モリー・グプティル・マニング「戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊」東京創元社 松尾恭子訳
「戦いで鍛えられた海兵隊員は、物語に涙するなんて女々しいことはしないものです……でも、僕は泣いたことを恥じてはいません」
――はじめに「携帯用戦闘糧食の包みに貼られたラベルに内容物が記されていると、前線の兵士はそれを読む。とにかく何かを読みたいのだ」
――第四章 思想戦における新たな武器同じ日に遅れて(ノルマンディのオマハ・ビーチに)上陸した隊員の多くが、印象深い光景を目にしている。重傷を負った隊員たちが、崖のすそに体をもたせかけて、本を読んでいたのだ。
――第六章 根性、意気、大きな勇気「ボストンで禁書扱いになっている本に、誰もが興味津々です――興味をそそられない人などいますか?」
――第七章 砂漠に降る雨
【どんな本?】
1933年5月10日、ドイツ。霧雨のベルリンでは、国家社会主義に相応しくないと目された多くの本が焼かれた。やがてドイツは近隣諸国を侵略し、その支配下に収める。
目前に迫った戦争にそなえ多くの将兵を集めた合衆国陸海軍だが、将兵の待遇はお粗末なものだった。下がる兵の士気を支えるには娯楽が必要だと考える軍に、ナチスの焚書に憤ったアメリカ図書館協会(ALA)が手を差し伸べる。将兵に本を送ろう。
かくして始まった戦勝図書運動は、紆余曲折を経て兵隊文庫へと結実し、大量の本が前線で戦う将兵や、傷をいやす傷病兵へと送られ、彼らの心の糧となった。
総力戦という特異な時期に生まれた、特異な書籍・兵隊文庫。それはどんな者たちが、どんな想いで生み出し、どんな経緯をたどって送られたのか。受け取った将兵たちは、それをどう受け取り、彼らの戦いや人生をどう変えたのか。
第二次世界大戦の裏で行われた、もうひとつのプロジェクトを綴る、歴史ドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は When Books Went to War : The Stories That Helped Us Win World War Ⅱ, by Molly Guptill Manning, 2014。日本語版は2016年5月31日初版。単行本ハードカバー縦一段組みで本部約237頁に加え、口絵8頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×18行×237頁=約183,438字、400字詰め原稿用紙で約459枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。ハードカバーとペーパーバックの区別がつけば充分。書籍の編集・印刷・製本に詳しければ更に楽しめるが、知らなくても大きな問題はない。
【構成は?】
原則として時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。
- はじめに
- 第一章 蘇る不死鳥
- 第二章 85ドルの服はあれど、パジャマはなし
- 第三章 雪崩れ込む書籍
- 第四章 思想戦における新たな武器
- 第五章 一冊掴め、ジョー。そして前へ進め
- 第六章 根性、意気、大きな勇気
- 第七章 砂漠に降る雨
- 第八章 検閲とフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトの四期目
- 第九章 ドイツの降伏と神に見捨てられた島々
- 第十章 平和の訪れ
- 第十一章 平均点を上げる忌々しい奴ら
- おわりに
- 謝辞/訳者あとがき/原注
- 付録A 禁書の著者/付録B 兵隊文庫リスト
- 人名索引
32頁に及ぶ「付録B 兵隊文庫リスト」が、本好きにはとっても嬉しくもあり、悔しくもあり。だって美味しそうな本の多くが今は手に入りにくいんだもん。
【感想は?】
本好きは通勤電車の中で読んじゃいけない。泣いて笑ってガッツポーズ決めたくなるので、変なオジサン扱いされてしまう。存分に泣ける環境を整えて読もう。
