ローレンス・レッシグ「FREE CULTURE」翔泳社 山形浩生・守岡桜訳
本書の狙いは、あるミームを紹介し、それを擁護する議論を提供することだ。そのミームとは、「フリー文化」という発想だ。この発想の擁護論としては、それが多くの自由社会の伝統だったし、それをわれわれが再び採用すれば、言論や創造性のもっとも重要な価値観を発展させることになる、ということだ。
――日本語版への序文歴史上、文化の発展をこれほど少数の人々がここまでコントロールする法的権利を持っていたことは未だかつてないのだ。
――第一○章 「財産」許認可文化とはつまり弁護士文化だ
――第一二章 害「スタジオの連中ととんでもない話をしたんだ。連中、使いたい驚異的な(古い)コンテンツを持っているんだけれど、れも権利のクリアの手のつけようがないので、使えないんだって。このコンテンツを使ってすごいことができる連中は山ほどいるけど、でも権利の処理には弁護士が山ほどいるんだと」
――結論
【どんな本?】
副題は「いかに巨大メディアが法をつかって創造性や文化をコントロールするか」。
1995年。ニューハンプシャーに住む男は考えた。「俺はホーソーン(→Wikipedia)が好きだ。娘にも読んでほしい」。だが時代はデジタル。そこで男はウェブサイトを作り始める。「カビ臭い本じゃなくてカラフルでグラフィカルなウェブなら娘も喜ぶだろう」。そう考えて、ホーソンの作品に絵や説明文を加えたサイトを作り、公開する。
幸か不幸か、男の陰謀は潰えた。娘はホーソーンに興味を示さなかったのだ。だが、男は著作権フリーとなった他の作家の作品も手掛け始める。男はこの作業が好きになったのだ。
1998年、男はロバート・フロスト(→Wikipedia)の作品を手掛けようとする。だが、大きな問題が立ちはだかった。同年、合衆国議会が著作権期間を延長したためだ。悪名高い著作権延長法(CTEA、→Wikipedia)である。
その男エリック・エルドレッドは戦いはじめる。この戦いは全米で話題となり、著者も応援に駆け付け、法廷で共に戦う。だが、結果は残念な形に終わった。
この裁判での敗北が、この本を書く原動力となっている。
そもそも、なぜ著作権法が要るんだろう? なぜ最近になって、こんなに著作権法が話題になるんだろう? 著作権を守ることにどんな得があって、どんな害があるんだろう? なぜアメリカでは著作権の期間が次々と伸びるんだろう? 伸びることで、誰にどんな利害があるんだろう? 現在のクリエーターは、どんな状況に置かれているんだろう?
デジタル時代の文化に著作権がどう影響するかを、クリエーターたちの生々しい声で語り、その法的根拠や文化に与える利害を検証し、あるべき姿を模索するとともに、著者なりの戦術を示して読者を扇動する、一般向けの啓蒙書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は FREE CULTURE : How Big Media Uses Technology and the Law to Lock Down Culture and Control Creativity, by Lawrence Lessig, 2004。日本語版は2004年7月22日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本部約348頁に加え、訳者あとがき13頁。9.5ポイント51字×18行×348頁=約319,464字、400字詰め原稿用紙で約799枚。文庫本なら厚めの一冊分。
基本的には法律の本だが、意外と文章はこなれていて読みやすい。共訳のためか、山形浩生のトンガった文体も控えめ。内容も特に難しくない。ぶ厚さにたじろがなければ、高校生でも読みこなせると思う。
【構成は?】
厚いわりに繰り返しも多い本だ。一部を拾い読みするなら、「財産」がいいかも。
- 日本語版への序文
- 序/はじめに
- 「海賊行為」
- 第一章 クリエータ
- 第二章 ただの猿まね屋
- 第三章 カタログ
- 第四章 「海賊たち」
- 第五章 「海賊行為」
- 「財産」
- 第六章 創設者たち
- 第七章 記録者たち
- 第八章 変換者たち
- 第九章 コレクターたち
- 第一○章 「財産」
- 謎
- 第一一章 キメラ
- 第一二章 害
- バランス
- 第一三章 エルドレッド
- 第一四章 エルドレッドⅡ
- 結論
- あとがき
- 隗より始めよ
- そしていずれは本丸を
- 謝辞/訳者あとがき
- 注/企業名・人名索引/索引
【感想は?】
著作権の本だ。ただし、実用的な本じゃない。そもそも舞台の多くはアメリカだし。
それでも、中身の事の多くは日本に住む私たちにも当てはまる。次のいずれかに当てはまるなら、あなたもこの本の当事者だ。
- 自分のウェブサイトまたはブログを持っている。
- コミックマーケットなど同人誌の即売会に行っている。
- コスプレが好きだ。
- Youtube やニコニコ動画などで素人が作った作品を楽しんでいる。
- バンドをやっていて、レパートリーの多くはカバーだ。
- P2Pを使ったことがある。
- iTunes などでCDを取り込んだことがある。
著者の主張をまとめると、こんな所だろうか。
