フィリップ・キュルヴァル「愛しき人類」サンリオSF文庫 蒲田耕二訳
「…実際、マルコムは立派だよ、自殺ができない世界で初めての国なんだ」
「ルイス、恥ずかしがることはない。おまえは美しい。さあ、ごみに戻れ。汚物を崇拝しよう」
「…過去とは、実は人間の空想が創り出したものではないだろうか――」
「…わたしはいつうも飢えているんです。生まれた時からいつも、現実以外の何かがわたしに必要なんです」
【どんな本?】
1978年、サンリオが翻訳SF文庫に進出する。先行するハヤカワ文庫や創元SF文庫と差別化を図るため、ブライアン・スティブルフォード,マイクル・コニイ,イアン・ワトスン,キース・ロバーツなどイギリス作家を開拓するだけでなく、ミシェル・ジュリやピエール・プロなどフランス作家、果ては中国の老舎にまで手を広げた。
残念ながら後にサンリオは翻訳SF出版から手を引き、多くの傑作が埋もれてしまう。クリストファー・プリーストの「逆転世界」やアンナ・カヴァンの「氷」など他社で復活した作品もあるが、イアン・ワトスンの「マーシャン・インカ」やシリル・M・コーンブルースの「シンディック」など、未だに埋もれている傑作も多い。
この作品はそんな埋もれた傑作の一つで、フランスの人気SF作家フィリップ・キュルヴァルの長編SF小説。フランスで出版されたSF作品を対象としたアポロ賞は、それまで海外作品ばかりが受賞していたが、この作品がフランス人として初めて1977年に受賞作となった。
暴走するイマジネーションと狂ってゆく現実感覚、そして強烈なエロティシズムが炸裂する、フランスならではの独特の臭みを備えた、傑作SF長編小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Cette chere humanite, by Philippe Curval, 1976。日本語版は1980年5月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約337頁に加え、鈴木晶の解説4頁。8ポイント43字×18行×337頁=約260,838字、400字詰め原稿用紙で約653枚。文庫本としては少し厚め。
ただし今は版元が撤退してるんで、手に入れるのは難しい。古本屋でも値段は高騰しているだろうし、図書館に取り寄せを頼むのが最も確実かも。
文章は意外とこなれている。当時のサンリオSF文庫の翻訳は酷いのが多かったが、これは奇跡的なぐらいマトモ。内容は、綿密に科学を考えるタイプではないのだけれど、奇矯なアイデアが次から次へと出てくるので、ある程度はSF的な仕掛けに慣れていないとついていくのに苦労するかも。また、18禁な場面がちょいちょい出てきます。
【どんな話?】
自給自足が可能とわかったマルコム=旧ヨーロッパ共同体は、外国人労働者を追放して国境を閉鎖、鎖国政策を取る。以後、交通と通商は途絶し、情報も全く出てこない。スイスは孤立し、最貧国に落ちぶれた。
そんなある日、ベイヴォイド=旧発展途上国連盟の浜辺に、瓶に詰めたメッセージが流れつく。かつてマルコムにいたが外国人労働者として追放され、子供と引き離されたベルガセン・アティアは、スパイとしてマルコムに潜り込み、メッセージの発信者レオ・ドリームとの接触を図る。
マルコムでは時間流減速機が普及し始めていた。これはキャビンの中で一週間を過ごしても外では24時間しか経過しないシステムであり、製造社の取締役のシモン・セシユーは骨董に囲まれ優雅に暮らしている。だが時間流減速機の普及は、市民の生活ばかりでなく社会全体も静かに犯しはじめていた。
その頃、メッセージの発信者レオ・ドリームは新興宗教の夢現教の司祭となり…
【感想は?】
今、手に入りやすいフランスのSF作家は、「オマル」のロラン・ジュヌフォールと「蟻」のベルナール・ウェルベルだろう。