冒頭から、何かを創る人には、大変な試練が待っている。前線で戦いマラリアで病院送りになった20歳の海兵隊員が、著者に送ったファンレターだ。
戦友を失い、自らの心も凍った彼に手渡された一冊の本が、彼をどう変えたのか。物語の、そして創造することの力を、恐ろしいまでの迫力で綴っている。こんなファンレターを貰ったら、クリエイターはどんな気持ちになるんだろう。己の持つ力に、恐れすら感じるかもしれない。
ナチスは宣伝に力を入れ、またその手口も狡猾だった。多くの国民が手に入れられるよう、安いラジオも開発している。そして焚書だ。本読みにとっては、身の毛もよだつおぞましい所業である。
これに怒りを募らせた人は多い。SF者には嬉しいことに、H・G・ウェルズもあてつけで「燃やされた本の図書館」なんてのを作ってる。わはは。そしてアメリカ図書館協会(ALA)もまた。
窮屈な軍隊生活には、多くのものが欠けている。そして、新兵は歯車の一つに過ぎない。急に大量の将兵を集めたため、受け入れ態勢も整わず、彼らの待遇はお粗末極まりなかった。そこで本だ。軍にとっては、安いし手軽な娯楽を提供できる。
だけじゃない。兵にとって、何より辛いのは、プライバシーがない事だ。なんたって、飯も風呂も寝る時も、四六時中、他人と一緒なんだから。でも、本を読んでいる間は、一人になれる。物理的には他人と一緒でも、気持ちは本の中に入り込める。
この辺を読んでて気が付いた。本を読んでいる時ってのは、一人になれる時なのだ。本好きって生き物は、一人の時間を強く求める生き物らしい。
なんて最初の方では、「本を読む」って行いを落ち着いて考え直す余裕もあるが、話が進むに従って、本が持つとんでもない力を見せつけられ、読み手は圧倒されるばかりとなる。
なんたって、読んでいるのは前線で戦う将兵だ。いつ命を失うかもしれない状況で、本なんか読む気になれるのか? 普通はそう考えるだろう。だけじゃない。戦う将兵は、常に重たい荷物を担いでる。例えばノルマンディ上陸作戦だと、各兵は約40kgもの荷物を持っていた(→アントニー・ビーヴァー「ノルマンディ上陸作戦1944」)。これに加えて本なんか持ち歩く気になれるのか?
でも持ち歩いたのだ。これを可能にしたのが、兵隊文庫。安い紙で小さいボディ、ポケットにちょうど収まるサイズ。かつては本なんか読まなかった若者が、むさぼるように本を読んだ。だって、タコツボの中で身をかがめている間は、それ以外する事がないんだから。
それまでハードカバー中心だった米国の出版業界が、ペーパーバック・サイズの兵隊文庫を作り始める過程は、市民運動の効果と限界を感じさせるが、同時にアメリカの産業力もしみじみと感じてしまう。また、この兵隊文庫がキッカケで、アメリカの出版業界が変わってゆくのも面白い。
加えて、作った兵隊文庫を前線に届ける米軍の兵站能力にも呆れてしまう。「サイパン島には、海兵隊の先発部隊が上陸してから四日後、書籍を満載した船が到着した」。帝国陸海軍はガダルカナルの友軍に食料すら届けられなかったのに。
そんな将兵は、どんな本を好んだのか。現代のアフガニスタンじゃ「孤児たちの軍隊」が人気を博したそうだが、当時の一番人気は意外な作品だったり。でも、巻末の「兵隊文庫リスト」を見ると、マーク・トゥエインの「アーサー王宮廷のヤンキー」やメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」とか、SFもチラホラ。
が、最も人気を博したのは、普通の人々の普通の暮らしを描いた、現代小説らしい。殺し殺される異常な状況に置かれた将兵たちは語る。
「私たちの軍の兵士は、本を読むという行為をしているのだから、(まだ)人間なのだ、と思うことができました」
こんな風に、前線で本を読んだ将兵の言葉が随所に散りばめられ、それが本好きの心を激しく揺さぶり続ける。本好きの心臓に繰り返し重量級のパンチを撃ち込み、涙腺を決壊させる、感動のドキュメンタリーだ。
でも、今となってはベティ・スミスの「ブルックリン横丁」が読めないのは哀しい。映画なら手に入るんだけどねえ。
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