している…少なくとも、ドイツ空軍からは。

 目次を見ればわかるように、他にも様々なペテンを繰り出し、ドイツ軍を煙に巻いている。アレクサンドリア港を移動させ、ありもしない戦艦を作りだし、トラックを戦車に変え、パラシュートなしで物資を安全に空中投下し、火の上を歩き回り、砂漠に忽然と大軍団を出現させ、艦隊を率いて上陸作戦を始め…

 すべて光と影のマジックで、タネも仕掛けもある。ないのは予算と時間w 特に前半では、実績もないため必要な物資の調達に苦労したり。そこで目を付けたのが…。特に偽装用の砂色のペンキを手に入れるくだりは、エジプトならではの奇天烈さ。

 このエピソードで、ジャスパー率いるマジック・ギャングのチーム・カラーが鮮明に浮き上がってくる。常識にとらわれない自由な発想を、豊かな経験と科学的知識で着々と実現してゆく。

 それを可能にしているのが、フリーダムでユーモア溢れるチームの雰囲気。特にマイケル二等兵は口を開けばジョークばかりで、場を明るくする最大の功労者。そんな彼も、苦手な分野はあって…。いいねえ、若いってのはw

 とかの人間模様も交えつつ、彼らが知恵を絞ってアイデアを出し、工夫を凝らして実現させていくあたりは、設計・開発部門で働く人にはジ~ンと来る所。やっぱり人に創造性を発揮させるには、のびのびした空気が必要なんだよなあ。

 とまれ、そんなマジック・ギャングも軍の組織だけに、時として調整が必要な場面も出てくる。

 そこで活躍するのが、ジャック・フラー軍曹。最初は規則に厳しい鬼軍曹だったジャックも、ファースト・ネームで呼び合うチームの雰囲気に染まりはしないものの馴染んでゆき、かつ経験豊かな軍曹ならではのコネと知恵を駆使して便宜を図るあたり、実に貴重な人材だったり。

 そんなマジック・ギャングに立ちはだかるロンメルも、実は優れたペテン師なのが、ヒネリの効いた所。

 ふたつの大隊を大軍団に見せかけ、トラックを戦車に変え、撤退と見せかけて罠に誘い込み、逆に罠と見せかけて撤退し、戦車殺しの88ミリ砲を水増しし…。そういえば、ノルマンディーでもロンメルは偽の地雷で上陸を邪魔してたっけ(→「ノルマンディ上陸作戦1944」)。まさしく狐、狡猾な人だ。

 などとロンメル相手に知恵を絞りつつ、「やっぱりイギリスだね」と感じさせるのが、クラーク准将の登場場面。諜報組織A部隊、つまりスパイの親玉だ。クラークとジャスパーがツルんで企むのは、それこそ007が使う小道具みたいな奇天烈なもの。

 ばかりか、ジャスパー自身が、本業のマジック・ショーを使って敵のアジトを探る場面もあったり。

 などに加え、舞台となるアラブの社会の意外な面もお楽しみの一つ。

 ジャスパーの最初の任務、ダマスカスで展開する、デルビーシュの長老との魔術合戦に始まり、マジック・ギャングが見つけた「宝の山」、彼らの秘密基地「魔法の谷」での陳情合戦などは、私が知らないアラブ世界の意外な一面がのぞけて楽しかった。

 個性的なメンバーを集めたチームが、自由闊達な発想と得意技を活かした創意工夫で、壮大なペテンを次々と仕掛ける痛快な物語。軍事やスパイに興味があればもちろん、トリックやチーム物が好きな人にも、自信を持ってお勧めできる楽しい本だ。

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