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2015年12月20日 (日)

キジ・ジョンスン「霧に橋を架ける」創元海外SF叢書 三角和代訳

デーモン・ナイトによる六つの物語の種類は――

  1. 解決の物語。主人公には問題があり、それを解決する、あるいは解決しない。
  2. 説明の物語。
  3. 意外なラストの物語。
  4. 決断がなされる物語。実際に実行されるかどうかは重要ではない。
  5. 主人公が謎を解く物語。
  6. 暴露の物語。隠されていたものが主人公に、あるいは読者にあきらかにされる。
      ――ストーリー・キット

「わたしたちの暮らしはつねに変化するものだ。望むか望まないかは関係ない」
  ――霧に橋を架ける

【どんな本?】

 アメリカのSF/ファンタジイ作家キジ・ジョンスンの、最初の邦訳短編集。日本オリジナルの編集。SFというよりファンタジイまたはスリップストリーム的な作品が中心で、奇妙な状況・現象に立たされた者が、その状況に戸惑い、または受け入れてゆく過程や心の動きを描いた作品が多い。また、猿・猫・犬など動物の登場が多いのも特徴。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年5月30日初版。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約247頁に加え、訳者あとがき2頁+橋本輝幸の解説10頁。9ポイント43字×20行×247頁=約212,420字、400字詰め原稿用紙で約532枚。標準的な文庫本一冊分の文字量。

 文章は比較的にこなれている。内容もファンタジイ寄りのものが多く、特に科学知識は要らない。ただ、表題作の「霧に橋を架ける」だけは、吊り橋の理屈や構造(→Wikipedia)を知っていると迫力が増す。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 元題 / 初出 の順。元題は Ameqlistキジ・ジョンスンを参考にした。

