ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「今夜、自由を 上・下」ハヤカワ文庫NF 杉辺利英訳 2
インドの問題に対する真の答えは、村々にしか見出されないものなのだ。
――2 四億人の神懸り警察将校アシュウィニ・クマル
「理性を失わないでいるただ一つの方法は、毎日少なくとも一人の生命だけは救おうと試みることだった」
――14 「人類の悲しくも甘美な音楽」モハンダス・カラムチャンド・ガンディー
「いつの時代にも、世間は預言者を殺し、後になって彼を祀って寺院を建立してきた。こんにち人はキリストを崇めているが、生きているキリストをハリツケにしたのではなかったか」
――16 “火によって浄められた”二人のブラーマン
ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「今夜、自由を 上・下」ハヤカワ文庫NF 杉辺利英訳 1 から続く。
【全般】
大雑把に書くと。
上巻の主役は最後のインド総督となったマウントバッテン。彼の視点で、インド&パキスタン(&バングラデシュ)が独立する1947年8月15日までを描いてゆく。
四億の民を抱え、独立の気運が高まる亜大陸は、同時にヒンディー・ムスリム・シークが混在しており、下手をするとイギリスの撤退と共に泥沼の内戦に突入しかねない。これを避け、イギリスの名誉ある撤退を果たし、新しい独立国家にはイギリス連邦(→Wikipedia)に加盟して欲しい、それがイギリスの立場だ。
そもそも独立させたくないウィンストン・チャーチル、統一インドを望むガンディー、パキスタン独立を唱えて譲らないジンナー、古の栄光が忘れられない藩王たち、そして調整に苦労するネルーなどを尻目に、粘り強くかつ大胆にマウントバッテンは独立へと邁進してゆく。
下巻の主役は、なんといってもガンディー。数多くの難問を前に、時には調整し時には強引に進めたマウントバッテンだが、懸念したとおり各地でヒンディー&シーク vs ムスリムの対立が起こり、虐殺へと発展してゆく。双方で一千万人に及ぶ難民が発生し、国境へ向けて長い列を成し歩み続けるが、彼らもまた暴徒の餌食となってしまう。
暴動を止めるべき警察と軍もまた、分割に伴い多くの人員を欠いてしまい、事態に対応できない。流れ続ける血と、溢れる難民たちに心を痛めるガンディーは、最大の暴動が予想される混沌の地・カルカッタへと向かうが、彼が頼みとするのはただ一つ、己の命だけだった。
といった大雑把な流れを彩るのは、やはり複雑怪奇で奇想天外なインドの風土と文化。贅を尽くした総督や藩王たちの生活と、狭い路地にひしめき合って暮す無数の貧民たち。カルカッタを訪れた経験があれば、あの濃厚なインドの香りを思い出すだろう。
【著者の姿勢】
訳者があとがきで、著者の姿勢に多少の疑問を呈しているように、素人でも多少の偏りは見て取れる。
前の記事でも書いたが、この本ではジンナーが強硬にパキスタン独立を主張した事になっているが、最近は違う説が出てきている(→Wikipedia)。
また、マウントバッテンが快く取材に応じたためか、彼は完全無欠の好人物に描かれているのに対し、ジンナーは冷徹で頑固、ネルーは線が細く優柔不断な印象がある。さすがにガンディーは神秘的で高潔に描かれているし、下巻では次々と奇跡を起こす現代の聖人にも見えるが、意外な一面も顔を覗かせる。
【ガンディー】
ガンディー、優秀な弁護士だっただけあって、駆け引きに長けている。マウントバッテンが最初の面会を申し出た際も、返事の手紙の「投函を二日ほど遅らせた」。 ちゃんと意図がある。「私が招きに応じてすぐかけつけるだろう、とこの若い人が思い込んではこまるのだ」。相手を待たせて心理的な優位を保つ。駆け引きの 初手ですね。
ドップリとヒンディー文化に浸かり、テクノロジーを嫌うのも困り者で、毛沢東やポル・ポトが喜びそうな事も言ってる。
「彼ら(技術者)をして、村人たちが体を洗い、家畜が入って水を飲むその池の水をのましめよ。彼らをも、その都会育ちの肉体を烈日の下にさらして労働せしめよ。そのとき初めて、彼らは農民の仕事がどんなものであるかを理解し始めるであろう」
これが必ずしも技術に対する無知ゆえとは言い切れないのがややこしい所で、農村では衛生状態の改善に努め、井戸を掘るべき場所・便所のつくり方を教え、「人が裸足で歩く場所に痰を吐きちらす」のをたしなめている。また、「飢えに迫られたインド農民を救うに足る、何か新しい穀物を常に捜し求め」ていた。
つまりインドの殖産興業策として、ネルーの工業重視に対し、農業重視だったとも取れる。当時のインドの現状を考えると、実は最も手っ取り早く現実的な方針だったかも。さすがに遺伝子改造は認めないだろうが、品種改良には興味を持っただろう。小麦の品種改良で優れた功績をあげたノーマン・ボーローグ(→Wikipedia)に対して、どう評価しただろうか?