ロラン・ジュヌフォールの「オマル」シリーズは明らかにラリイ・ニーヴンのリングワールドに影響を受けた作品で、世界は突飛なようでも土台にはしっかりした科学の礎がある。数学と科学は世界で共通なだけに、あまりフランス独特の臭みは感じない。
対してベルナール・ウェルベルの「蟻」シリーズは、メカの描写こそ悲惨なものの、現代フランスを舞台にしているのもあって、お国柄が良く出ている。意外な食材を使った食事場面もそうだが、オカルトすれすれのトリビアや意表を突く奇想、そして違和感バリバリのストーリーなど、フランスならではのローカル感が溢れている。
この作品はベルナール・ウェルベルの感触に近く、サイエンスより奇想が楽しい。それもアメリカやイギリスの作家とは異なり、独特で強烈な臭みがあるのが特徴。
例えば国境封鎖の方法だ。アメリカなら国境沿いに壁と鉄条網をめぐらし地雷を埋め、機関銃を並べて侵入者を蜂の巣にするだろう。コワモテで暴力的、わかりやすいパワー信仰がアメリカらしさ。
ところが作中のマルコムは、神経兵器を使う。運が良ければ生き残れるが、人格を破壊される。詳しい原理と効果はわからないが、なまじ目立つ外傷がない分、長い歴史を持つヨーロッパらしい底意地の悪い陰険さを感じる。
マルコムの内部が、徹底した管理社会・監視社会だ。外出中も、常に身分を照会される。タバコや酒の消費量も管理され、規定以上は買えない。これも全面禁止ではなく、規定量は買えるってあたりが、いかにもヨーロッパ。
管理社会とはいえ、はみ出し者もいる。一部は異端者として自由市民の権利を失い、なかなかに悲惨な扱いをうけてたり。ここで奇妙なのが心理再教育収容所。曰く…
タバコ、酒、麻薬、なんでも好きなものをお好きなだけお楽しみ下さい。売春、買春も自由です。
お、ラッキーじゃん、と思ってたら、とんでもない続きがあった。いやあ、陰険だねえ。
などに加え、強烈なエロティシズムが、この作品の欠かせない特徴。登場人物は、年甲斐もなく元気にヤりまくる。
最初のヒロインであるエルザ・ファン・ライデンもなかなかの美人で楽しめるが、次に出てくるシルヴィ・ルクエロック姉御が、これまたマニアックな人で。さすが欧州、変態プレイも爛熟してススんでるねえ、などと感心してたら、終盤になってとんでもないのが出てきた。
まず登場するのが、生物学アーティストを自称するエンリコ・フェレンチ。
「…計画に理論の裏づけはなかった。いまでも、わしの仮説は科学的証明がなされておらん。しかしわしは、成功したのじゃ。忍耐と、根気と、特にわしの才能によってな。これ以上、有力な証明があろうか。どうしてそれがわからん。マルコムのめくら学者どもめ。くそ。死ね」
と、「わしを認めない学会に復讐するんじゃあぁぁ~!」的な、わかりやすいマッド・サイエンティスト。アマゾンのジャングルで見つけたナニをアレして、執念で創り上げたのが、最強のヒロインであるグリシーヌ嬢。アマゾンのジャングルってのが、大時代でいいねえ。
ってだけじゃなく、この後のグリシーヌ嬢のプレイがまた、彼女ならではの能力を存分に活かした、SFならではの凄まじい変態プレイで。ここまで鮮やかに記憶に焼き付く描写は、「第六ポンプ」収録の「フルーテッド・ガールズ」まで長らくお目にかかれなかった。
終盤ではこれに夢現教の司祭レオ・ドリームが絡み、読者の現実感覚がどんどん壊されてゆく。夢って字が示すように、そのアイデアは突拍子もない上に、辻褄もあってないんだが、壮大にして印象的な場面で終わるラストも含め、発想の狂いっぷりは充分に保証できる。
力強く暴走する奔放なイマジネーションを御しきれてない感はあって、完成度を求める人には向かないが、頭の中身をシェイクされたい人には格好のお薦め。なんとか他の出版社で復活して欲しいフランスSFの怪作。
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