藤井太洋「ビッグデータ・コネクト」文春文庫
「なんで間にいくつも挟んで発注してるねん」
「ピンハネしか能のないクズにカネを落とすためだよ」「正直、わたしもこれがいい処理だなんて思ってないですよ。でもこれ、わたしの設計じゃないんです」
【どんな本?】
「Gene Mapper」「オービタル・クラウド」とSFファンを狂喜させた作品を連発し、「アンダーグラウンド・マーケット」では変わりゆく日本経済を描いた新鋭SF作家藤井太洋が、コンピュータ・ウィルス,個人情報の漏洩,マイナンバー,監視カメラ,迷惑メール,サイバー犯罪など「いま、そこにあるIT社会」を生々しく描いた問題作。
SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2016年版」ベストSF2015国内篇11位。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2015年4月10日第一刷発行。文庫本で縦一段組み、本文約415頁。8.5ポイント42字×19行×415頁=約331,170字、400字詰め原稿用紙で約828枚。文庫本としてはやや厚め。
警察物は堅い文章になりがちだが、この作品は思ったより読みやすい。
コンピュータの技術関係は相当に突っ込んだ描写もあって業界人には嬉しい限りだが、分からなくても充分に楽しめる。というのも、技術描写も楽しいが、それ以上に業界人や組織体質が巧く描けており、また否応なしにITを使わざるを得ない普通の人々、つまり我々が今現在置かれている状況と抱えている問題を扱った作品だからだ。
ただし、冒頭から多くの人物が次々と出てくるのが辛い。出来れば先頭に登場人物の一覧が欲しかった。
【どんな話?】
コンピュータ・ウィルスを作ってバラまいた容疑で逮捕された男・武岱修(ぶだいおさむ)は、二年間も沈黙を貫いた末に釈放となる。
その二年後、滋賀県の官民複合施設<コンポジスタ>のシステム設計・開発に携わる月岡冬威が誘拐され、電子メールで犯行声明が届いた。京都府警サイバー犯罪対策課の万田は、何の因果か、かつて何度も尋問した武岱の協力を仰ぐ羽目になり…
【感想は?】
読み出したら止まらない面白さ。
冒頭から一気に引き込まれる。明らかにパソコン遠隔操作事件(→Wikipedia)を思わせる経緯だし、京都府警とくれば Winny(→Wikipedia)の騒ぎを思い出す。以降に出てくる手口も、P2Pを使ってるっぽいし。
次に出てくる迷惑メールによるフィッシング詐欺も、いかにもありそうだ。狙いどころもいい。「暇を持て余したお金持ちの奥さま」からのメールを野次馬根性で読んで、「このメールの文面を考えた奴は才能の使い道を間違ってるんじゃないのか」と思った事のある人も多かろう。
続々と出てくる「あなたを狙うペテン師の手口」も、短いながら実に役に立つ。嘘メールと偽サイトを食い合わせた手口とかは、危険極まりない。メールにあるURLをクリックしただけでも、タチの悪いのにかかれば酷い目にあいかねない。
なんてのは序の口で。
業界人が目を離せなくなるのは、システム開発の現場に舞台が移ってから。これがまた、IT系の人なら何度も「そうだ、そうなんだよっ!」と叫びたくなるような生々しさに溢れている。
今はオリンピックを控えた国立競技場のデザインが話題だが、こういう「延ばせない納期が決まっている」仕事は、最初にキッチリと「何を実現し何を諦めるか」をハッキリさせておかないと、とてもヤバい事になる。書類上じゃ巧くいくハズなのに、現場じゃ困った事になる事柄も、必ず出てくる。
福島原発の後始末で騒がれているように、この国の仕事の流れの理不尽も嫌になるほど繰り返し強調しているのもいい。これは特にIT系で酷くて、下請け孫受けに派遣が加わり、現場は魑魅魍魎が徘徊するカオスワールドになってたり。