とまれ、インテリを農村送りにしちまえって理屈は、一歩間違えると国を滅ぼしかねない。エンジニアは現場に行くべしって意味なら間違っちゃいないし、事実この本に出てくるインドの現状は奇想天外な事ばかりなので、確かに現場を知るのは大事だと思うんだが、大躍進やキリング・フィールドを見る限り、上手く運用するのは難しい。
下巻では彼の最大の戦術、断食が魔術的な効果を発揮する。ただし、この戦術も万能ではなく…
厳しい肉体的、精神的基準に従って行なわなければならないという。断食は誰でもかまわず相手にして行なってよいというものではなく、「愛情を期待できる相手に対して」のみ行なうべき
と、ある。とすると、断食は、相手に対して非難するだけではなく、「あなたには人間的な感情がある」と認めるメッセージも含んでいるわけだ。
【独立の日】
インドとパキスタンの独立は、1947年8月15日となっている。これに関わるエピソードが、マウントバッテンの性格とインド・パキスタンの民族性の双方を見事に象徴している。
これがどう決まったかと言うと。なんと、記者会見で問い詰められたマウントバッテンが、アドリブで決めたのだ。その前に、総督としての全権を首相クレメント・アトリーからもぎ取り、本国への相談なしで独断専行する権限を持っていたとはいえ、無茶苦茶な話である。ちなみになぜ8月15日かというと、日本が降伏した日だから。ぐぬぬ。
これが大きな騒動を巻き起こすのだが、その理由が実にインド的。
星占いによると、1947年8月15日は最悪の凶日と出たのだ。そりゃもう大騒ぎになったんだが、幸運な偶然もあった。その前日、8月14日は最高の吉日になる。そこで一計を案じ、インド・パキスタンの独立は8月14日午後12時って事になったそうな。
【分割の悲劇】
なぜ国家分割が困るのか。それを端的に示すのは、パンジャブとベンガルだろう。
パンジャブは現インド北西部とパキスタン北東部にまたがり、シーク教が盛んで豊かな土地だ。プロレスラーのタイガー・ジェット・シンが被っている独特のターバンが、シークの証し。当時からパンジャブは緻密な水路・道路網が発達し、多くの小麦が実る豊かな穀倉地帯だった。
ところが、分割によりバッサリと二つの国に分けられてしまう。お陰で実りをもたらす水路網も、流通を促す道路網もズタズタになってしまう。それでも両国家が友好的な関係を保っていればなんとかなったかもしれないが、カシミールの帰属を巡って戦争になった事で、その望みも絶たれてしまった。
ベンガルはもっとわかりやすい。こちらは現インド東南部と、現バングラデシュ(東パキスタン)だ。バングラデシュって国名からして「ベンガル人の国」なわけで、地域としての一体感が強く、今でもインドのベンガル地方には独立の気運が残っている。だいたい言語からしてベンガル語だし。
ベンガルの悲劇は、ジュート(→Wikipedia)が象徴している。現バングラデシュ側は、世界最大のジュート生産地域で、現インド側はジュートの加工工場が発達していた。同じ国内であれば、ジュートの生産・加工がベンガルで完結し、豊かになれたかもしれない。
これも両国関係次第だったんだが、最近はインド・バングラデシュ間で飛び地の交換が推進されるなど、両国間は相当に改善している模様で、最貧国のバングラデシュも発展の芽が出るのかも。
そのパンジャブは、下巻で血の海に変わるのに対し、ベンガル(カルカッタ)は緊張感を漂わせながらも平穏を保つ。ここでのガンディーの活躍は、まさしく東洋の神秘そのものだ。痩せさらばえた老人が、己の身ひとつで何を成し遂げ、ヨーロッパの栄光を体現するマウントバッテンが彼をどう評したか。この作品屈指の読みどころ。
【ヒンディー・ナショナリズム】
最近になって、インドは存在感が増している。経済発展もあるし、強引な軍備強化を進める中国を牽制する意味もある。はいいが、強姦の多発や宗教的な因習など、困ったニュースも多く入るようになった。
インドじゃヒンディーが盛んだが、これとテロはちと連想しにくい。にも拘らず、この本ではヒンディー・ムスリム・シークが壮絶な殺し合いを繰り広げる。シークはパンジャブにルーツがあるので、なんとなく分かる気がするんだが、ヒンディーとナショナリズムの関係はよくわからなかった。が、これも、ちゃんと歴史的な経緯があるのがわかった。
本拠地はデカン高原のプーナ(→Wikipedia)。300年ほど前、ここに一人の英雄が誕生した。ムガージー。ムスリムのムガル朝アウランジーブ帝に対し、ムガージーは粘り強くゲリラ戦で抵抗したのだ。彼の後も、プーナの民はイギリスの支配に対し抗い続ける。
この歴史が、やがてインド全土に広がるヒンディー・ナショナリズムへと変質していく。伝説の英雄の存在ってのも、罪なもんだなあ。
【おわりに】
これだけの大作なので、紹介したいエピソードはキリがない。なんとか最後にひとつだけ、老ボータ・シンの物語を次の記事で紹介したい。
【関連記事】
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