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2016年7月14日 (木)

グレッグ・イーガン「クロックワーク・ロケット」新☆ハヤカワSFシリーズ 山岸真・中村融訳

生きている者はすべて、光を作る必要があるが、すべての化学反応と同じく、それは危険を伴う事柄だ。

星々を数学でくるみこんで、自分たちの心のなかに引きこむことなど、だれに望めるだろう?

時間は空間におけるもうひとつの方向にすぎない。

<孤絶>は変化をもたらすために存在する。

【どんな本?】

 現代のサイエンス・フィクションの旗手・グレッグ・イーガンが、その本領を存分に発揮した「直交」三部作の開幕編。

 われわれの宇宙とは少しだけ異なる物理法則が成り立つ宇宙を舞台に、そこで生まれ育ち気鋭の物理学者として革命的な理論を打ち立てるヤルダを主人公に、「ちょっとした物理法則の違い」が生み出す異様な世界と、その世界の姿としくみを解き明かしてゆく者たち、そして迫りくる世界の危機を、数式とグラフをたっぷり織り交ぜて描く超硬派のSF長編小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Clockwork Rocket, by Greg Egan, 2011。日本語版は2015年12月25日発行。新書版縦二段組みで本文約516頁に加え、著者あとがき3頁+板倉充洋による「『回転物理学』虎の巻」8頁+山岸真の訳者あとがき6頁。9ポイント24字×17行×2段×516頁=約421,056字、400字詰め原稿用紙で約1,053枚。文庫本なら上下巻ぐらいの大容量。

 文章は先の「白熱光」に比べればだいぶ読みやすいが、相変わらず二重否定の文章も多く、相当にクセは強い。たぶんこれは数学者としてのクセなんだろう。

 内容的な難しさは「白熱光」すら越えている。重要な仕掛けは、少なくとも三つある。

 一つは時間と空間の性質で、かなりややこしい理屈ではあるんだが、頻繁にグラフが出てくるため、私は少しだけ理解できた…んじゃ、ないかな。もう一つは「波」の性質で、ほとんどわからなかった。日頃から電波や音波などを扱っている人なら、読み下せるんじゃないだろうか。最後の一つは非ユークリッド幾何学で、私は完全にお手上げでした、はい。

【どんな話?】

 ヤルダが三歳になるころ、祖父のダリオの具合が悪くなった。医者のリヴィアは言う。「深刻な光欠乏症だ。もっと強い自然光の全域が要る。しばらく森で過ごしなさい」。体の大きいヤルダは四足歩行になり、父のヴィトと共にダリオを森へ連れてゆくが…

【感想は?】

 究極の異世界ファンタジイ。

 なんてったって、世界の物理法則からして違う。呪文が云々とか、そんな甘っちょろいモンじゃない。そもそも光の性質からして違うのだ。これは、最初の頁から医師リヴィアの台詞で、読者に「どうも変だな」と思わせるよう示唆している。

「日光は青すぎる」「速すぎて体がつかまえられない。一方、畑の光はあまりに遅い赤ばかり」

 われわれの宇宙だと、光の速さは波長に関わらず一定だが、この世界では違うらしい。われわれの宇宙だと赤は波長が長く青は波長が短い(→Wikipedia)が、この世界では赤は遅く青は速いらしい。この予想は、夜空の星の見え方で裏付けられる。星の光は虹色の尾を引いているのだ。しかも、尾の色の順番は決まっている。

「片方の端が紫色で、順に青、緑色、黄色」

 そう、(われわれの宇宙の)光の波長の短い順に並んでいるのだ。だが、同じ恒星でも、太陽の光は白い。この謎を、ヴィトとヤルダの会話が解き明かしてゆく。

 光が奇妙なのは、それだけではない。草花は、夜になると光りはじめるのだ。ホタルが光るのは雌を引き付けるためだし、アンコウは獲物をおっびきよせるためにチョウチンを光らせる。だが、動けない植物が、なぜ光る? 光を発するにはエネルギーが要る。なぜエネルギーを無駄遣いする?

 エネルギー的に奇妙な事は、他にも幾つかある。例えばヤルダたちの眠り方だ。われわれは温かい布団にくるまって眠る。体から出る熱を逃さないためだ。だが、ヤルダたちは違う。冷えた砂や土に埋まって眠るのだ。熱を逃がすため。

 加えて、病んだ祖父の症状だ。「おじは、祖父の体が夜中に黄色く輝いていたといった」。ヤルダたちの肉体も、バランスを失うと光を発するらしい。この懸念は、祖父ダリオの壮絶な最後で裏付けられる。その原因は不明なままだが。

 エイリアンとしての異様さも、際立っている。ある程度は体を変形できて、腕や脚を増やしたり減らしたりできるらしい。ただし、生やしたばかりの腕や脚は不器用で、巧く動かすには暫く慣らさなきゃいけない。この辺も、ファンタジイとしては実によく考えられている。つまり、ベンフィールドのホムンクルス(→脳の世界)だ。

 腕を動かすのは脳だ。脳が新しい腕を巧く扱えなければ、新しい腕は単なる邪魔者でしかない。肉体だけでなく、それを扱う脳の調整も必要になる。幸いにして、ヒトの脳はこの辺が比較的に柔軟で、棒や箸などの道具を扱い慣れると、脳も道具を体の一部と認識し始めるらしい(ミゲル・ニコレリス「越境する脳」)。

 そんなわけで、祖父を運ぶために四足歩行を始めた時も、ヤルダは暫く慣らし運転をして脳と神経系と筋肉を順応させている。とはいっても、ほんの数分ぐらいで慣れちゃってるから、相当に柔軟な脳だよなあ、と思ったが、体が変形自在なんだから、脳もそうなってて不思議はないよね。

 単位系も独特で、12進法だ。これは恐らくヤルダらの体の形によるものだろう。数を表現する形としては、10進法より便利かも。

 ってな異世界のセンス・オブ・ワンダーは、生殖など他にも幾つかあるんだが、加えて科学そのものが発達していく際のワクワク感も、「白熱光」と同様、アチコチに散りばめられている。

 その最初は、ヤルダが観測所に籠り、星の光を観測する場面だろう。この世界にはコンピュータなんて便利なモノはない。だから、星を観測し記録するには、ヤルダが実際に望遠鏡を操り、観測して、記録を取る必要がある。地味で根気のいる作業だ。だが、この作業を繰り返し、グラフに描いた結果、パターンが見つかったら…

 ほんと、今でこそ、こういった作業は Excel 一発だけど、昔は地味に記録して計算してたんだよなあ。そういった苦労の果てに、綺麗に揃ったデータが手に入った時の気持ちったら。

 こういった地味な観測と、ヤルダの柔軟な発想が生む新理論、そして最近になって増えた現象「疾走星」が、ヤルダと物語を、とんでもない方向へ向けて走らせてゆく。工学的には無茶な気もするが、この世界の重力や物質の硬度次第では、アリなのかな?

 などといった科学的な面白さに加え、リベラルなイーガンらしい発想が、人間?ドラマを介して発揮しているのも特徴だろう。ヤルダたちの独特な生殖方法を通して見える奇矯な社会構造、陰険な政治抗争、そして学者同士の意地の張り合い。新しい説が主流となるには、たとえ物理の世界でも、世代交代が必要だったりする。

 まさしく「俺たちの旅は始まったまかりだ!」で終わる物語。この先、どんな宇宙を見せてくれるのか。どんな冒険と危機が待っているのか。どんな発見があるのか。今年中に続きが出るとのことなので、楽しみに待っている。

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