建築なら現物を見れば素人でも「だいたい何がどうなっているか」はわかるもんだが、IT系はソレが見えない。素人にわかるのは画面のデザインだけなんで、慣れた人は最初に画面だけ作って進んでいるように見せかけ、中は後でデッチあげるなんて荒業を使う人も。ま、大抵、こういうセコい手口は、自分の首を絞める結果になるんだけど。
やはりIT系の仕事には不思議な所があって。例えば家を作るなら、住む人が建築会社に「こんな家が欲しい」と注文を出す。使う者は「自分は何が欲しいか」を分かってるし、売る側も「自分が何を売っているか」を知っている。ところがIT系は、その辺をちゃんとわかってる使い手も営業も滅多にいないんで、こんな悲劇がよく起きる。
これを防ぐには、使い手と作り手が直接に顔を合わせてじっくり話し合うのが一番なんだが、先に書いたように複雑怪奇な受注体制が話し合いを難しくしてブツブツ…。なんでこんな業界体質なのか、その原点を司馬遼太郎が「俄」で書いてると私は思ってるんだけど、あなた、どう思いますか。
ってな社会的・組織的な問題も身に染みるが、技術者なら「ウンウン」と頷いてしまうテクニカルな問題点も次から次へと挙げてくれるのも嬉しい。携帯電話がズラリと並んだ場面では、ヒトゴトながら「うひゃあ」と叫びたくなったり。
ってだけでなく、名前や住所を扱う際の鬱陶しい問題を鮮やかに切り出してくれるのも、「よく書いてくれた!」と転げまわって喜びましたよ、あたしゃ。こういうブログ程度なら、そりゃ今は UTF-8 で大概はカタがつくけどさあ。キーパーソンの名前がアレなのも、そういうメッセージを含んでいるのかも。
こういう鬱陶しい問題は、たった今、一から作るんならなんとかする方法もあるんだけど、昔からあるシロモノを「その場しのぎ」のつぎはぎをくり返してきたシステムと統合しましょう、なんて話になると、途端に工数が一気に膨れ上がるんだよなあ。図書館とか、どうしてるんだろ? いや知りたくない、知りたくない。
などと開発現場は悲惨な状況であるにも関わらず、お偉方は暢気なもんで。このお話に出てくる金額は一見凄いけど、これだけの金をキチンと投資すれば、現場のエンジニアが苦しんでいる問題の幾つかは綺麗に解決できると思うんだが、こういう「現場の人だからわかる問題」って、なかなか上の人に伝わらないんだよなあ。
こういった「今、そこにある」開発体制の問題に加え、今後確実に大きくなると思われる「ビッグデータ」の問題も、武岱を通してリアルに描き出して行くのが怖いところ。ローレンス・レッシグが「CODE Version 2.0」で指摘した問題が、まさしく現実となろうとしている。
今まで大きなデータを扱うのには、相応のマシン・パワーが必要だったし、時間もやたらかかった。ところが、最近じゃUSBメモリですら256GBもある。昔のハードディスクなんて20MBだぞ、0.02GBだぞ。などと入れ物がデカくなった上に、それを多数組み合わせてクラスタにしたり、機械がどこにあるかわからんクラウドとか…
に加えて、そういった大量データを扱う技術も、Google を初めとして進歩しつつある。そして肝心のデータは、監視カメラやクレジット・カードの使用履歴などで日々どんどんと溜まってゆく。プリクラはとっくの昔にネットワーク化されてるわけで、飲み物などの自販機がネットワークに繋がる日も遠くないだろう。
これらの大きなデータが個々にあるだけなら、たいした事はできない。だが、「コネクト」、互いに関連づけられたら、どうなるか。
普段、われわれが気にもせずに使っている携帯電話や会員カードも、れっきとしたIT機器であり、そこには現代のテクノロジーが抱えた問題が潜んでいる。もはや誰も他人事ではない未来を、ぐいぐいと読者を引っ張る吸引力で娯楽作品に仕立て上げた、この著者ならではの問題作。
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