著作権は守った方が世のため人のためだ。でも限度ってもんがある。今のアメリカじゃ著作権法の影響が強すぎて、クリエーターが身動き取れなくなってしまった。著作権者と利用者と消費者のバランスを取って、みんなが得する制度を作ろうよ。
テレビドラマには、不自然な点が多い。その一つは、家族の食事場面だ。多くの家庭では、テレビを見ながら食べる。が、テレビドラマではテレビを見ていない。これには幾つかの理由があるだろうが、その一つは、この本に書いてあるような事情なのかもしれない。
この本では、ドキュメンタリー映画作家が、撮影中の場面にテレビ番組「シンプソンズ」が映りこんだエピソードを挙げる。4.5秒のシーンのため、シンプソンズの権利を持つフォックス社に電話したところ、一万ドルを請求された。
これだけならフォックス社が悪役だが、次のエピソードではいささか様子が違う。クリント・イーストウッドの回顧録CDを作る際の話だ。イーストウッドが出た作品からハイライト・シーンを抜き出し、それをCDに収めた。このCD制作には多くの困難があったが、その一つは著作権だ。曰く。
「いやあ映画って、すごい著作権があって、音楽も、脚本も、監督も、俳優も全部なんだねえ」
その映画に関わる全ての人に連絡を取り、許可を得なきゃいけなかったのだ。プロの弁護士ならできるだろうが、道楽で Youtube で動画を晒す素人じゃ、とてもそこまで手が回らない。今のアメリカじゃ、映像の引用はとても難しい。最萌(→Wikipedia)で動画をバラまき釘宮病のパンデミックを起こすなんて陰謀を企てる者は、凶悪な窃盗犯とされてしまう。
ばかりではない。アメリカの著作権法の問題は、全ての著作物の著作権を、自動的に延長してしまう点だ。
文学であれ音楽であれ映像であれ、商業作品には共通した性質がある。大当たりするのは一握りの作品で、大半はコケる。シオドア・スタージョン曰く「なんであれ、その90%はクズだ」(→Wikipedia)。出版社は売り上げが見込めない本を絶版にする。音楽会社は売れなかったLPはCDを出さない。映画会社もハズれた作品はBD化しない。
お陰で私は Ecce Rock を Youtube で聴くしかない。まあこういうのは聴けるだけラッキーだけど、本はもっと難しい。アレックス・ヘイリーのルーツなんて一世を風靡した大傑作なのに、今じゃ古本屋を漁らにゃならん。いや本はまだマシで、映画のフィルムは映画会社の倉庫で朽ち果てつつある。ましてテレビやラジオに至っては…
と、そんなわけで、20世紀が生み出した優れたコンテンツの数々が、永遠に失われようとしている。せっかくデジタルメディアが発達し、桁違いの記憶容量を人類は手に入れたっていうのに。そういえば、ファミコンのゲームもどうなるんだろう?カセットを読み込めるマシンはあるんだろうか?
新しいモノってのは、たいていが既存の何かを雛形にしている。スターウォーズはアラビアのロレンスを参考にした。多くのファンタジイは指輪物語に影響を受けている。その指輪物語は、北欧の神話や伝説からアイデアを貰っている。さすがに関羽を美少女にするのは←をい
そんなワケで、あまり著作権をガチガチにしちゃうと、文化そのものが衰えかねない。バランスと工夫が必要だ、と著者は訴えているわけだ。
なんでこんな酷いことになったのか、そのプロセスについては、「CODE Version 2.0」にも書かれていたが、この本ではもう一つの原因も提起している。つまり今のアメリカは訴訟社会だって点だ。
2004年の著作だけに、今は少し様子が違っている。アメリカの事はよくわからないが、日本では青空文庫を楽しむ人が増えてきた。様々な問題を抱えながらもコミケは健在だし、マンガ図書館Z なんて斬新な試みも始まっている。フリーで配布→出版って動きも、小説家になろうから多くの作家がデビューしているし、藤井大洋は個人で成功させた。
いやアメリカでも、この本ではコーリー・ドクトロウ「マジックキングダムにてボコボコに」(日本語訳はコリィ・ドクトロウ「マジック・キングダムで落ちぶれて」としてハヤカワ文庫SFから出た)を例に挙げているが、今年になってもっと大物が出た。「火星の人」→映画「オデッセイ」って流れだ。音楽では iTunes Music Store がブレイクしている。
が、頑として iTunes とは距離を置く企業もあるし、テレビ業界は録画禁止なんて陳情をしてる。今なお権利関係は一進一退で、予断を許さない。2019年にはアメリカで著作権延長法の期限が来て、熱い議論を引き起こすだろう。
細かいエピソードも、興味深い点は尽きない。911の冷徹な計算、テレビとラジオの著作権の扱いの違い、ケーブルテレビの黎明期、P2Pが音楽産業に与えた具体的な損害額、米国メディア再編成の状況…。
私たちの文化を守り、そして育てていくために、どんなしくみが必要なのか。ブログで好き放題な記事を書き続けるために、どうなればいいのか。そして極端な法が私たちの社会をどう変えるのか。文化を愛するすべての人に向けた、熱いアジテーションの本だ。
ただ、できればグレイトフル・デッドにも少し触れてほしかったぞ。
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