マーク・ミーオドヴニク「人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探検する」インターシフト 松井信彦訳
なぜカミソリの刃は切れ、ゼムクリップ(ペーパークリップ)は曲がるのか? そのそもなぜ金属には光沢があるのか? さらに言えば、なぜガラスは透明なのか? なぜ誰もがコンクリートを嫌ってダイアモンドを好むものなのか? そして、なぜチョコレートはあれほどおいしいのか?
――はじめに すぐそこにある材料の内なる宇宙へ
【どんな本?】
歴史の最初の授業では、こう教わる。人類の歴史は、石器時代・青銅器時代・鉄器時代と進んできた、と。ヒトが手にする材料が、石→青銅→鉄と変わるにつれ、文明もまた大きく飛躍した。材料は、人類の文明すら左右する。
私たちの身の回りは、様々な材料が満ち溢れている。クリップは鋼鉄で、適度に硬い。ステンレスの台所は錆びない。コンクリートはビルを支え、紙は知識と気持ちを伝える。ティーカップは上品で肌触りが滑らかだが、割れやすい。だから子供にはプラスチックのカップを与える。
だが、なぜクリップは硬いのに曲がるんだろう? 化学が普及していない日本で、なぜ日本刀が作れたんだろう? 磁器のない時代に、人は何をどう使っていて、どんな問題があったんだろう? プラスックの発見は、文化にどんな影響を与えたんだろう? そして、なぜチョコレートに病みつきになるんだろう?
身近な材料をテーマに取り、それぞれの誕生エピソードから普及の原因、そして材料が持つ性質を生み出す構造の秘訣まで、親しみやすい語り口と意外なトリビアを取り混ぜて送る、一般向けの科学啓蒙書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Stuff Matters : Exploring the Marvelous Materials That Shape Our Man-Made World, by Mark Miodownik, 2013。日本語版は2015年10月15日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約255頁。9.5ポイント45字×19行×255頁=約218,025字、400字詰め原稿用紙で約546枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。理科が得意なら中学生でも楽しく読めるだろう。
【構成は?】
それぞれの章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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【感想は?】
楽しい(が、あまり役に立たない)知識を仕入れながら、化学の基礎がわかるおトクな本。
構成が巧い。最初の鋼鉄の項から、魅力的なエピソードがてんこもり。例えば「異星人が自分を狙っている」と主張する男が出てくる。デムパ系みたいだが、そう思い込む原因は実に納得できるものだ。
その男、ボスニア北部に住むラディヴォケ・ラジック氏、2007年から2008年にかけて、「彼の家に隕石が少なくとも5個落ちてきた」。そりゃ疑いたくもなるよなあ。しかも、「自分の疑念を2008年に公表したあと、隕石がまた彼の家に落ちてきた」。呪われてるのか。
日本刀が優れている理由は、たたら製鉄だった。もののけ姫でエボシ御前の一党が、足でふいごを動かしてたアレだ。鉄は炭素を含む。炭素が少なければ、刀は柔らかく折れにくいが、刃先は鈍い。炭素が多ければ、硬く折れやすいが、刃先は鋭くなる。
たたら製鉄でできた鉄の塊は、炭素の量が「とても少ないところからとても多いところまでさまざまな部分がある」。そこで炭素が少なく柔らかい所を刀の芯に使い、炭素が多く硬くて鋭い所を刃先に使う。これで切れ味鋭く折れにくい刀ができたわけ。
日本刀の芯が柔らかく刃先が硬いのは比較的に知られているけど、柔らかい鉄と硬い鉄をどうやって分けたのかは謎だったが、そういう事だったのか。たたら製鉄すげえ。
ヘンリー・ベッセマー(→Wikipedia)の製鋼法の歴史も楽しい。鉄の中の炭素を取り除く方法が賢い。溶けた鉄に空気を吹きこむだけ。空気中の酸素は鉄の中の炭素を燃やし、二酸化炭素になると同時に、熱を出すので炉の温度を保つ。
ただし、ベッセマーに特許料を払った他の製鉄会社は巧くいかなかった。お陰でベッセマーはペテン師呼ばわりされ、苦しい立場になってしまう。巧く行かない理由は、原料の鉄鉱石によってもともとの炭素の量が違っていたから。理屈はあってたけど、素材によってレシピを調整する必要があったわけ。
そこで追い詰められたベッセマーは…
ステンレス誕生の物語も意外だ。時は1913年、第一次世界大戦んの直前。ハリー・ブレアリーは優れた銃身を作るため、合金の研究をしていた。様々な元素を鋼鉄に混ぜては失敗の繰り返し。失敗した試料は、研究室の隅に捨て置かれた。
ある日、錆びた破棄試料の山を通りかかったブレアリーは、ゴミの山の中に小さな輝きを見つける。なぜ光る? なんと、これは錆びてない!
これが錆びない鉄、ステンレス誕生の瞬間だ。秘訣はクロム。錆は鉄が酸素と化合してできる。クロムは鉄より先に酸素と化合し、酸化クロムの幕を作って鉄を空中の酸素から守る。
こりゃいいやと思ったブレアリーは、ナイフを作ってみる。ナイフって所が、ヒトのオツムの働きをよく表してる。銃作りに携わっていたため、物騒な発想に囚われちゃったんだろう。ところが残念なことにステンレス製ナイフ、なまくらで切れなかった。
ブレアリー君はガッカリしたが、切れないからこそ役に立つ事が後にわかる。台所やスプーンだ。
中でもステンレス製スプーンの発明は偉大で、お陰で私たちは鉄の味を感じずに食事を味わえる。「私たちは食器の味を味わわなくて済むようになった最初の数世代」になったのだ。インド人が素手でカレーを食べるのも、そういう理由かもしれない。実際、その方が美味しいんだろう。
こういった、材料が料理に及ぼす革命は、ガラスにも言えて…
などと、第1章の鉄だけでも、楽しいエピソードがてんこもり。この調子で、紙・コンクリート・チョコレート…と、様々な材料の誕生秘話から、「ソレがない時代はどうだったか」まで、興味深い話が次々と出てくる。
SF者としては、私たちの文明が、手に入る物資の意外と絶妙なバランスの上に築かれているのに気がついて、他星系に移住した者が築く文明や、エイリアンの文明が、今まで考えていたのより遥かにバラエティに富んでいそうだと思い立ち、夢が広がってきたり。
詠みやすさは抜群だし、語り口も親しみやすいわりに、意外性に満ちたエピソードも多く、読んでて飽きない。初心者向けの科学解説書としては、格好のお薦め。
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