26モンキーズ、そして時の裂け目 / 26 monkeys! Also, the Abyss / Asimov's Science Fiction 2008.7
 2009年世界幻想文学大賞ショート・ストーリー部門受賞。エイミーの舞台は、クライマックスで26匹の猿を消す。26匹の猿が次々とバスタブに飛び込み、最後に飛び込んだゼブが大きな咆哮をあげる。フラッシュが光ると、バスタブはからっぽになる。猿たちがどこに行くのか、エイミーも知らない。だが猿たちはちゃんとツアーバスにもどってくる。
 26匹の猿による見世物興行の旅を続ける、エイミーの話。昔は神社のお祭りなどで見世物小屋がよくあったけど、最近はどうなんだろう? 旅の暮らしは、しがらみがなくて楽しそうに思えるけど、長く続けるのはしんどいだろうし。「わたしたち、庭をもつつもりなんです」って台詞には、そんな想いがこもっているのかな?
スパー / Spar / Clarkesworld 2009.10
 2010年ネビュラ賞ショート・ストーリー部門受賞。宇宙で遭難し、ちっぽけな救命艇に閉じ込められた、彼女とエイリアン。エイリアンは二足動物ではなく、絨毛がある。両者はひたすらファックする。エイリアンは千通りに彼女を貫き、彼女もエイリアンを貫く。
 得体の知れないエイリアンと、ひたすらファックするだけのお話なんだが、ポルノとしては全く実用性がないw 三人称で語っているのが更におかしい。両者は全くコミュニケーションが成立していないので、そもそもファックなのかも怪しいし、相手が生命体だという保証もない。なんなんだw
水の名前 / Names for Water / Asimov's Science Fiction 2010.10-11
 工学部の三年生のハーラが教室に足っていると、突然に携帯が鳴り出した。電話に出たが、誰の声もしない。よく聞いても、雑音しか聞こえない…いや、水音だ。砂浜に押し寄せる波の音みたいだ。まるで海が電話をかけてきたみたいだ。
 単位を落としそうになり焦っている学生にかかってきた、不思議な電話。その正体は何なのか。全体的に重苦しい作品が多い中で、ちょっと楽しい気分になる、「日常の中の少し不思議」なお話。
噛みつき猫 / The Bity Cat / At Month of the River of Bees 2012
 三歳のセアラは、猫を飼っている。ママとパパは喧嘩ばっかり。兄のポールは六歳で、猫をもらえなくて怒ってる。みんなは噛みつき猫と呼ぶけど、セアラはペニーの正体を知っている。本当は猫じゃない。怪獣なんだ。
 両親の仲が悪い家庭の、小さい女の子と猫のお話。誰彼構わず噛みつく暴れん坊の猫ペニーは、みんなに嫌われてる。でもセアラはペニーが大好き。何かを・誰かを好きになるってのは、こういう事なんだろうなあ。
シュレディンガーの娼館 / Schrodinger's Cathouse / Fantasy and Science Fiction 1993.3
 郵便局で受け取った、差出人住所のない茶色の紙包み。中には小さな箱が入っている。ボブは車の中で箱を開けた。あたりを見回すと、広い部屋の中だ。壁紙は赤紫と深紅の大きな渦巻き…と思ったが、瞬きすると濃い青に銀色の縞模様になっている。
 有名な「シュデディンガーの猫」に引っかけたお話。生きている状態と、死んでいる状態が重なり合っている猫。観測する度に、状態は変わってゆく。ボブが迷い込んだ部屋も、見るたびに変わって行く。部屋だけでなく、その中にいる人も。それでもボブの人格は連続してる…のかなあ?
陳亭、死者の国 / Chenting, in the Land of the Dead / Realms of Fantasy 1999.10
 何度も科挙に挑みながら、老いてしまった書生に、仕官の話が来た。ただし、任地は死者の国にある陳亭という僻地の県令。書生は内縁の妻の阿蓮と、何度も話し合った。書生は豊かで暮らしやすい場所だろうと考え、彼女は寒く寂しい所だろうと言う。
 現世と死者の国が完全に断絶しているわけじゃなく、妙に連続した感じになっているあたり、ちょっと聊斎志異っぽい雰囲気で、中国の怪異譚の死生感を上手く掴んでいると思う。でもこのオチは酷いw
蜜蜂の川の流れる先で / At the Mouth of the River of Bees / SciFiction 2003.10
 リンナは、蜂に刺された。ちょっとドライブに出かけるつもりで、シアトルから東へ向かった。老いたジャーマン・シェパードのサムと一緒に。軽いドライブのつもりだったが、もう二日も走り続けている。登り坂のてっぺんまで来ると、州警察に止められた。蜜蜂の川が道を塞いでいる。
 「蜜蜂の川」ってなんじゃい、と思ったら、本当に蜜蜂の川だった。犬好きな人は、老いた犬のサムを労わるリンナの気持ちがわかるのかな? そういう意味では、「噛みつき猫」と対を成す作品なのかも。
ストーリー・キット / Story Kit / Eclipse 4 2011
 古代ローマの詩人ウェルギリウスの作品「アエネーアース」(→Wikipedia)と、夫との不和に悩む作家、そして彼女が作品に仕上げる過程を並べて描き、小説を書く技法を解説してゆく。
 Wikipedia によれば「ラテン文学の最高傑作」となっているけど、この作品での取り上げ方だと、だめんずに引っかかった女のソープ・オペラに思えてくる。もしかしたら、本当にそうなのかも。いや「アエネーアース」は読んだことないんだけどw
ポニー / Ponies / Tor.com 2010.11
 2010年ネビュラ賞ショート・ストーリー部門受賞。バーバラに招待状が来た。ポニーのサニーも喜んでいる。《選抜ガール》のパーティーに招待されたのだ。選抜ガールに気に入られれば、バーバラとサニーも選抜ガールになれる。
 幼女向けアニメ「マイリトルポニー」をネタにした作品。「友だちについて学ぶ」ってテーマの作品が下敷きで、なんでこうなるんだかw でも現実は、こんなものかもw
霧に橋を架ける / The man who bridged the mist / Asimov's Science Fiction 2011.10-11
 2012年ヒューゴー賞・2011年ネビュラ賞ノヴェラ部門受賞。金属と石以外は、何でも溶かしてしまう「霧」が、川のように流れている。ここに橋を架けるため、キットはやってきた。今は渡し船で霧を渡る。腕のいい渡し守、ラサリ・フェリーの話だと、今日は渡れないらしい。
 内燃機関はないが、微積分はあるレベルに科学と技術が発達した世界で、1/4マイル(約400m)幅の「霧」に吊り橋を架ける話。工程のみならず、部品や技術者・作業員の調達までじっくり書き込み、大工事の過程を堪能できるばかりでなく、架橋工事のにわか景気で変わってゆく河岸の町、そして職を失う渡し守などを生き生きと描き出し、大きな工学プロジェクトが社会に与える影響と、変わってゆく世界の中で生きてゆく人々の姿が、生々しく迫ってくる。静かに過去へと流されてゆく《でかいの》が切ない。
《変化》後のノース・パークで犬たちが進化させるトリックスターの物語 / The evolution of trickster stories among the dogs of North Park after the Change / The Coyote Road : Trickster Tales 2007
 牛が、馬が、山羊が、リャマが、豚が、ミンクが、そして犬と猫が、話せるようになった。猫は去った。わたしたちは猫を怖がるし、猫は屋根の下で暮らすより、野良暮らしの方がいいらしい。犬にも去るものがいる。または飼い主に捨てられる。リンナはノースパークに行く。そこに何匹かの犬が潜んでいるのだ。
 「ペットが喋ったら」と、飼い主は願うだろうが、本当に喋り出したらどうなるか。著者の動物好きが色濃く出た作品。去る猫と、捨てられる犬って対比は…そんなもんなんだろうか。しかし犬や猫ならまだしも、牛や豚や羊が喋り出したら、たまんないだろうなあ。
訳者あとがき/解説:橋本輝幸

 やはり中編の「霧に橋を架ける」の迫力は見事で、産業革命前の技術で大きな吊り橋を造る過程を通し、そこに生きる人々を含めた世界そのものを鮮やかに創りあげている。「霧」を渡る場面も、危うげな緊張感が伝わってきて、特に《でかいの》らしき者の気配がする場面は怖かった。

 小品ながら、「噛みつき猫」も好きだ。「怪獣」って解釈は、確かに子どもっぽいけれど、「そういう生き物」として受け入れる大らかさ、「そこがいいんじゃないか」と慈しむ気持ちこそ、ペットを飼う者に要求される資格なんだろうなあ。

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