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2016年2月18日 (木)

ラリー・コリンズ/ドミニク・ラピエール「さもなくば喪服を 闘牛士エル・コルドベスの肖像」早川書房 志摩隆訳

「泣かないでおくれ、アンヘリータ」弟はいいました。弟は、闘牛服の上に手を置いていいました。
「今夜は家を買ってあげるよ、さもなければ喪服をね」
  ――6 マレティリャ

【どんな本?】

 マヌエル・ベニテス、またの名をエル・コルドベス(コルドバの男)。1960年代のスペインで、総統フランシスコ・フランコと並び有名であり、スペインの国民的な英雄と言われた男。衰退しつつあった闘牛に新しい風を吹き込み、国家的な催しにまで盛り上げた革命的な闘牛士。

 内戦前夜のスペインに生まれ、戦乱後の荒廃したアンダルシアで極貧の家庭で育ちながら、己の肉体と精神だけを頼りに頂点へと登りつめた一人の男を中心に、内戦前後のスペインの社会や庶民の暮らし、そしてスペインの国家的イベントである闘牛の世界を、「パリは燃えているか?」で手腕を発揮した20世紀最高のジャーナリスト・コンビが、綿密な取材を元に白熱の臨場感で描く、興奮のノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Or I'll Dress You in Mourning, Larry Collins & Dominique Lapierre, 1967/2004。日本語版は1981年3月にハヤカワ文庫NFより文庫版で刊行、2005年6月30日にハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース として復活した。

 単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約467頁。9ポイント45字×19行×467頁=約399,285字、400字詰め原稿用紙で約999枚。文庫本なら上下巻でもいいぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も、思ったより難しくない。

 内戦前後のスペインを舞台にした話だが、基本的な情勢は本書を読めば分かる。大雑把に言うと、社会主義の共和国政府に対し、ファシスト的なフランコを中心とした反乱軍が決起し、反乱軍が勝って抑圧的な国家になった(→Wikipedia)。

 それより重要なのは、闘牛。これについても、作中でとても詳しく説明しているので、全くの素人でも、読むに従ってその苛烈な世界がだんだんと見えてくる仕掛けになっている。

【構成は?】

 大きく分けて、二つの流れでできている。一つは1964年5月、マドリードの大闘牛場ラス・ベンタスにおけるエル・コルドベスの華々しい試合の息詰まる中継。もう一つは、エル・コルドベスが生まれてからラス・ベンタスに辿りつくまでの遍歴。これは終盤を盛り上げるための仕掛けなので、素直に頭から読もう。

 感謝のことば
 プロローグ
1 五月のある朝 マドリード
2 戦いの年 パルマ・デル・リオ
3 勇敢な牡牛 マドリード
4 飢えの年 パルマ・デル・リオ
5 闘牛 マドリード
6 マレティリャ
7 フェエナ マドリード
8 狂った夏
9 真実の瞬間 マドリード
 エピローグ
 闘牛用語集
 巻末特別エッセイ 闘牛士エル・コルドベスとその時代 佐伯泰英

 旧文庫版の巻末には、訳者解説が載っていた。10頁と簡潔ながら、著者両名の執筆秘話や当時のスペインの時代背景などを巧く説明しているので、できれば再録して欲しかった。

【感想は?】

 スペイン版「あしたのジョー」。

 貧富の差が激しいアンダルシアで貧しい家庭に生まれ、すぐに両親を失い飢えに苦しむ幼年時代を過ごした不良少年が、たった一つの夢にすがり武者修行の旅に出て、何度も挫折と屈辱を味わいながらも夢にかじりつき、やがて得たチャンスをモノにして、国民的英雄としての成功を手に入れる、そんな話だ。モロに梶原一騎(高森朝雄)の世界である。

 肝心の闘牛については、主人公エル・コルドベスの半生を描く所で、当時のスペインにおける闘牛の位置・その興行形態・関係する様々な人々、そして闘牛士への道などが次第に分かるようになっている。

 それと、できれば次の動画を見ておこう(→Youtube:6/6 Maestros del toreo "El Cordobes", "Palomo Linares", "Paquirri")。23分とやや長い上に、スペイン語なので何を言ってるのかサッパリ分からないが、闘牛のエッセンスが詰め込んである。

 単に牛と闘うだけなのかと思ったが、全く違う。牛の体重は500kg前後、角が刺さって闘牛士が死ぬことも珍しくない。にも関わらず、闘牛士はなかなか牛を殺さない。何度も己の身を牛の突進に晒し、かわしては赤いケープで牛を誘い、再び牛の攻撃を受ける。

