ニック・ハーカウェイ「エンジェルメイカー」ハヤカワポケットミステリ 黒原敏行訳
その原理は、たとえ知っている人でも理解できず、理解できる人は知ることが許されない。
「いつも数が問題なの。わたしたちは数に対する特別な能力を持って生まれる。視力を持って生まれるようの。わかる? わたしたちは魔法使いの種族なのよ」
「おれには分別があった。その結果こんなことになった。だからもうおれは分別を捨てた」
【どんな本?】
イギリスの新鋭作家、ニック・ハーカウェイの長編第二作。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2016年版」ベストSF2015海外篇14位。
手作りの古い機械の修理や、ちょっとした調整を請け負って暮らすジョーことジョシュア・ジョゼフ・スポーク。彼の父マシューは大物ギャングで、祖父ダニエルは時計職人だった。父の影を避け祖父のように地道に生きるつもりだったジョーだが、友人のビリーが持ち込んだ奇妙な機械がきっかけで、世界規模の陰謀に巻き込まれ…
アクション・ロマンス・ピカレスク・SFなどの要素を混ぜ込んで炊き上げた、長編娯楽冒険小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は ANGELMAKER, by Nick Harkaway, 2012。日本語版は2015年6月15日発行。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約709頁に加え、杉江松恋の解説6頁。9ポイント24字×17行×2段×709頁=約578,544字、400字詰め原稿用紙で約1,447枚。文庫本なら三冊分の大ボリューム。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。一応SFっぽい理屈とガジェットも出てくるが、ハッキリ言ってテキトーなハッタリなので、真面目に考え込まないように。暗号解読関連など色々と細かいネタも出てくるが、たいていは本文中に訳注がついているので全く心配ない。
敢えて言えば、舞台の多くがロンドンなので、ロンドンに詳しいとより楽しめるかも。それと、終盤の重要なアイテムがトミーガン(トンプソン短機関銃、→Wikipedia)。拳銃弾をバラ撒く銃で、近距離の敵をなぎ倒すのに向く反面、命中精度はお察し。ギャングご用達で有名。
ちなみに、表紙の虫は蝿じゃなくて蜜蜂です。
【どんな話?】
ロンドンで古い機械の修理などで暮らすジョー。ギャングだった父マシューのコネで、時おり怪しげな仕事も舞い込むが、日ごろは静かで孤独な生活をしている。
その日、奇妙な二人組みが現れた。デブのカマーバンドと、チビのティットホイッスル。聞きおぼえのない博物館が、機会職人だった祖父ダニエルの遺品を預かりたい、と。続けて、宗教者らしき黒い衣を被った男が現れ、『ハコーテの書』を探している、という。そんな物に心当たりはないんだが。
ところが、友人のビリー・フレンドが持ち込んだブツが…
【感想は?】
雰囲気はテレビスペシャルのルパン三世。
作品名にもなっているガジェットのエンジェルメイカーを巡る、陰謀と冒険とアクションの娯楽物語だ。肝心のエンジェルメイカーがSFと言えばSFだが、その理屈はルパン三世なみなので、深く考えてはいけない。
なんたって、第二次世界大戦の遺物だし。いや正確には少し違うんだが。「鉄人28号かよ」と突っ込みながら、そういうテイストを楽しもう。
とはいえ、こういった昔のシロモノはソレナリに味があるもので。なんたって、得体の知れないなんぞを使っていない所がいい。全部、歯車やカムやゼンマイなどのアナログなメカなのだ。だから、中身を見れば動作原理がだいたいわかる…わかる人には。もっとも、歯車がアナログかと言われると、ちと難しいけど。
イギリスで第二次世界大戦で機械とくれば、当然ながら出てきますブレッチリー・パーク。しかもエイダ・ラヴレイスなんて名前もヒョッコリ登場し、好きな人ならニヤリとする所。
このラブレイスが、これまた無茶な、でも厨二心をそそる仕掛けで。目的を落ち着いて考えると明らかに向かない環境なんだけど、秘密基地ってだけでもワクワクする上に、それが轟然と移動していくんだからたまらない。一体、何を考えてるんだw
イギリスの冒険小説とくれば、やっぱり出てきますスパイ大作戦。ところが出てくるのは007みたいな色男じゃなく…いやある意味色男なんだがw このお方が演じる、宿命のライバルとの死闘が、これまた実に懐かしい味で。
そして、懐かしの冒険物語に欠かせない、もう一つの大技も、ちゃんと出てくる。像の軍団を率いるインドの王様だ。この王様のキャラが、これまたインド人もビックリな性格付けで。いやホント、インド人が読んだらどう思うんだろう。まあ、アレだ、現実のインドの事はスッパリ忘れて、子供の頃に心に描いた「インドの王様」をイメージして読もう。
やはり007に欠かせないのが、天才科学者と奇妙な発明品。肝心のエンジェルメイカー自体も天才科学者の作品だが、この科学者のキャラも楽しい。なんというか、作り始めたら止まらないというか、テーマが面白ければ目的はどうでもいいみたいな、技術屋の困った性質をタップリ持ち合わせていて。やっぱりマッド・サイエンティストはこうでなきゃw
とは言うものの、エンジニアの魂に触れる台詞もチョコチョコあったり。ラスキン主義者の言う「優れた工芸品こそが人間の内なる神聖さと関係している」とかも、心に染みるでしょ、技術で食ってる人なら。「優れたコードこそが人間の内なる神聖さと関係している」と思いませんか、そこのプログラマ。「いやコードよりデータ構造だよね」? うん、それも真実。
風景としては先の王様のインドも楽しいが、この物語の舞台はロンドン。となれば、やはり出てきます地下社会。なんたって古い都市だけに、何がどうなってるのか誰も知らない。ところが蛇の道は蛇で。これについては色んな作家が色んな風景を描いてるけど、この人のは微妙に華やかだったり。ああいうのは、暗いほうが似合うよなあ。
イギリス流の饒舌なのか、序盤から奇妙な逸話もてんこもり。最初の靴下の話もいいが、私は葬儀屋の適正試験の話が好きだなあ。ええ、当然、ブラックな風味が満点です。なんちゅう事をするんだw
長い物語だけに、登場人物は多い。それぞれに背景と物語を背負った人物たちが、終盤で次第に集ってくるあたり、まさしく娯楽物語の王道でグングンと盛り上がってくる。それまで典型的な巻き込まれ型主人公だったジョーが、追いつめられて開き直ったのも加え、「いけいけゴーゴー」な気分に←古いな
そう、全般的にガジェットや雰囲気が古いというか、レトロなのだ。お色気場面もあるんで少年向きとはいい難いが、感触はマイティジャックとかサンダーバードとか、昔の子供向け特撮アクションTV番組に近い。ノスタルジックな空気を漂わせた、英国流の荒唐無稽な娯楽冒険物語。難しく考えず、気楽に読もう。
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