 見ていて、最初はその恐ろしさに血が凍る思いをしたが、慣れると違うモノが見えてきた。やがて牛は闘牛士の周りをグルグルと回り、両者はピッタリと寄り添うような形になる。赤いケープだけで、牛を人形のように操り、まるでワルツを踊っているようだ。

 この時の闘牛士の姿勢が美しい。胸を張り、ピンと背筋を伸ばす。体の線がモロに出る衣装で、特に腰から下のラインはセクシーですらある。これじゃ女性も見ほれるだろう。

 かと思うと、敢えて動きにくい両膝を地面についた姿勢で、牛を誘う。「もうやめてくれー!」と叫びたくなる。

 勝てばいい、牛を殺せばいいってもんじゃ、ないのだ。いかに勇ましく闘うか、いかに巧みに牛を操るか、いかに美しく踊るか、そしていかに観客を魅了するか。単に強いだけではなく、ショーとして盛り上げ、己の技と勇気を示し、また牛の強さ・狡猾さも引き出さなければならない…己の命を削って。

 エル・コルドベスの半生は、モロに漫画だ。本名マヌエル・ベニテス。今日の食べ物にすら困る極貧の家庭に生まれ、わずかな稼ぎと盗みで命を繋ぎ、映画に触発されて闘牛士を目指す。満月の夜ともなれば、地主の牧場に忍び込み、勝手に牛と闘って腕を磨き、警官に見つかっては何度もブチのめされる。

 やがて故郷のパルマ・デル・リオを叩き出されたマヌエルは、悪友のフアン・オリリョと共に武者修行の旅に出る。修行ったって、別に闘牛士の道場があるわけじゃない。昼は盗みと物乞いで食いつなぎ、村で野良闘牛興行があれば飛び入りし、夜には牧場に忍び込んで牛を相手に練習する。何のことはない、ただの食い詰めた浮浪者だ。

 この過程で描かれる、当時のスペインの貧富の差は凄まじい。見渡す限りの土地を所有する大地主と、仕事を探して駆けずり回る貧民たち。貧しい者は電気も水道もなく、靴すらなくて冬でも裸足だ。

 そこで共和制が成立するが、手回しのいいフランコの反乱で内戦が勃発する。ここでも共和国側の戦闘に不慣れな様子が情けない。敵が来るのはわかってんだから、壕ぐらい掘っとけよ、と思うんだが、何せ素人の集りだしなあ。ってんで手もなく捻られ、復讐の念に燃えた大地主が村に帰ってきて…あとは、ご想像の通り。

 この本ではパルマ・デル・リオの事しか書いていないが、他の村でも似たような経過だったんだろう。シリアの内戦も、どう決着がつくにせよ、よほど手際よく国連軍が展開しない限り、終戦後に大量の血が流れるのは確実だ。

 こういった経過で成立したフランコのファシズム体制だけに、見かけはガチガチの締め付けだが、マヌエルとフアンの珍道中はフリーダムそのものなのが可笑しい。結局、体制側がどんなに頑張ろうと、全国民を見張るなんてのは無理なのだ…少なくとも、当時は。この変はローレンスレッシグの「CODE Version 2.0」のテーマが身に染みる。

 放浪の果てにチャンスを掴むマヌエルを中心に、辣腕マネージャーのエル・ピポことラファエル・サンチェス、妙な縁で運転手となるアンドレス・フラド、信仰と闘牛興行の矛盾に悩む神父ドン・カルロス・サンチェス、居酒屋を営み熱狂的な闘牛ファンのペドロ・チャルネカ、そして静かにマヌエルを支える姉のアンヘリータ。

 いずれも熱い感情と大げさな表現、胡散臭さと底知れぬ辛抱強さを秘め、スペイン人の気質を伝えてくる。にしても、誰も彼も詩的な表現を好むのは、これもやっぱりスペインの偉大な文化なんだろうか。

 血生臭い内戦、飢えに苦しむ戦後の生活、決して乗り越えられぬ社会的・経済的格差に隔てられたかつてのスペイン社会から、少しづつ芽を出し始めた経済成長の予兆といった時代を背景に、最底辺の貧民から国民的英雄へと登りつめた青年の半生を中心に、闘牛の底知れぬ魅力とその過酷な世界を描く、社会性と娯楽性を兼ね備えた異色のノンフィクション。

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